篝火焚火は無意識だった
「レリックを止める? そんなことしたいの?」
「私はする気ないです」
夜鷹さんの言葉を否定してオレンジジュースを飲む。稲光さんは軽く首を傾けつつ、控えめに個包装のお菓子を開けていた。
私達は座卓を囲み、ノートを開いて現状を整理する。その中で私は愚者のことや夕映先生のことも報告しておいた。先生の名字は伏せて、端的に。二人はレリックを壊さない話に若干の食いつきを見せたので、やはりお優しいと思うんだよ。嫌になるね。
ボールペンをノートに走らせるのは焔さんの行動と重なって、なんだか無性に怖くなった。こうしてただ文字を書けばいいのに彼は何考えて書き物してるんだか。
『次、俺と祀が会った時は……俺を、止めてくれるな』
彼の言葉を思い出し、書き出した事項のひとつにバツをつける。
〈朱仄さんからドール剥奪〉
チョコレートを咀嚼した稲光さんは、白い指でバツのついた項目を指した。
黒く大きな目が私に問いかける。言葉なく、雄弁に。なぜ消したのかと。
「これは焔さんが担当する事項です。私達が何かする必要はありません」
「ほ、焔さんが?」
「はい」
稲光さんの目を見返した状態で告げる。彼女は一度だけ瞬きすると、小さく頷いてくれた。
「わか、分かった」
「……恋さん」
「いい、いいの。いいんだよ」
何か言いたげな夜鷹さんに稲光さんが笑う。彼女はバクの混ざったオレンジジュースに口をつけ、夜鷹さんも飲み物と一緒に意見を呑んだ。だから私もそれ以上なにか言うことはせず、ボールペンでノートを叩くのだ。
単純な作業工程で付加されたことが多すぎる。なにから手を付けたら良いのか分からなければ足も重くなる。だから手を出さなくて良いことがあるなら関わらないのが一番だ。
焔さんだって望んでない。彼は朱仄さんと向き合って、審判を引き剥がさなければならないと燃えているのだから。類は友を呼ぶってか。
夜鷹さんはノートを指差し、〈レリックの対応〉を叩いていた。
「これについても、今の俺と恋さんが考えても仕方ない事だよね」
「そうですね。ただの情報共有のつもりでお話ししたので」
「わた、私達の目的は、こっち」
稲光さんが示したのは〈ルトとイドラの解放〉
私はボールペンのノック部分を顎に当て、直ぐに追記を始めた。
「そのカードの状態について知識があると思われるのは四人ですね」
私は名前を書き綴る。
〈夕映零 日車嵐 日車凪 先生〉
その中でも先生の前には三角の印をつけておいた。あの人は影法師に関することを深堀すると面倒な予感がしたのだ。大人のツラを剥がしたい状況ならまだしも、真面目な解決場面において役に立つ人なのかは判断しかねる。こんなこと思ったら失礼か。
いや、でも多分、あの人は夕映の家に関して良い記憶がないんだろう。そこをつつきすぎると過呼吸でも起こされそうだし、今はまだ触らないでおこう。
稲光さんが少しだけ口元を覆う。私はその仕草を視界に入れつつ、夕映さんの名前をボールペンの先でついた。
「一番は夕映さんが魔法を解いてくれることですかね、やはり」
「だろうね。でも恋さんが連絡しても出てくれなかったよ、あの人」
「夜鷹さんがしても?」
「ダメだった……」
悔しさの滲んだ声に、私は笑顔を向けてやる。少しだけ顔色が白く見える少年は眉間に皺を寄せていた。
「その落書き笑顔やめてよね」
「落書きとは失敬では?」
こんな満点笑顔を落書きだと? たしかに書きやすそうだとか何だと言われたことはあるが、落書きはないだろ、落書きは。
私はコップを回してオレンジジュースと溶け切っていないバクを混ぜる。夜鷹さんは溜息と共に机へ体重を預け、コップに口をつけていた。
スマホを持った私は夕映さんとのチャットを見返す。あの人は文面でも飄々としてるんだよな。仕方ない。
「面倒になってきたので今電話します」
「面倒とか正直に言うんだ」
「事実です。私はルトとイドラとそこまで会話したことないので、お二人ほど思い入れがないんですよ」
私はスマホを耳に当て、コール音を聞く。日曜日は専門学校も休みだと思ってるんですけど。出てくれないかなぁ。
「そ、それでも、」
か細い稲光さんの声がして、私は見る。
顔色が悪くなった少女を。
冷や汗を浮かべ、頬に少しだけ黒髪が張り付いた女の子を。
そんな状態で笑っている稲光さんは、半分以上が空になったコップを両手で握っていた。
「協力してくれて……ありがとう。焚火、ちゃん」
