篝火焚火は良い子でいたい
私は優しくない。
人の見えてる部分を全く信用せず、どいつもこいつも化け物を飼っているかもしれないって警戒するんだから。
私はただの良い子だ。人を殴らない、皮を剥がない。口答えしない、満点笑顔で接する良い子。
そうすれば、化け物を刺激しないだろ。
悪いことをしなければ、気味悪がられることをしなければ、私が良い子にしていれば、化け物は近寄ってこないと思ったんだ。
どこにいるか分からない。ならば近づかせないように良い子でいよう。私を捨てた化け物達には失敗してしまったから、今度こそ……今度こそ?
夕映さんに後ろから肩を支えられ、私は眠っている稲光さんと夜鷹さんを見つめた。
この人達が隠した化け物的要素。アルカナから滲んでいた狂気。
その根元を見られれば、私は心に触れられる?
今度こそ、私は心を見つけられ――
「零、駄目よ、そんなことを焚火ちゃんに言わないで?」
「これ以上のバクの摂取を勧めるべきではない」
私の前に膝をついたユエさんと魔術師。ユエさんの手は私の耳を柔らかく覆い、魔術師のローブが稲光さんと夜鷹さんを見えなくした。
私が呼吸を意識した時、夕映さんの声は低くなる。
「愛恋ちゃんと昴くんが焚火ちゃんの所にいたのってさ、多分ルトとイドラについてだよね」
「えぇ、そうよ。悪魔と吊るされた男を自由にしたいって二人は言っていたの」
ユエさんの言葉を夕映さんが鼻で笑う。背後にいる光源は私の髪を軽く梳いた。
「焚火ちゃんって意外とお人好しだよね。自分の家に来た二人にも付き添ってたし、凪の連絡先も聞いてたし? ならそろそろ焚火ちゃんにも見返りがあっていい筈だ。この子だけ何も得られないなんてあんまりだ」
「零、それは焚火が決めることだ」
「この子は自分では決められないだろ。だから自分は背中を押してるのさ」
夕映さんの手が私の背中に添えられる。服越しに伝わる体温は、私に鳥肌を立てた。
「焚火ちゃん、自分はずっと不思議だったんだよね」
私の鳥肌が止まらない。冷や汗が浮いて寒さに包まれる。
夕映さんの言葉は、人が知られたくない場所に触れるから、苦手なのに。
「君はどうして、」
聞かないでほしい、気づかないでほしい。
願うのに、夕映さんには伝わらない。
「――独りぼっちなの?」
一気に世界から音が消える。
自分の部屋が絵画のように遠くなる。
私の喉からは、変な呼吸が零れていた。
ぐにゃりと歪んだ視界には、夕映さんが入り込む。
「真心くんを作る君は何を考えてるの? どうして一人で暮らしてるの? 焚火ちゃんの高校調べたけどさ、別に秀でた学科とかあるわけでもないじゃん。わざわざ家族と離れる意味ある?」
倒れた叔母さん、化け物が入った集中治療室。出て行った母親らしき奴。いなくなった父親らしき奴。私を腫れ物のように扱った祖父母の姿。
脳裏を駆け巡った思い出に、夕映さんの疑問が刺さる。
「ねぇ、君が殺せなかった化け物っていうのはさ――」
やめろ。
抉るな。
掘り起こすな。
私の記憶に、土足で、踏み込むなッ
荒ぶる右手が夕映さんの額を握る。脳裏から滲み出てくる黒い化け物を振り払いたくて、微かに煌めいた包丁から離れたくて。
私は夕映さんを勢いよく床に叩きつける。
相手の髪は衝撃音と共に散らばり、頭を覆ったのは魔術師だ。
「アイツと同じことをさせないでください」
夕映さんの顔から手を離し、襟で隠された首に指をかける。真顔の夕映さんに跨れば、両手に力を込めない方が難しかった。
「私は人でいたい。あんな化け物にはならない」
「言った筈だよ。人は元から、人という化け物なんだ」
私の喉に手がかかる。白魚の指、柔らかな皮膚。それが私の首を微かに圧迫する。
夕映さんの両目は、どこまでも黒く、どこまでも深く、蔑むように笑みを浮かべていた。
「まともな奴なんていやしない。苦汁を呑むのはいつだって良い化け物であろうとする善良な奴さ。自分が思うままに動いた奴は生き生きと羽を伸ばし、自分を抑圧した者は地に伏してる」
