篝火焚火は冷えていく
「い、いた、た、焚火ちゃん」
「いらっしゃいませー」
夕映先生とファミレスで会った翌日。もしくは脱水症状を引き起こした焔さんを暫し安静にさせ、解散した次の日。
今日も怖い筆使いはハイドに一緒に行くのだろうかと思いながらバイトをしていると、小柄な女の子に声をかけられた。
いやまぁ稲光愛恋さんなんですけどね。
連絡もなく登場した彼女は一枚のカードを両手で握っている。私は彼女が入店した時から見つけていたので広くもない店内を逃げていたんだけどな。経路ミスったな。
明らかに誰かを探している様子だった稲光さんは、私を見た瞬間に空気を明るくさせやがった。安心した表情で駆けてくるんじゃないよ。こちとら在庫補充中だったんですけど。何用でしょうか。マスク買います?
「何かお探しですか?」
「ゆ、夕映、夕映さんと話、出来たかなぁって。きに、気になって」
「出来てないですね」
話したのはお兄さんの方ですから。
弟だか妹だか分からない魔術師の光源とは会ってすらいませんね。
などという説明は省略し、必要最低限の情報だけ伝えておく。色々つけ足すと説明がややこしくなるから、ほんとに。関わる人数が増えると碌なことにならないんだ。こと光源においては特に。
私の言葉で稲光さんの肩が見るからに下がる。黒い髪で顔を隠しつつ、大きな目を伏せた彼女は可愛い部類に入るのだろう。ハイドで作っていたものは私が知りうる可愛いとはかけ離れていたのだが。
彼女の服装も「鮮やか」とか「ふわふわしてる」とか、そんなことは一切ない。本当に落ち着いた色合いで、彼女の家たる雑貨屋では少々浮きそうなくらいだと感想が浮かんだ。生まれた家に即した趣味嗜好になるなんて幻想か。それを好きでいるか、それしか知らないならば話は別かもしれないが。
どうでもいいことを考えていた私は、項垂れた稲光さんの声で意識を戻した。
「ご、ごめんね……催促する、みたいで」
「いいえ、別に」
稲光さんが持つカードに視線を向ける。彼女もそれには気づいたようで、絵柄が見えるようにしてくれた。
描かれているのは悪魔――ルトの姿だ。山羊の頭にコウモリの羽を持った動物と一緒に描かれており、笑っていない横顔が印象的だ。どこが薄暗さを感じる構図である。稲光さんによると、夕映さんから回収できて以降ずっとこの姿なんだとか。
「い、イドラもそうで……昴くんも、元気ないんだ」
眉間に皺を寄せた稲光さんはいじらしそうに俯く。何も感想が浮かばない私はお客様に向ける笑顔をキープしており、稲光さんもそれ以上話題を広げることが無かった。
ただ口を何度か開閉させ、顎を引いて黙りこくる。暫し動かなくなったかと思えば再び顔を上げ、やはり何も言わないことを繰り返した。
どうするかな。私はこの状態のルトとイドラに最適な行動なんて知らないし、魔法使いである夕映さんに連絡して穏便に済む予感もしないし。いや、三人で勝手に会ってもらえば万事解決なのではなかろうか。夕映さんが魔法を解いて、稲光さんと夜鷹さんは大満足。
……駄目だな、凍死者でも出そうな凄惨な現場になる予感しかしなかった。しかし私がお膳立てすればスムーズに解決するのかと言われたらそれも在り得ないと思うしなぁ。
稲光さんと互いに思考タイムに入ってしまう。そんな私はふと視線を移動させ、何の気なしに彼女の向こうの通路を見た。
そこに立つ店長と目が合う。そりゃもうガッツリ。確実にこちらを見てますよと言ってるあの表情。いったい君の交友関係はどうなっているんだと困惑した雰囲気。
私の背筋にはドッと冷や汗が浮かび、口が勝手に回っていた。
「すみません仕事中なので終わってから話の続きをしてもいいですか」
ちなみにここで「仕事中だから帰ってください」と言わなかったのは、稲光さんが引かないと直感したからだ。この人意外と強情な所がある。
だから後で話を聞くスタイルにしたら、明らかに稲光さんから花が飛んだ。そりゃもう嬉しそうに。
「あ、ありがとう、焚火ちゃん」
何度も頷いた彼女は店を後にし、私の口角は引きつってしまう。
ぎこちなく店長を確認すれば、ゆっくり両手を横に広げていた。セーフってか。こちとら確実にアウトだわ。
「……めんどくせぇ」
止まっていた仕事を再会させた私を、影の中でユエさんが笑っている気がした。
***
「突撃バイト訪問って流行ってるんですか」
「は、流行ってないと思う、よ?」
絶対嘘だ。バイトに突撃してきたのは貴方で三人目なんですよ稲光さん。
私の家に稲光さんを連れて行き、適当な飲み物とお菓子を準備している現在。稲光さんは両手で真心くんを抱き上げており、私は台所で個包装のお菓子袋を開けた。皿にはもう移しません。面倒なので。
光源になってから来客が増えた。お陰で常備している飲み物やお菓子も増えた。適当に一人で生きられる程度にまとめていた台所が、私ではない誰かの為に変わっているのだ。おかしいな。こんな予定はなかったんだけど。いつからどうしてこうなった。
準備が整えば、稲光さんは瞳を輝かせながら真心くんを掲げた。
「か、かわ、可愛いね。すごく可愛い」
「ありがとうございます。鋭意制作中の抱き枕、真心くんです」
「ま、真心くん!」
雑貨屋で生活している彼女に真心くんを見られるのはなんだかむず痒い。それでいて稲光さんに「可愛い」判定をされて、それは素直に喜んでいいのかも疑問を抱いてしまった。いやでも可愛いよな真心くんは。撫で心地抜群だろ。
稲光さんは満面の笑みで真心くんを撫でていた。私は彼女と自分のコップにバクを振りかけ、三人目のコップにも黒をまぶす。
「あ、ありがとう」
「いいえ」
目と口を糸にした時、鳴ったチャイムに気分は下がった。怖いなぁ……。
玄関を開けて、立っていたのは茶髪の少年である。
「こんにちは」
「こんにちは、恋さん返してもらいに来ました」
「別に奪ったり貰ったりしたつもりないんですけど」
「篝火さんって自分の家に他人を引きずり込む天才なの?」
「人聞きが悪い」
開口一番に敵意を投げつけてくる夜鷹昴さん。明らかな冤罪に私が溜息を吐けば、彼も仕方なさそうに入って来た。
「す、昴くん」
「恋さん」
私と会った時は棘みたいな空気だったくせに、稲光さんに会うと花を飛ばす夜鷹さん。お前の忠犬振りは相変わらずだな。大型犬ってよりも小型犬かな。飼い主には尻尾を振るけどそれ以外には犬歯剥き出しで威嚇するイメージ。ところで私の部屋で二人の空気作るのやめてもらっていいです?
