篝火焚火は反省中
「浮気か」
「そのネタ好きなんですか?」
趣味が悪いな。
着流し姿の焔さんに笑顔で溜息をついてしまう。この男が我が家を訪れたのは十七時。いつもハイドに行く約束の時間。
しかし今日、私達はハイドに行かない。
そう焔さんから連絡があったからだ。
こちらとしても今日は疲労が溜まっているし、私は既にハイドに行ったので構わない。なぜ行ったのかと問われれば稲光さんと夜鷹さんを家に届ける為だが、そんなことをこの男に説明する必要はないだろう。
稲光さんと夜鷹さんはそれぞれの影法師が家へ連れ帰った。ハイドを通るという選択は正解だ。ジキルを通れば〈眠る子どもが空中浮遊!〉とニュースに取り上げられる案件だからな。その道中でバクを壊して回る係が私だった。流石に今回はこちらに非があったので請け負った次第である。
などという回想を一人で行う。二人を届けて帰宅した時、連絡をくれたのが焔さんだ。惨事の部屋を片付けていた私としては怖い男からの連絡など見たくなかったのだが、お休み連絡だったので力が抜けた。今日の精神状態で怖い男に会っていたらこちらの胃に穴が開くと思ったのだ。
いや、穴が開いても塞がるか。今の私ならば。
などと空笑いしていたら焔さんが来た。最低である。何事か。
『こんにちは』
『こんにちは、今日お休みでは?』
『休みだが?』
駄目だ会話が成り立たない。そう私は秒で諦めた。
あまり体調がよろしくなさそうな男は人の部屋に来るや否や、台所を視界に入れて眉間に皺を寄せやがった。洗ったコップの数を見てからの発言が冒頭の趣味悪い台詞である。
焔さんは軽く首を振ると、落ち着いた声色で訂正した。
「失敬。友人か?」
「……知人です」
「……」
私は熱い抹茶オレを作る嫌がらせを思いつく。休みだって言ったくせに人の家に来る無礼者にはこれくらいしても許されるだろう。
仕事をするポットの隣にマグを置く。お湯が沸く間に抹茶オレのスティックを意味なく振った。そうしていれば着流しの男は真顔で隣に立ちやがるのだから最悪である。早く沸けよお湯。夏にホットの飲み物を出そうとした私への天罰にしても早すぎるだろ。
焔さんの低い声が耳に刺さった。
「稲光愛恋と夜鷹少年か」
エスパーかよ。怖すぎる。
私と焔さんの間でお湯が沸いた音が響く。お湯と粉を注いで完成した抹茶オレに氷を入れたのだが、贖罪には遅いんだろうな。
焔さんは肩から力を抜き、私はマグを押し付けた。
「どうぞ」
「ありがとう。それで、あの二人は何用だったんだ」
「……」
「……焱ちゃん?」
口を結んだ私に焔さんは首を傾ける。彼の背後には塔が滲み出た。楽しそうにバクをマグへ入れた影法師は鋭い指を私に向ける。部屋の温度が下がったなぁ。
「なんだぁ焚火、元気がねぇなぁ? なんか壊すか? ぱーっと暴れると元気になるぞ!」
「さきほど散々バクを壊してきたので、大丈夫です」
「うん? バクを? なんでだ?」
「……色々あったので」
不思議そうな塔を見て、私は爪先で影を叩く。喋るのに疲れた。代弁者として現れたユエさんのお陰で部屋の温度がさらに下がったな。影法師のお陰で今月の電気代が浮いたりしないかな。などと適当な事を思ったが、流石に気が引けた。私は良い子だから。
良い子……。そう、私は、良い子だろ。
『君は化け物だよ。そして自分も化け物だ。バクを食い、レリックを壊し、己の願いを何としても叶えようとする、強欲の化身なのさ』
違うって言ってるだろ夕映零。
口を結んだ私を気にせず、二体の影法師は浮遊した。
「焚火ちゃんはね、ちょっと失敗しちゃったのよ。それで疲れちゃったの」
「そうなのか。まぁあれだぞ焚火、失敗なんて全部壊せば無かったも同然よ!」
「塔」
ユエさんが背後から私の右頬をつつく。それに習ったように塔は私の左頬をつつき、焔さんに釘を刺されていた。
別にもう解決したからいいだけどさ、壊したら私は化け物になっていたと思うので塔の助言はスルーしよう。
「焱ちゃんが失敗とは、珍しいこともあったもんだな」
私だって失敗くらいしますさ。
