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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
第二章 絡まりあった欲望編
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篝火焚火は知っていく


 世界には化け物がはびこっている。


 自分の願望の為に、欲望の為に。


「見ツケタ……」


 水飛沫が目の前で弾ける。


 青みがかった黒い腕が鋭くしなる。


 ガントレットでナイフを殴るが、刃は折れない。


「見ツケタ」


 素早く掌でナイフを回した化け物は、凶器の峰で私の頭を殴打した。


 強烈な一撃に眩暈がする。一気に平衡感覚が分からなくなる。


「見ツケタッ」


 どうにか体勢を立て直そうとしたが、化け物の方が早かった。鳩尾に叩き込まれたのは冷や汗が吹き飛ぶほどの蹴りだ。


 地面を転がった私はソルレットから風を噴射し、化け物との距離が広がらなうよう心掛けた。


 顔を上げる。


 白くなった髪が邪魔で、獰猛な化け物に焦点が向く。瞳孔が収縮して、化け物だけが鮮明になる。


 化け物が走る先には、銀の細い三つ編みを揺らす影法師(ドール)が一体。


「ユエさんッ!!」


 枯れた声では駄目だ。


 一歩遅れた足では駄目だ。


 衝撃で滲んだ目では駄目だ。


 自分の欲望だけでは、駄目なんだ。


 (ザ・ムーン)に私ではない手が迫る。


「ヤット、ヤットッ!!」


 私以上に枯れた声が轟く。


 私よりも速い一歩がユエさんとの距離を詰める。


 私では見えないユエさんを、無い目で見ている。


 己の欲望を燃やし、彼女への想いが爆発する。


「――ユエッ!!」


 舞い散る飛沫が宙で暴れる。


 水のエースが、私の影に迫りくる。


 ***


 その日はよく晴れたテスト最終日だった。明日からはテスト返却と補習期間に入り、私は午後には下校できる。バイトにいっぱい入れるね。喜ばしい事だ。


「テスト、できたかな?」


「平均点くらいはあると思います」


「って言いながら、良い点とっちゃうのが篝火さんだよね」


 などと夕映先生に茶化される。テストで学校は午前中に終わった。職員室前の廊下には提出物を出しに来た生徒や、午後からの部活について顧問に確認する生徒でごった返していた。


 私の前で微笑む夕映先生は、ノート再提出などという理由で私を呼び出しやがった訳である。


「朱仄さんはその後どうでしたか」


 問題なかったノートを持って先生に問いかける。私達の影は不自然に歪み、夕映先生の眼鏡に陽光が反射した。


 私が焔さんと朱仄さんを引き剥がした後、先生は朱仄さんと「はじめまして」をした筈だ。


 その後の経過について話があるかと思っていたが、先生は普通に先生のままテスト期間に入ってしまい、今日まで何も話さずにきた。


「……曲げられなかったよ。俺の言葉では駄目だね」


 その言葉に、先生の行動の全てが詰まっている気がする。


 ならば私は何も言わないし、会話もこれで終わりかな。


 と思ったが、先生の空気は何やら尾を引いていたので私はその場に留まった。先生は私の態度を確認し、緩く笑う。


「篝火さんは、俺が零を置いて行ったって言ったよね」


「そうですね」


「……合ってるよ。俺は、俺だけが可愛くて、零を置いて、実家から逃げ出したんだ」


 先生の目が見えなくなる。眼鏡の向こうで伏せられて、直ぐに顎が上がってしまったから。


 廊下の混雑は続いている。私と先生も混雑のひとつに混ざる。他人の影とぶつかって、混ざって、離れていく。


「一緒に連れて行けなかった理由を挙げたらいっぱいあるよ。金銭的なこと、年齢的なこと、社会的なこと。でもそれは月日が経てば解決できることばかりだ。それでも俺は、零を迎えに行けなかった」


 眉を下げた先生が私に顔を向ける。廊下の端で行われる小さな懺悔は、誰も救いはしないのに。


「……怖いんだ。零に会うのが。どんな恨み辛みを吐かれるか、どんな暴言をぶつけられるか。俺の想像なんて、きっと、簡単に超えてしまうから」


 影法師(ドール)に肩入れする光源の顔に影が射す。


 影法師(ドール)に激情を抱いた光源を想って、肩を落とす。


 眼鏡を押し上げた先生は、その姿勢のまま固まった。


「零は……元気かな」


「それはご自身で確かめるべきことではないでしょうか」


 満点笑顔で釘を刺す。私を通して夕映さんを見たところで、それで先生は納得するのか? 私が「元気ですよ」って答えたら「良かった」と笑って肩の荷が下りるのか?


