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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第二章 絡まりあった欲望編
86/113

影法師は掴めない


 バクを噛み締めて拳を振るう少女がいる。


 彼女が纏ったガントレットは水のエースの刃とぶつかり、爆風で水飛沫が弾けた。


 負を呑み込んで炎に昇華する少年がいる。


 彼が綴った文字は残影の足元で業火を巻き上げ、荒ぶる水滴を蒸発させた。


 それでもレリックは止まらない。水のエースは止まれない。


 篝火焚火から距離を取り、焔天明の顔を斬りつける。(ザ・タワー)の顔からは黒い血が舞い上がり、目を覆った布が衝撃で破れ飛んだ。


「ッ、ぅ、あ"ーー天明ッ!!」


「黙ってろ!」


 レリックと光源の間に、迷える影法師(ドール)が割り入ることも出来ない程の猛攻。獰猛。鬼気迫る覇気。


 エースの青みがかった衣装が焦げる。金属音が木霊する。それでもエースは一歩も引くことなく、上空からは鷹が狙いを定めていた。


 歪なバクを噛み切って、翼を畳んだ夕映零が急降下する。エースを射程距離に入れた瞬間、零は鉤爪をしならせた。


 しかしエースは反応する。寸での所で鉤爪を躱し、掴んだ鷹の足首を腕力でへし折った。零は力が入らなくなった足と魔術師(ザ・マジシャン)が体勢を崩した様子を見て状態を察する。