喉まで出た反論は影法師たちに頬を押されて出なかった。代弁者ユエさんは楽しそうに笑うのだ。
「焚火ちゃんはね、愛恋と昴に間違ってバクを食べさせちゃったのよ」
「バクを?」
「そ! 盲点だったわよねぇ。焚火ちゃんには見えてるけど、二人には見えてないの」
「全員、自分の視界を信じ切っていたという話か」
「あら天明、いい言い方ね! そういうことよ!」
陽気なユエさんと真顔の焔さんに傷を抉られている気がする。
私は明後日の方を向き、我慢できなかった溜息が零れる。言い訳はしませんよ。
右の頬をユエさんが押す。真似るように塔が左頬を押す。
「それで零が来て、魔術師も来てくれたわ! 愛恋と昴は無事よ。零が悪魔と吊るされた男を自由にしてくれたの!」
「お、そりゃぁ良かった! アイツらも眠っとくのはつまらねぇだろうしな」
「ほんとよ~。愛恋と昴もまた光源になったの! これで一件落着ってやつね!」
「光源が増えるのはいい! 光が増えるのはありがてぇ! だが、けっきょく零はなんで悪魔と吊るされた男を眠らせてたんだ?」
「そこについては知らないわ? ほら、零って秘密主義でよく分からない所があるでしょ?」
「封寿とは違う感じだもんなぁ」
「魔術師も何を考えてるか教えてくれなかったし、不思議だわぁ」
むにむにと。
人の頬を弄びながら影法師どもが喋る。口だけ動かせコノヤロウ。両サイドからいじられる私の頬が可哀想だろ。
塔の凶悪な爪で傷でもつくかと思ったが、一応そこは配慮しているらしい。破壊の影法師なのに。
二体は変わらず、私の頭上で会話した。
「封寿と零は違う価値観なんでしょうね。零は魔術師にも協力してないみたいだし」
「はー、魔術師が何かしちまったのかね。零の家には元から影法師の伝承があったんだろ? 俺達への理解ならあると思うんだがなぁ」
「愛恋が言ってたわ。零は影法師に怒ってるみたいだったって」
「そりゃまた何でだよ」
「知らないわ。零ってほら、不思議な子だし」
「やっぱりそこに行きつくんだな」
真面目なのかふざけているのか分からない二体に再度息を吐きたい。が、口内の空気が減ると容赦ない指が深く埋まって頬が危険な気がした。
なので逆に、頬に空気を少し溜めて弾力を減らす。小さな小さな抵抗だ。ユエさんは「あら!」と楽しそうに指の勢いを強めたので、口から空気が出るという間抜けな結果になったのだが。塔も容赦ないし。畜生、失敗した。唇にも力を入れておくんだった。
「ふっ……」
私が影法師に遊ばれる前で、焔さんの袖が揺れる。
視線を上げると、明後日の方へ顔を向けた焔さんがいた。
私は彼の横顔を凝視し、男の口元は着流しの袖が隠していく。
……。
再び空気を溜めると、影法師に頬を押されて口から漏れた。間抜け極まりない音と共に。
焔さんの袖は横顔を全て覆い、微かに揺れる着物が感情を表していた。
他人の気持ちが分からない影法師たちも、今はちゃんと理解したらしい。
「天明のツボって面白いわぁ!」
「焚火もおもしれ―ことするよーなー」
「そろそろやめてくれます?」
***
ユエさんと塔には影に帰ってもらい部屋の温度が戻る。私と焔さんが見るのは、稲光さんと夜鷹さんとのやり取りをメモしたノートだ。
「今の課題ってレリックの対応だけであってます? 朱仄さんからの影法師剥奪は焔さんの課題ですよね?」
「そうだな」
「よかった」
確認を取って朱仄さんの件に堂々とバツをつける。この人のことは焔さんが何とかするんだ。関わらんとこ。燃やされたら困るし食いちぎられるのも嫌なのでね。
そこまで大きくない折り畳み机を囲み、焔さんの目は食い入るようにノートを見つめていた。そんなに状況把握したかったのか? ならもう少しまともな顔してくれよ。なんで片頬上がってんだよ。鳥肌立ったわ。
私は焔さんの顔を見ないようにし、レリックの対応については〈保留〉と書き加えておいた。
「稲光愛恋と夜鷹少年はレリックについて何か言っていたか?」
「話したのは光源に戻る前だったので、情報共有しかしていません」