「そんなことは、」
「そうですねって言いなよ。焚火ちゃんの口癖だ。いつでも他人に合わせられる、自分の意見がない君の言葉なんだから」
「違う、わたし、私は、」
「そうでしょ焚火ちゃん」
「違う」
「そうなんだよ」
「私は化け物じゃないッ」
「君は化け物だよ。そして自分も化け物だ。バクを食い、レリックを壊し、己の願いを何としても叶えようとする、強欲の化身なのさ」
夕映さんの手に力が籠もる。
私の指にも力が入る。
それでも互いに、相手の首を絞めきることも、折ることも出来なくて。
夕映さんの頬に滴が落ちた。
熱くなった私の目頭が、視界を一気に歪めてしまう。
違うのに、違うのに。私は違う。私は化け物じゃない。化け物になんてなりたくない。化け物なんて飼ってない。
もしも私も化け物だったなら、どうして母らしき化け物に捨てられたんだ。どうして父らしき化け物に無視されたんだ。
同じ化け物に捨てられてしまったならば、私は何処に行きつくんだよ。
行きついた先が、この部屋なのかよ。
寒くて独りぼっちの、この場所なのかよ。
ぼたぼたと、落ちる涙を止められない。震える嗚咽が唇を揺らし、息苦しさが胸を圧迫する。
這い上がった罵倒がある。お前だって、お前だって兄に捨てられたんだろって。化け物だから捨てられたんじゃないかって。お前が化け物だったなら、私は喜んでこの首へし折ってやるのに。ガントレットを使って、掌に、お前の死を刻んでやるのに。
かき混ぜられた思考は涙になって溢れ出る。酷い言葉も、震える腕の熱さも、良い子の私が押し留める。良い子だから、間違えない。良い子なのに……迎えが来ない。
どうして、どうして、あぁどうして……。
「どうして……」
顎を伝った熱さで火傷したい。目なんて溶けて落ちてしまえば、何も見なくてよくならないだろうか。眼底から心も一緒に出てこないだろうか。胸を掻き毟りたくなる衝動が、いっそ発火して、爆発して、消えてしまえば楽なのか。
動けない私の涙を拭ったのは、首から離れた夕映さんの指だった。
「なんだ、君……泣けるんじゃないか」
そんな台詞と一緒に夕映さんが体を起こす。
満面の笑みを浮かべた人間は、私の涙を拭いて、前髪を撫でるんだ。
弓なりになった黒目は感情を隠し、陽気な声が部屋に響く。
「ごめんごめん、意地悪もここまでにしておくよ。あまりにも焚火ちゃんがしおらしくて面白かったんだ!」
「夕映さ、」
「帰るよ魔術師。ルトとイドラは元に戻してあげる。でもさっき言った通り、二人と再契約するかどうかなんて自分は知らないからね? 影法師が逃げたら、その時は潔く愛恋ちゃんと昴くんの皮を剥いじゃえよ」
私を退かした夕映さんは立ち上がり、一度頭を撫でて玄関へ向かう。魔術師も私の頭をひと撫でし、ユエさんが肩に手を添えてくれた。
靴を履いている夕映さんは、底抜けに明るく喋り続ける。
「それからありがとう、焚火ちゃん! おっちょこちょいな君のお陰で自分は面白い知識を得られたよ」
「なに、」
「光源ではない人間にバクを食わせたら、どうなるか」
軽く振り返った夕映さんの顔には、綺麗な髪がかかっている。そのせいで表情が窺えない。口元は弧を描いている気もしたけど、それは錯覚かもしれない。
立ち上がった私よりも早く、夕映さんは玄関を開けた。
「絶望させてからの心中なんて、最高だね」
扉が閉まる。数秒遅れて開けた廊下には、誰もいない。
私は自分の影を見下ろしてから、部屋の温度が下がった事に気が付いた。
戻ればそこには黒がいる。倒れた二人に寄り添う影がいる。
黒い長髪の先を床につけ、褐色肌の手で稲光さんの頬を撫でる悪魔。
背面で縛られた手を握り、銀の短髪を夜鷹さんにすり寄せた吊るされた男。
「ルト……イドラ、」
「よぉ、焚火」
「久しぶり、おはよう」
笑った二体は直ぐに稲光さんと夜鷹さんに顔を向ける。
微かに瞼を上げた稲光さんは、ルトを見て目を丸くしていた。