 だが、光源が次の動作に移る前に、エースは動くのだ。


 零を物のように投げ飛ばし、窓硝子が砕け散る。魔術師(ザ・マジシャン)は頭や腕から出血し、エースの背面には天明が迫った。


 少年の筆が走り、レリックの体に〈影〉と刻む。数秒の間も作らずに文字を爆発させた天明は、その衝撃に巻き込まれながらも立ち続けたのだ。


「グッ、ウゥッ!!」


 背中側を焼かれたエースは素早く振り返り、震えた足で地を踏みしめる。倒れないのはただ一つの激情により。


 自分の炎で天明は両腕を火傷する。(ザ・タワー)は痛みを一心に受ける。それが契約。それが約束。光と影は一心同体。影が傷を背負うから、光は傷つけることを背負うのだ。


 着物を焼いた少年は治った腕で筆を走らせる。己の文字を燃やす為に。燃やして悪鬼を殺す為に。


 足を治した鷹は猪となって突進する。己の怒りを昇華する為に。人間であり続ける為に。


「邪魔ダ人間!!」


 それでも積年の想いは砕かれない。


 水のエースは天明の筆を折る。彼の唯一の象徴を容易く粉砕する。


 目を丸くした天明は体勢を崩し、一瞬の隙にエースが光源の頭を掴んだ。


 猪突猛進の零は自分に向かって天明が投げられても止まれない。進行方向に広がった白の腹部を猪の牙は貫き、(ザ・タワー)の口から黒液が吐き出された。


「ッ、う"、」


「こりゃまた災難ッ」


 微かに速度が緩んだ零をエースが見逃すはずもない。


 レリックは天明の体に蹴りを入れ、少年の体に刺さった牙がより埋まる。腹部を牙が貫通した様に天明は顔を歪め、呼吸の苦しさも感じていた。


 零は天明の骨が折れたと感じ、次手を出す前にエースが消える。上部から影で覆われた零は、背中に走った衝撃と共に地面に叩きつけられた。


 亀裂が入った地の上で、零の面が歪んで落ちる。無くなった牙は天明の体から抜けたが、倒れた二人にエースは容赦しない。


 エースの蹴りが天明の額に迫る。当たれば頭蓋が砕ける勢いだ。


 上手く動かない少年の体が危機を察した時、駆けたのは、旋風。


 ソルレットから風を全開にし、焚火がエースの体に激突する。


 エースは強制的に地面を滑り、豪快な風によって宙へ投げ飛ばされた。体の前面を上に向けられた体勢だ。


 自由が利かない空中で、エースは認識する。焚火のガントレットがギアを上げる音を。肘から吹き荒れる豪風が彼女の腕を兵器に変える空気を。


 エースが胸の前で両腕を交差させた瞬間、少女の恐怖が炸裂した。


 ガントレットを選んだ少女は肩を壊しながら化け物を殴りつける。耐えがたい恐怖を打破する為に。求めた温かさを得る為に。


 地面に叩きつけられたエースは呻く間もなく起き上がった。


 止めを刺そうとした焚火の拳が地面を砕く。間一髪の所で避けたエースは銀の三つ編みに顔を向けた。


 凶悪な風を纏った少女が、(ザ・ムーン)の光源。


 エースが走り続けた、たった一つの理由。


「ア、アァァ!!」


 自分でも制御しきれない感情でエースは焚火の頭を掴み、空に向かって投げ飛ばした。焚火は体にかかる衝撃をソルレットでなんとか殺し、筆を再計した天明を見る。


 再び墨を滲ませた少年に向かってエースは一息で距離を詰めた。自分の懐に入ったエースから天明は距離を取りかけたが、速いのはエースだ。


 天明の側頭部にエースの蹴りが直撃し、着物の少年はビルに激突する。エースは体の回転の勢いそのままに、アルマジロとなった零も蹴り飛ばした。硬い装甲に覆われていた零は信号機の柱にぶつかり、折れた信号や標識の下敷きになる。