 違うだろ。


 お前の足で会いに行き、目で見て、声をかけなければ、お前は安心なんて出来ないんだろ。机上の空論で足踏みするのも大概にしろ。


 なんて言う資格、私には無いけどな。


 手を下ろした先生はやっぱり笑う。それがまるで癖のように。屈託なく、悪意なく。それは夕映零さんの笑顔と似ていたんだ。


「篝火さんは強いね。俺よりよっぽど、ちゃんとしてる」


「買い被り過ぎですよ」


 私は強くない。優しくもない。ただの我儘な怖がりだ。


 私が本当に強くて優しい奴だったら、叔母さんが今どうなっているのかちゃんと知っている筈だもの。


 化け物に襲われたあの人のその後を私は聞いていない。葬式が無かったから生きていると思って、今日まで普通に過ごしてきたんだから。


 本当ならお見舞いに行ったり、傷の具合を心配するのが優しさだろ。


 私だって、先生と同じだ。会えない理由は時間が消していったのに、行動できない。最初のひと言も分からない。


 先生が夕映さんに酷い言葉をぶつけられるのではないかと怖がるのと一緒だ。


 私もまた、叔母さんに毒を吐かれるのではないかとどこかで思っている。母のような奴が叫んだ言葉が、再び私に向けられるかもしれないと怯えている。


『貴方が扉を開けたから』


 そう当事者である叔母さんに言われたら、私は二度と玄関を開けられなくなる。


 今はまだ、そうじゃないって、私だけが悪いんじゃないって思えているから、一人暮らしで玄関を開けられるんだ。人を心配できない化け物の言葉だったから鵜呑みにしてないだけだ。


 開けた先にいるのは化け物ではない。化け物になっていない人間がそこにいる。包丁なんて持っていない。私に危害は加えない。


 何度も何度も玄関を開けて、その確証を守っている。趣味と一緒だ。人形の中には綿が入っていると言い聞かせて、確認して、安心する。自論を強めて安堵する。


 そうしないと、私は私を保てない。そこに一度でも確証を揺るがすものを見てしまえば、私は二度と動けなくなる。


 だから絶対の確認だけはしたくない。私も机上の空論を踏んで、大丈夫だと囁き続ける弱者なのだ。


 なんて吐露は呑み込んだ。言ったところで先生は他人だ。無関係だ。何にもなりはしないでしょ。


 意味もなくノートを開いて閉じた私は、元よりノートを持っていることも意味がないのだと胸の中で嘲笑した。


「先生」


「なんだい?」


「先生は、どうしても願いを叶えたいですか」


 問えば先生が口を結ぶ。少しずつ生徒の波が落ち着く廊下で、困ったように項を掻いて。


「叶えたいよ……でも、これを願う時点で、また俺は逃げているんだって痛感することもある」


「願いは逃げですか」


「俺の場合はね。誰かに願わず、自分で叶えてこそだと思うけど……」


 先生の視線が窓の外へ向かう。吹き抜けるような夏の青空だ。輝く白い雲が目に染みて、空の青さに吸い込まれそうな空気がある。


「俺が願わずとも、本人が動いているかもしれない。願わなくてもよかったかもしれない」


 先生の目元に影が落ちる。それから眉を下げて笑った光源は、なんだか泣きそうに見えたんだ。


「それでも愚者(ザ・フール)が現れた時、願わずにはいられなかったんだ」


 なんとなく、先生の願いが分かる。


「本人が光源をしてるって知った時は、杞憂だったかもしれないって凄く思ったんだけどね」


 自分のことを優しくない、強くないと、ないばかりを集めることが得意な先生。そんな彼が、それでも願った事柄は……きっと。


「先生の、願いは」


 人の願いに踏み込んでいい筈ないのに、私の口は聞いてしまう。


 ゆっくり瞬きした先生は、やっぱり泣きそうな顔で笑うんだ。


「俺の願いは――夕映零を自由にすること」


 落ちる言葉は私を滑り、影の中に溶けていく。


 己の為に、他者の自由を願った光。


 その影に住むのが愚者なのだから、笑い種にもできやしない。


 ***


「愚か者を救済するのはどんな人でしょう」


「哲学か?」


「強いて言えば道徳?」


「苦手な科目だ」


「私もです」


 これにて閉廷。木槌を鳴らせ。役立たずの議論もここまでくれば鼻で笑える案件だ。


 今日もお綺麗な白い着物に白い袴姿で現れた焔さん。時間通り待ち合わせ場所に来た彼とハイドに降りたが、未だレリックの姿は見えず、バクを潰して歩いている。ハイドの良い所と言えば暑くないこと。それに尽きる。