「ると……」
「はっはぁ、びっくりしたなぁ、かぁいい愛恋」
「ると、ルト? ほんとに……ルト?」
「あぁ、ルトだぞ~。ほら、起きようなぁ」
ルトが稲光さんを抱き上げて自分の膝に乗せる。対格差的に子猫を抱くような仕草だ。ルトの鋭い手は稲光さんの張り付いた黒髪を柔く払う。
稲光さんの両目からは涙が零れ、白い手が一生懸命ルトの服を握っていた。
「昴、聞こえているかい?」
「……ぃ、どら?」
「そう、イドラだよ。ほら昴、もっと私を呼んでおくれ」
「イドラ……いどら……おれ、怒ってる、から……」
「それは困ったね。でも昴、ぜんぜん怒った顔をしていないよ? 良い子の昴、優しい光。ほら、起きられるかな?」
笑うイドラに対し、夜鷹さんは顔を歪めて上体を起こす。鉛でもついたような動きを目で追えば、少年は影法師の胸元へ倒れ込んだ。
イドラが夜鷹さんの旋毛に頬を寄せる。甘えるように、それが当たり前のように。
ルトは稲光さんの頭を撫で、鋭い歯を見せて笑っていた。
「さぁ愛恋、喋れるか? 実は俺、いま迷っていてなぁ。愛恋を見捨てるのは惜しいんだが、お前を光源にするのもどうかと思って、」
「ル、ト」
瞬間、稲光さんの空気が淀む。
小柄な少女からは冷たい空気が滲み、ルトは首を傾げていた。影法師の黒髪が稲光さんの髪と混ざり、少女の肌の白さだけが浮いて見える。
「わ、わたし、もう、奪われるの……嫌、ぃやなの」
「……愛恋、」
「はな、はなれ、ないで。嫌だよ、ルト……わたしの願い……忘れ、なぃで」
肩を震わせる稲光さんはルトの胸元に顔を埋めた。泣いている少女に影法師は息を吐き、吊るされた男を確認する。
イドラは夜鷹さんの旋毛に頬擦りしたまま、薄く口角を上げていた。
「昴、私はね、私がいなくても君の願いは叶うと思ったんだ。だから離れたんだけど……どうしようか。昴が苦しいのは嫌だけど、君を再び光源にするのは、」
「そーいう、勝手……ほんと、ムカつ、く!」
頭を動かした夜鷹さんは、振りをつけてイドラの顎に頭突きをする。冷や汗を散らした少年に対し、イドラは肩を揺らして微笑むばかりだ。
夜鷹さんの手は、切れたイドラの鎖を握る。
「俺の願いとか、きもちを、イドラが決めるなッ」
「昴、でもね、」
「でも、禁止!」
再び夜鷹さんの頭突きがイドラに入る。上体を揺らした影法師は飄々と笑い続けるのだ。対する少年は吐きそうな顔をしているのに。
「怒られてしまったよ、悪魔」
「だなぁ、吊るされた男」
怒りを向けられる影法師は、何がそんなに楽しいのだろう。
大事そうに人間を抱いて、身を寄せて、もう一度を願う子どもを笑うんだ。
「かぁいい愛恋、お前は俺ともう一度契約するか? 願いはそのままでいいか?」
「いい、いいよ、お願い……ると」
「良い子の昴も、大丈夫かな? 再び私を君の影に匿ってくれるかな?」
「もち、ろん……イドラが、それで……たすかるなら」
冷や汗を浮かべた二人は、目を閉じる。
ルトとイドラは口角を上げたまま、仕方なさそうに背中を丸めた。
「「ならば再び――聞き届けた」」
凍える空気が混ざり合い、稲光さんと夜鷹さんから力が抜ける。
意識を手放した二人を大事に抱え、ルトもイドラも笑っていた。
「……二人は」
「だぁいじょうぶよ、大丈夫。契約は終わったわ。ほら、髪を見て?」
ユエさんに促され、私の視線は稲光さんの髪を映す。白くなっていた根元は徐々に黒く戻り、夜鷹さんの髪からも青が消えていった。
その変化に、私の体から力が抜ける。
しゃがみこんだ私に、三体もの影法師が慌てていた。
「うお、どうしたぁ!? 焚火も体調おかしくなったのかぁ!」
「あらあらあら、焚火ちゃん、焚火ちゃーん!」
「おや、焚火。昴と愛恋はもう平気だよ。大丈夫、大丈夫だからね」
冷たい空気に前後左右覆われる。ベッドに寝かされた稲光さんと夜鷹さんを見て、私は俯いてしまう。
床を見る私の目からは、残っていた涙が落ちてしまった。