 二人は痛みを感じていない。それでも力の入れ方があやふやになった。


 少年の手から白い筆が歪んで消える。


 人間の体から動物の鎧が溶け落ちる。


「天明!!」


「零!!」


 焦点を上手く合わせられない天明。完全に埋まってしまった零。光源の傍に血だらけの(ザ・タワー)魔術師(ザ・マジシャン)が駆け、エースは肩で呼吸した。


 折れたガードレールを掴んだレリックは、自分に向かっていた焚火に投擲する。空気抵抗を感じさせない柵を躱した焚火は、願いに燃える化け物の懐に入り込んだ。


 彼女が嫌いな怖い生き物。人の願いが生んだ、影の住人。


 そんなエースの呟きを、焚火は聞いていた。


 水のエースが顔を向けている存在が、自分の背後にいると認識しながら。


「見ツケタ……」


 水飛沫が焚火の目の前で弾ける。


 青みがかった黒い腕が鋭くしなる。


 少女はガントレットでナイフを殴るが、刃は折れない。


「見ツケタ」


 素早く掌でナイフを回した化け物は、凶器の峰で焚火の頭を殴打した。


 強烈な一撃に少女は眩暈を覚える。体が平衡感覚を忘れてしまう。


「見ツケタッ」


 焚火はどうにか体勢を立て直そうとしたが、化け物の方が速かった。鳩尾(みぞおち)に叩き込まれたのは冷や汗が吹き飛ぶほどの蹴りだ。


 地面を転がった焚火はソルレットから風を噴射し、化け物との距離が広がらなうよう心掛けた。


 少女は顔を上げる。


 白くなった髪を邪魔に思いながら、獰猛な化け物に焦点が向く。瞳孔が収縮して、化け物だけが鮮明になる。


 化け物が走る先には、銀の細い三つ編みを揺らす影法師(ドール)が一体。


「ユエさんッ!!」


 焚火の声では止められない。止まる訳がない。


 化け物は、求め続けていたのだから。


 ただ一体。静かな月光。優しい月。


 庭園で同じ方を向いていた日々。詰めなかった距離。音が少ないあの城で、彼女の声だけを聴いていた。彼女の傍にだけ居続けた。


「ヤット、ヤットッ!!」


 誰もがいなくなった庭園。座る者がいなくなった椅子。自分一体だけが残された東屋は寒い。


 だから帰って来て、帰って来て、どうかあの場所へ帰って来て。


 貴方の水が二度と見られなくても、穏やかな貴方がいなくなっても、貴方が暴れる風になろうとも、構わないから。


 貴方が貴方であるなら、それでいいから。


 ただ傍にいたい。共に居させて欲しい。捨てないで欲しい。


 人間の願いなんて叶えなくていいから。人間に頼らなくていいから。今度こそ、自分が貴方を守るから。


 貴方の隣にいたかった。


 貴方の声を聞いていたかった。


 貴方の名前を呼んでいたかった。


 貴方が笑ってくれた、大事な――名前を。


「――ユエッ!!」


 枯れた声が、ユエの鼓膜を強く揺らす。


 必死になって、駆けてくるのは水のエース。


 主は覚えていない。瞼を縫われた影は思い出せない。


 隣に立っていた残影を。同じ景色を見ていた従者を。


 己に名前をつけた、レリックを。


 水のエースがナイフを捨てる。彼女に向ける刃など持ち合わせていないから。


 黒く鋭い両手が不格好に広げられる。


 水のエースは焦がれている。


 動けない(ザ・ムーン)は、微かに指先が痙攣したと自覚した。


 忘れてしまった過去がある。縫われて閉じられた思い出がある。


 それでも、それでも……それでも。


 ユエの両手は、過去を閉じ込めた体は、かつての従者を拒めない。


「エース……」


 ドレスの裾を掴んで、ユエが一歩を踏み出しかける。


 エースの両手が、彼女に届くまであと数歩。


 その姿に焚火の風が止まる。少女の頭が、動くことを放棄する。


 あるのは略奪でも、終幕でも、破壊でもない。


 それは切願。念願。焦がれ続けた淡い激情。エースを動かし続けた、唯一無二の原動力。


 今まで一度も埋まることの無かった二体の距離が、初めて近づくその瞬間。


 ――影を許せぬ光が、動く。


 猫の面を被り、俊敏に割って入るは、残影が零した人間の末裔。エース達が殺し損ねた強欲の人形。


 水の冷たさを忘れない。人間になれないまま成長した人形は止まれない。


 欲に暴れた人間を、愚鈍な残影を、自由を欲した影法師を許せない。影の化け物達を許せる筈がない。


 影法師(ドール)なんていなければ、逃げなければ。レリックが、人間が、きちんと繋ぎとめていれば、零は独りぼっちにならなかったのだから。


 走り去った白衣が脳裏でブレる。自分を置いて出て行ったあの日の背中と、重なってしまう。


 因果は巡る。歴史は繰り返す。縁は断ち切れない。


 爆発する想いは零の体を無理やり動かし、猫の口角が上がった。


 魔術師(ザ・マジシャン)に迫った地のエースの前に、篝火焚火が割り込んだ日のように。


 (ザ・ムーン)に迫った水のエースの前で、夕映零は笑うのだ。


「壊れろ!! 化け物ッ!!」


 鋭い風を纏った腕が、水のエースを貫通する。


 胸を抉り、背中から飛び出したレリックの核が宙を舞う。


 (ザ・タワー)が言葉にならぬ叫びを上げても、もう遅い。


 魔術師(ザ・マジシャン)を振り切った零は止まらない。


 落ちたエースの核に向かって零が駆ける。


 初めて足を止めた水のエースは、それでもユエに手を伸ばしていた。


「エース、」


 忘れてしまったユエの手が、エースに伸びる。