 自論も一般論も展開できずに終わった会話にこれといった意味もない。正に無駄話。夏の暑さにやられた私の妄言と言ってもいいだろう。


「なぁ天明、哲学ってなんだ?」


「理性的な学問のことだ。もしくは個々人の人生観」


「はー、じゃあ道徳は?」


「社会の秩序を保つために守るべき行為だな」


「なんかめんどくせぇな人間って。それ、いつも考えてるのか? ちったぁ頭を休めようぜ」


「考えることをやめた時、人は獣になるぞ」


「人間って極端すぎるだろ」


 筆先を地面に這わせながら歩く焔さんは平然と(ザ・タワー)に答え、私はなんとなくガントレットを揺らしてしまう。哲学とは、道徳とはって聞かれてそんな答えられるもんかね普通。


 視線が合った焔さんは、今日も意地悪く片頬を上げた。


「どうした焱ちゃん」


「焔さんって頭がいい人ですか」


「藪から棒だな。褒めても炎しか出せないが?」


「何も出さなくていいです。(ザ・タワー)の質問に答えていたのが意外だっただけなので」


「あぁ、まぁ習慣の結果だろうな」


「習慣」


「辞書を読むのが好きでな。改定される度に買うんだ。言葉の意味を知っていた方が書を書く時も良い」


 なんともまぁ高尚な趣味なことで。


 計画性なく質問した私は「国語の点数よさそうですね」なんて返事をし、「国語は苦手だ」と返されて再び疑問が増えるのだ。察したように焔さんは指を鳴らす。背後では彼の墨にたかっていたバクが燃えた。


「漢字テストならば得意だが、国語は言葉の意味だけでなく心情理解なども求められるだろ。あれは無理だ。さっぱり分からん」


「さっぱり」


「あぁ、心情を理解して欲しいなら作者の手書き原稿を問題用紙に載せてくれと教師に言ったこともあるが、却下されたな」


 焔さんは筆を肩に担ぎ「あの教師とは相容れない」と息を吐く。こんな生徒を持った先生は可哀想だな。


 焔さんは言葉の意味を知りながら、綴る文字の奥に獣を隠すのか。それは必死に道徳を守り、檻の中で大人しく牙を研ぐ肉食獣だと思えなくもない。


 この人は怖い。人の心情を理解できないと本人が言うように、我が道だけを歩む強者だ。


 苛烈に燃えて、鋭く線を引き、人を「焱ちゃん」などと呼ぶ頭のおかしい人。


 そんな人は、影法師(ドール)に何を願ったのだろうか。


 少しだけ浮かんだ疑問だが、先生の時のように口にすることはない。したところで、という話だ。


 無駄にこの人を刺激しない方がいい。爆発されても困るし、それだと近くにいる私への被害が絶大だ。


「ん、」


「ぁ、」


 などと思った矢先に、これである。


 私達の進行方向から、一人の猫がやってきた。


 お面で顔を隠した性別不詳者。切り揃えた白髪を揺らし、連れた影法師(ドール)は頭の先からフードを被った魔術師(ザ・マジシャン)


「あっれー! 焚火ちゃんと天明くんじゃん! もー、ハイドに行くなら自分も誘ってよね!!」


 底抜けに明るく手を振った夕映零さんに対し、焔さんは無言を貫く。


 跳ねながら距離を詰めた夕映さんはしなやかに私の肩を抱いた。同時に私の腕は焔さんに掴まれる。


「やっだもー天明くん、まーだ自分のこと怒ってるの? 器の小さい男だな!」


「零さんは己の行動を振り返るべきだろう」


「自分ってほら、自由人だから! 自分が面白いことしかしたくないの!」


「それに他人を巻き込むな」


「巻き込んだ方が面白いじゃーん」


 やいやいと頭の上で陽気な声と陰気な声がぶつかり合う。


 私は魔術師(ザ・マジシャン)を一瞥して、今日はきっとレリックが来るんだろうなと予想した。影法師(ドール)が三体もいるんだし。


「焚火ちゃん」


 背後から頬を撫でられ、冷たい月光が頭上で微笑む。


 ユエさんも分かってる。(ザ・タワー)だって、魔術師(ザ・マジシャン)だって知っている。


 止めたいならば貴方達が止めてくれ。私は壊してしまうから。化け物は怖いから。


 残影に届くのは、同じ影である、貴方達の声だけだ。


 ユエさんに答えなかった私は夕映さんへ視線を向ける。猫のお面を消した光源は、先生と似た笑顔を浮かべていた。


「どうしたの? 焚火ちゃん」


 聞くべきか、聞かざるべきか。


 逡巡した私は、自ら地雷を踏む道は選ばなかった。


「なんでもないです」


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