「そうか。零さんは?」
「レリックについては話してませんし、見解を聞いてもいません」
「魔術師と一緒にレリックを壊しているのがあの人の回答、となるか」
「そうですね」
口にして、喉にかかった指の圧を思い出す。
『そうですねって言いなよ。焚火ちゃんの口癖だ。いつでも他人に合わせられる、自分の意見がない君の言葉なんだから』
握っていたボールペンを見下ろして、自分の喉を摩る。マグに口をつけていた焔さんの視線を感じたが、私は彼の方を見ることが出来なかった。
机を撫でれば倒れる二人の姿がフラッシュバックする。
私はグラスにバクを入れた。何の迷いもなく毒を盛った。それが当たり前だと思って行動した。
言い訳はしない。私は無意識に、自分の視界だけを頼って二人をぶっ倒したのだから。
私が見えているものが、私の当たり前が、二人にも見えている当たり前だと錯覚していたんだ。
「焱ちゃん」
顔を上げると焔さんの黒い瞳と視線がかち合う。私は反射的に笑ったのだが、残念。疲れた頬は直ぐに下がり、満点笑顔は落ちてしまった。
焔さんの綺麗な指は、雑な私の字を撫でる。
「元気がないな。倒した二人の件か?」
「えぇ、まぁ……」
一度口を閉じる。
もごついて、考えて、息が詰まる。喉の奥に溜まった言葉たちを呑み込み切れない。
これは、吐かねばいけないだろうか。
私にだって意見はあるんだって、この場に居ない人に示す為にも。
自分の意見を……気持ちを言えば、楽になるだろうか。
私は真心くんを掴み、ずるずると膝に乗せた。
「……反省、していたんです」
「そうか」
「焔さんが言われた通り、私は自分の視界を信じ切っていました」
「あぁ」
「異変が起きるまで自分の間違いにも気づきませんでした。それに……」
「……それに?」
「……それに、私、やっぱり駄目だったんです。倒れた稲光さんと夜鷹さんを見て、助けたいとか、直ぐに浮かばなかったんです。私が見えない場所で死んでくれって思ってたんです」
「ほぉ」
「私が見える場所で死体になってほしくなかった。そしたら私が化け物になる。高架橋から落ちた焔さんを想像した時のように、私は、皮膚を、剥ぎたくなってしまう」
「中身を見たい、だったか」
「えぇ、えぇ、そうです。私は……そう、そうです」
下瞼から重たく雫が落ちていく。
頬を流れて、顎を伝い、引き寄せた真心に落ちていく。
この子に涙が染みたって、なんの意味もないのにさ。
「……心に、触れたいんです」
言葉にすれば、涙の重さが増してしまう。
「こころが見たいんです」
声が震えて、情けなくなる。
「こころが、ほしいんです」
一度目を伏せて、ゆっくり上げる。
溜まった涙は流れ落ち、睫毛に部屋の明かりが反射した。
前を向けば、笑わない焔さんがそこにいる。
「だから、心はどこにあると思いますか、と?」
「……皆さん凄いですよね。ちゃんと心がどこにあるか見解を持っているんですから。私は探し続けているのに」
「それもまた、自分の視界を信じ切っている結果だろう」
焔さんの片頬が歪に上がる。
言葉の裏に心があると言った彼の指が、私の文字を撫でている。
「俺には俺の意見があり、俺の見方がある。正直な感想を言えば、稲光愛恋と夜鷹少年が倒れたのはいい気味だと思っているからな」
「……怖い人ですね」
「知っているだろ?」
私は溜息と一緒に涙を拭く。喉を鳴らして笑う男の前で泣くのが馬鹿らしくなったのだ。
焔さんの指は、私の字から離れない。
「そんな怖い俺に比べれば、焱ちゃんは良い子だろう」
……、
「褒められるべきだよ、君は」
…………、
「失敗に気づき、きちんと対処できそうな者を呼んだ。反省もしている。結果的には二人の希望も叶ったのだ。これ以上焱ちゃんが気を揉むことはないだろ?」
………………、
焔さんが瞬きして、笑う。
意地悪な笑顔じゃない。仕方なさそうな、子供っぽい笑い方だ。
その笑顔が滲んで、見ている気も失せて。
目を伏せた私に、焔さんの軽い声がした。
「存外、焱ちゃんは泣き虫だよな」
……うるせぇですよ、怖い人。