 転がる核に零が狙いを定める。


 口角を上げた猫は止まれない。


 だから、核を庇った少女にも容赦できないのだ。


「夕映さん!!」


 篝火焚火のガントレットがエースの核を覆う。


 ユエの手がエースの指を掴もうと開かれる。


 だがしかし。


 身の内に業火を滾らせた光源は、全てを許せないから。


「邪魔ぁ!!」


 夕映零は、エースの核を踏み砕く。


 焚火のガントレット諸共、打ち砕く。


 瞬間、水のエースの体が崩れ落ちた。


 ユエの手が(すす)に触れ、こぼれて、何も掴めず藻掻いてしまう。


 そこで初めて、体の奥底から湧き上がった言葉が、想いが、ユエの唇を震わせた。


「まって……待ってエース、お願い、おねがい待って、」


 声を上ずらせるユエは煤しか触れない。


 手だけでは駄目だ。声だけでは駄目だ。それでは全てを取りこぼす。


 だから(ザ・ムーン)は腕を広げ、エースの顔を記憶に焼き付けようとするのだ。


 壊れる残影は、そんな不器用な主を見て――笑ってしまった。


『……(ザ・ムーン)、以前呼バレタ国デ、月ヲ意味スル言葉ヲ知リマシタ』


 月に名を与えた残影は、己の行いを悔いたこともあった。自分が言葉を知らなければ。彼女に名前をつけるなど、烏滸がましいことをしなければ、と。


『ユエ……コノ響キガ、貴方ノ名ニ相応シイト思ッテシマッタ私ハ……(ヨド)ンデイマスデショウカ』


 それでもエースは呼びたかった。名づけられていくきょうだいを、(ザ・ムーン)が見つめていると知っていたから。彼女の傍で気づいてしまったから。


『ユエ……そう、ユエ。ユエ、ね』


 自分を見上げた主の口角が上がった姿を、エースは忘れない。


『素敵ね』


 髪を揺らした彼女の声が少しだけ弾んでいたと、エースだけが知っている。


 例えそれが、全てを壊す言葉になっても。歯車を狂わせた一手になっても。


 今、この瞬間、瞬きの間に終わる刹那。


 己の願いに内側から焼かれ、燃えて、朽ちてしまうその前に。


 求めた主に名を呼ばれ、手を伸ばしてもらえたのだから。


『エース』


『ハイ』


『……呼んでくれる?』


 縮められなかった距離を思い出し、再びあの日を繰り返そう。


「……ユエ」


 最期に名前を口にしよう。


「ユエ、」


 伸ばせる腕はもうないから。距離を縮める足もないから。


「ユエ……」


 優しく笑った水のエースを、(ザ・ムーン)の腕が抱き締める。


 初めて触れた煤は熱く、儚く、抱擁に応えるように宙へ舞い上がった。


 地に落ちた残骸。黒い服に残った(かばね)。冷たい腕が抱えた熱。


 銀の髪を揺蕩(たゆた)わせ、(ザ・ムーン)が膝から崩れ落ちる。


 煤に残った温かさを一心に抱き寄せて。目を覆った布が湿っていくのを感じながら。


「ゆえさん……」


 ガントレットを砕かれた焚火は、覚束ない足取りでユエの元へ向かう。白い頬に大粒の涙を伝わせる影法師(ドール)の元へ、歩み寄る。


「……ねぇ……焚火ちゃん」


 力のない声を吐き、ユエは焚火を見上げる。これ以上煤が落ちてしまわないよう、自分を抱き締めるような姿をして。


 (ザ・ムーン)の涙が地面の煤に染みていく。それでも壊れたものは固まらない、治らない、戻らない。


「おかしい、おかしいの。わたし……私ね、水のエースと話したことなんて、そんなにない、はずなのに……いま、すごく……さびしく、て」


 ユエの口角が震えながら上がる。焚火の腕からガントレットの欠片が消える。


「焚火ちゃん、どこもけが、してないでしょ? なのに、いたいの、痛いの……とても、とても……いたぃの……」


 焼けるような熱を孕んで、雫がユエの顎をうだる。地に落ちた三つ編みの先が煤を撫でる。


 腹部を庇うように起きた天明はそこで見るのだ。


 (ザ・ムーン)の前に膝をついた焚火が、ゆっくりと両手を広げた姿を。


 心を追い求めて泣いていた少女が、心が分からない影法師(ドール)を、静かに抱き締めた姿を。


 焚火の胸に顔を埋めて、ユエは泣く。


 きょうだいを守りたいから影法師(ドール)は走り出した。使う者になりたくないから、自由になって欲しいから、レリックを置いてきた。


 その選択が全て間違いで、自分達は最初から失敗していたならば。犠牲を増やし、命を踏みにじることばかりしていたならば。


 これ以上、間違いを続けたくない。道を誤りたくない。


 人間になりたいとは言わない。それでも人間のように、レリックの気持ちが分かるようになりたい。


 そうしなければ、この胸を焦がす感情で、焼かれてしまいそうだから。


 銀髪に頬を寄せた少女は目を伏せる。


 不器用で、中途半端で、愚かな影を抱き締めて。


 自分が垣間見た光景には――確かに心があったのだと、噛み締めて。


 零は砕いたエースの核を足の裏で潰す。これでもかと、強く、雑に、躊躇なく。


「……やめてよ」


 白い面を被ったままの光源は、一人で猫の尾を垂らしていた。


「これじゃあまるで……自分が、悪者みたいじゃないか」


 光源の言葉は届かない。傍に戻った魔術師(ザ・マジシャン)だけが拾って、返事はない。


 烈火の少年と豪風少女に背を向けた猫は一人、光の国へと帰還した。

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