篝火焚火は垣間見る
私にとって朱仄祀さんの印象は最悪である。
はじめましての挨拶後、前ぶりなく燃やしにかかった相手に好印象を持てというのは無理な話だろ。人間は第一印象が大切だって学校の先生だって言ってたんだぞ。お前の第一印象は頭おかしい奴だ。
いや、光源の人で頭おかしくないと思った人はいないんだけどさ。先生は現在判定中。先生って職業だからといってまともであるなんて等式は成立しないからな。
話は戻るが、私にとって印象最悪な朱仄さんと、彼と知り合いである焔さんの関係はさして興味がない。どうでもいい。
焔さんは朱仄さんの押し付けの偽善を破壊したいとか思ってるのかな。朱仄さんはきっと焔さんのことも分け隔てなく救いたいとか思ってるんだろうな。
互いに勝手にやってろ。光源と戦う趣味はない。私は自分の願いにしか興味がない。
だから今だって、朱仄さんと対峙する焔さんに加勢する気はないのだ。
「消火します。吹き飛ばないでくださいね」
「あぁ、ッ、ごめんね」
耳や腹部を燃やされた夕映先生を抱え、一応焔さんが見える距離まで移動した。先生の傷口は燃え続けていたせいで再生されなかったらしい。再生されたところから燃えていると言った方が正しいのかな。取り敢えず愚者が痛みに背中を丸めていた。
夕映先生は足に力を込め、盾を自分の影に少し沈める。それだけで体を固定できたらしいので、私はガントレットの肘を先生に向け、ソルレットの体勢も整えた。
「行きます」
ガントレットの肘から爆風を生む。同時にソルレットは逆方向に勢いよく風を噴射させ、私の体が吹き飛ぶことはなかった。
凝縮された台風で先生の傷口から火を消しきる。真正面から息も吸えない空気圧に押された先生は、風がやんだ瞬間に咳き込んでいた。火の消えた先生の傷口は直ぐに再生される。良かったですね。
「はッ、あり、ありがとう、篝火さん」
「いいえ」
聞き分けの良い笑顔を浮かべ、私は背後で上がった火柱と爆発の熱波を受ける。軽く振り返って見たが、白い筆と赤い眼球は止まる気配がなさそうだ。
これどうするかなぁ。あそこに混ざる意味は無いし、ここには今影法師が四体。レリックにも見つかりやすくなると思えば、待機していた方が得だろうか。そしたら一日で二体もレリックを倒せたことになるし。願いに向けて大きな一歩だ。
だけどこの状況で焔さんがレリックに意識を向けるとも思えない。朱仄さんもどう動かれるか予想がつかない。先生は受動的なアルカナだし、レリックに見つかったら私が率先して殴りに行かないといけないんだよな。
こんなに光源がいるのに。どう考えても私が一番光源歴が浅いと思うのに。新人いじめも大概にしてくれよ先輩方。
「封寿、風のナイトは……?」
「……残念だよ」
夕映先生の前でユエさんが揺らぐ。細い銀の三つ編みは宙を揺蕩い、彼女の肩からは力が抜けた。愚者も顎を引き、先生は盾の表面を撫でている。
朱仄さんの光線に核を貫かれた風のナイト。光源の言葉は聞かず、影法師にだけ手を伸ばし続けた風の残影。その手は何も掴めないまま煤となった。その行動に込められた感情は誰にも伝わることなく吹き飛んだ。
「……焚火ちゃん」
萎んだユエさんの声を聞き、私の目は先生の背後から近づくバクに向く。
空飛ぶナメクジ。カニの鋏とゴキブリみたいな羽も生えてる。気持ち悪い。
人が零す感情は、どうしてそんなに歪むのか。
私はユエさんの呼びかけに答える間に跳び上がり、先生の盾を踏み台にしてからバクを殴った。