彼女の小さな手が軽く揺れ、顎から汗が落ちる。
私はすぐさま夜鷹さんも確認し、深呼吸をしている少年に目を見開いた。
彼はゆっくりと机に上体を伏せ、震える手が襟元を握り締めている。
耳元のコール音が、一気に鼓膜から遠のいた。
「稲光さん?」
「ごめ、ごめん、ね。なんだか、気分が……」
「夜鷹さん、」
「……ぉれ、も」
滑るように、二人の体が崩れ落ちる。
稲光さんの指が引っかかったコップが傾く。
夜鷹さんが払ったコップからオレンジの液体が机に流れる。
私は飲み物に残ったバクを見て、体の中心から凍り付いた。
自分の行動が一気に脳内を反芻して、気道が締まる。
私は稲光さんと自分のコップにバクを振りかけた。夜鷹さんのコップにも黒を入れた。
それは完全に染み付いてしまった行動。平然と影法師について会話して、光源の話をしていた中での無意識。
『あ、ありがとう』
『いいえ』
あの時、稲光さんは何にお礼を言った? バクを入れたこと? 違うだろ。あれは準備を整えた私に対する言葉だ。
だって今この二人は光源ではない。バクはいらない。痛覚もあれば味覚もある。負を摂取する意味がない。
それでも私は平然と行動してしまった。影法師が見えないように、バクも見えていないであろう二人に対してッ
「ユエさん!」
「はぁい」
影から現れたユエさんが稲光さんと夜鷹さんを見る。その瞬間、彼女の顔から笑みが落ちた。
彼女はすぐさま二人の元に近づき、私の耳元で電話が繋がる。
「はいはい零さんですよ~。どうしたのかな焚火ちゃん? ずっと鳴らしちゃってさー。もしかして、」
「夕映さん!」
「ちょっと電話越しで元気良すぎ!」
「光源でない人間がバクを食べたらどうなりますか!」
私は倒れた稲光さんの頬に触れる。そこは影法師に触れたように冷たくなり、まったくもって季節外れだ。
電話越しの空気が変わった気がする。私はスピーカーにしたスマホを床に投げ、いそいで水を準備した。
「すぐ行くよ、焚火ちゃんの家?」
「そう、です!」
「分かった。ハイド通っていくから一回電話切るよ」
夕映さんとの通話がそこで切れる。私は無機質な音を聞きながらペットボトルの蓋を開け、倒れた二人を見比べた。
飲み物の減り方からして、より多くバクを飲んでいるのは夜鷹さんか。
私は彼の上体を抱え、水の飲み口を唇に当てた。
「飲めます? 取り敢えず胃の中の物すべて吐いて下さい! 夜鷹さん、聞こえてます!?」
「駄目よ焚火ちゃん、聞こえてないわ。それに、たぶん吐いても遅いの」
「ユエさん、ッ」
彼女が抱き起こした稲光さんを見る。彼女は髪の生え際が白く変色しており、肌の色も透けるように白くなっていた。
夜鷹さんの髪を見れば根元に青が混ざり始めている。私の体からは温度が抜け落ち、指先が震えた。
バクは人間の負の感情。それは本来ユエさん達、影法師が食べるものだ。
影法師は化け物。その化け物からアルカナを分け与えられた光源も同じ化け物。だからバクを食べて問題ない。アルカナを使う為にはバクがいる。燃料がいる。
だけど稲光さんと夜鷹さんには不必要だ。二人にはアルカナがない。正しい燃料じゃない。
車に正しくないガソリンを入れたらどうなるんだっけ。ストーブに違う燃料入れたら爆発するんだっけ。単三と単四の電池を間違えたら、まず綺麗にはまらなくて、動かなくて。
自分の呼吸音が一番大きく聞こえる。うるさくて集中できない。心臓があまりにも早く動きすぎて吐き気すらしてきた。
「……――びちゃん、たきびちゃん!」
ユエさんに強く呼ばれて意識が戻る。私は夜鷹さんの肩を握り締めており、ユエさんは稲光さんの額に手を置いていた。
影法師は、笑う。
月が微笑む。
それは初めて会った日と同じ笑み。
全てを許し、癒すような、正しく月光。
「二人はまだちゃんと息をしてるわ。この量なら死にはしない。でもどうなっていくかは私も分からないの」
「ゆえ、さん……」
「だぁいじょうぶよ、大丈夫。だからお願い、焚火ちゃんまで息を止めないで?」
私は意識して深呼吸を繰り返す。ユエさんは頷き、私の視界が元に戻ったところでチャイムが鳴った。
ユエさんの影が夜鷹さんを抱える。私は玄関へ走り、鷹のお面をつけた夕映さんを見た。
今日も男か女か分からない。切り揃えた髪が揺れて、お面を外したと同時に翼が消える。
「やぁ、酷い顔だね、焚火ちゃん」
その言葉に、私はどんな表情をしたのか。
自分の顔など、今は考える暇などなかったんだ。