「言ってくれれば俺が篝火さんの所に行ったのに」
「た、頼ってばっかりは、駄目かなって」
「そんなことないよ。恋さんのお願いなら何でも、喜んで」
「あり、ありがとう。今日も急に連絡して、ごめんね」
「気にしないで。俺こそ連絡してくれてありがとう」
駄目だ既に胃もたれしてきた。
私はバク味のオレンジジュースを胃に流し込み、感じない酸味を求めてしまう。マジでコイツらは花畑にでも生きてんのか? しかも綺麗な花じゃない。周りを踏み込ませない毒花の真ん中で笑っていやがる。こっちが下手して近づこうものなら毒の餌食だ。
触らぬ神に祟りなし。だから私も稲光さんとは接触したくなかったのに、向こうから来られたら逃げる道もない。邪険に扱っても丁寧に扱っても彼女の背後にいる夜鷹さんが牙を向くのだ。最低な番犬である。
私が笑顔で窓の外を見ていれば、夜鷹さんの声がした。
「それで、篝火さんはイドラとルトを自由にしてあげる方法を知ってるの?」
「知りません。なので私を頼られてもって感じですね」
「夕映さんと会ってないんだ」
「会ってないです。そちらも音信不通なんですよね。夕映さんも日車さんも」
「う、うん、駄目」
覇気がない稲光さんの姿を見て、夜鷹さんまで元気がなくなる。私は時計を読み、焔さんとの約束の時間までは十分あると確認した。あの人が来るか知らないけど。
『……生徒が光源であるなんて、見過ごせない』
夕映先生の言葉を思い出し、稲光さんと夜鷹さんへ視線を向ける。
二人は既に光源ではない。ルトとイドラがカードから解放されたとして、再び契約できる保証もない。光源に返り咲いたとしても待っているのは戦う道だ。
きっと、先生なら二人に言う。「やめなさい」って。危険な道に飛び込まなくてもいいだろって。先生ヅラした大人は心配するんだ。
でも、私は先生でも大人でもないから。稲光さんと夜鷹さんを止める気なんて無いんだよ。
「稲光さんと夜鷹さんは、そうまでして願いを叶えたいんですか?」
少女の黒い瞳と、少年の茶色い瞳が同時に私へ向く。意思ある目には光が宿り、私の背筋はなんとなく寒くなった。
「かなえ、叶えたいよ。どうしても」
「願いが叶わないなんて、耐えられない」
固い決意がそこにある。そこまでさせる願いが二人の中には芽吹いてる。
何を願ってるかなんて知らないけど、二人の姿は、まるで鏡に映した私のようにも見えてしまうから。
「そうですか」
笑顔で返事をしてやろう。私が二人の立場なら、誰に何を頼んでもユエさんを連れ戻そうと躍起になるんだろうし。カードから解放して再契約を持ちかけるだろうし。今はたまたま、私が頼まれる側と言うだけか。
さてどうしたもんかとコップに口を付けた時、夜鷹さんが「それに、」と続けた。
彼の手は、イドラのカードを撫でている。
「契約できなくても、姿を見せてくれなくても……二人をこの姿のまま放っておけないよ」
私の影が不自然に揺れる。指先が何となく冷えていく。
夜鷹さんに同意して、稲光さんは微笑んだ。
「自由に、自由にしてあげたいんだ。ルトとイドラを。二人に思いっきり、笑って欲しい」
寒さが緩やかに全身へ回っていく。
コップを机に置けば、脳裏で先生の言葉が弾けていた。
『篝火さんは優しいね』
……やっぱり違いますよ、先生。
優しいというのは、友人の為に声を枯らせる焔さんや、化け物を想える二人のことを指すんだから。
「だから、だから一緒に考えてくれる? 焚火ちゃん」
稲光さんの声に顔の皮膚が冷えていく。
腹の底に重たい氷が溜まっていく。悪態が喉元まで這い上がり、力を入れて飲み下す。
自分の事しか考えてない私の、どこが優しいもんか。
頭の芯まで冷えが回った時、私は顔いっぱいに笑ってやった。
「分かりました」