数は五。気持ち悪い。光を求めて群がるな。気持ち悪い。本能でしか動けない化け物共が。
ガントレットがカニの鋏に受け止められる。思わぬ反射に鳥肌が立ったが、化け物は浮いているのだ。殴られた衝撃を殺す方法なんて無い。
だから私は恐怖を込めて、吐き気を我慢してバクを殴る。地面に叩きつけて、壁にめり込ませて、建物の影に吹き飛ばして。
痙攣した鋏を許すな。飛ぼうとする羽を毟れ。
化け物は、殺さなければ害になる。
地面に伏せたバクの鋏をソルレットで蹴り砕き、掴んだナメクジを引き千切る。中身はドロドロ。表面は固い。これは一体、どんな感情が元で出来たバクなのか。
こんな化け物を人間は作るんだ。やっぱり信用ならない。見えてる面なんて信頼できない。中身を剥がないと安心できない。
だから私は潰して、叩いて、殴って、安堵する。それは確実な自己防衛だ。
「篝火さん」
バクを千切りきった所で先生に呼ばれる。盾を持ったままの先生は、笑わずに私を見つめていた。
そういえば眼鏡吹き飛ばされてましたね。見えてます? 私の顔。見えてないなら笑わなくても良いかなぁとか考えちゃうんですけど。
「君は……」
先生の言葉が止まる。数秒だけ目を閉じた彼は、眉を下げて笑ったのだ。
「ごめんね、ありがとう。俺が動くべきところだったのに」
「いいえ」
壊したバクを握り締め、滴る影が地面に滲む。先生は続けた。
「風のナイトの件もそう。篝火さんと焔くんのお陰で助かったよ」
「そうですか」
「そうですよ。俺は今まで一人だから、突撃してくるレリックを影で受け止めれば良かったけど……共闘になると、俺を狙ってくれる確率も減るからね」
先生は困ったように笑い続ける。
私はなんだか矛盾を感じ、ガントレットを背中側で握り締めた。
先生は他の光源と一緒にレリックへ立ち向かう想定をせずに盾を創ったのだろうか。愚者に協力するなら共闘場面だって想定できると思うのに?
私は先生を観察する。
この人もやっぱり底が見えないな。
剥いだ筈の大人の顔が既に作り直されてる。顔を出していた夕映封寿はまた隠れてしまった。
白くなった先生の髪と瞳を見つめていれば再び業火が巻き起こる。
焔さんは辺り一帯を燃やし尽くす勢いで筆を走らせ、集まるバクなど秒で消し炭だ。
彼と相対している朱仄さんは歯を食いしばり、全ての眼球を焔さんに向けている。
「光源なんてやめよう、天明! 君の願いは知らないが、それは影に頼らないと成就しないのか!?」
「ほざけ、祀。今まで叶わなかったから影法師に願ったんだ。その願望をお前が推し量るなど言語道断!」
二人の業火が混ざって弾けた。
焔さんの豪快な火柱は朱仄さんのアルカナを焼く。それでも直ぐに金の瞼の眼球は再計され、焔さんの袖を貫くのだ。
汗を流した二人を見る。歯痒そうに寄り添う塔と審判も視界に入れる。
方や妹の二の舞を作りたくない聖なる圧制者。夕映さんの言葉を借りるなら、優しさで人を殺した善良な罪人。
方や業火の先で願いを求めた苛烈な暴君。獰猛な文字を燃やして笑い、他人との縁すら破壊する達筆な狂人。
火に薪。炎に燃え草。業火にガソリン。建物が歪む熱気の中で、彼らは決して後退しない。熱中症を通り越して体が蒸発しないのかね。
「篝火さん、あの焔くんと喧嘩? してる男の子は一体……」
これは喧嘩とか言えるレベルじゃないと思いますよ、先生。
熱波に汗を浮かべた先生を一瞥し、私は口角を上げ続ける。輝く男子二人のアルカナは、尽きることを知らなさそうだ。
「彼は朱仄祀さん、審判の光源です。妹さんがバクの食べ過ぎで影に呑まれてしまった為、同じような犠牲者を出したくないと、光源から影法師を剥がそうとしているのだとか」
「影に、ッ」
先生の顔から血の気が引く。この人は知ってる側だったか。まぁそりゃそうか。夕映の家ですもんね。
小さく「そんな……」と呟く先生は目を焼く火の海に視線を向けた。
……やっぱりなぁ。
この人も、変な人だ。
おそらく何か言いたいことがある。動きたい衝動がある。でもそれら全てをセーブして、一貫して他人に踏み込む素振りが見えない。
……まぁいいか。今この人について考えたって情報が少なすぎる。優先すべきはここら一帯を火の海にしかねない奇人達だ。
焔さんの筆が瓦礫を走り、蹴り飛ばされた文字が爆発する。髪や頬を焦がした朱仄さんは地面を転がりながらもアルカナを焔さんに向け、鋭い一線を発射した。
焔さんの左耳が燃える。塔が喉が焼けるような悲鳴を上げる。
それでも筆使いは止まらないのだ。
「影法師を剥がす為に光源を攻撃するなど、何故そんな思考に行きついた!」
カサついた焔さんの声が響く。水分が足りてないのかな。歪んで見えた彼の顔は、朱仄さんへの怒りだけには見えなかった。もっと違う感情が焔さんに筆を握らせてる。
汗を流した朱仄さんは、白い髪を掻き上げて吠えるのだ。
「救う為だッ! こんな危ない現状から! 影法師が取り憑いた体から出ていくように、取り憑かれた子を痛めつける! そうすれば影は離れるだろッ 光源の痛みに耐えきれなくて、光源が死ぬ、その前に!」
目を見開いた焔さんの頬が痙攣する。笑っていない彼のこめかみには青筋が浮かび、燃え続ける左耳など気にも留めていなかった。
ふらつく両者の足元を見る。レリックはまだ来ない。私達を見つけない。
もしくは、私達よりも魅力的な餌があるのか。ここよりも影法師が集まった場所でもあるのか。
熱気に体温を上げられている私は、朱仄さんの矛盾に笑ってしまった。
「先生、ここでレリックに来られると面倒な気がします。脱水症状寸前の光源が二人いるならレリックは彼らを狙うでしょう。私、守りながら戦うとか出来ないですし、先生は狙われないと戦えないですよね」
「え、あ、そ、そうだね。ならやっぱり、二人を止めるのが一番だよね」
「だと思います。二人が焦げるのは勝手にしてくれって感じですけど、私の視界で死なれると困るので」
私はガントレットの拳を打ち合わせる。すると先生は一拍置いて、眉を下げて笑ったのだ。
……その顔、苦手なんですけど。
「篝火さんは優しいね」
……。
「彼らを止めに行こう。それぞれジキルに戻って頭を冷やすのと、水分補給だね」
………。
「俺は朱仄くんの方へ行くよ。彼とも話がしたい。篝火さんは焔くんをお願いできるかな」
先生の目に問いかけられる。
拳を握り締めた私は、顔に力を入れて満面の笑みを浮かべた。
「はい」
「……篝火さん? どうかし、」
先生の言葉を聞く前に私は宙へ飛び出した。近づく熱波で目が乾き、浮かんだ涙が滲んで消える。
私が優しい?
そんなわけないだろ。
私が優しいなら、優しい私だったなら。
どうして化け物達に捨てられたんだ。
どうして両親は、戻ってきてくれなかったんだ。
両親を乗っ取った化け物ですら私を置いていった。お前らがどこかへ行くのは構わないけど、ならば両親は返してくれって思ったのに。
火の海に飛び込んで、私は問答無用で焔さんの腹部に突撃する。
筆を動かそうとしていた彼の体勢は崩れ、私達を火の光線が掠めて行った。
「焱ちゃんッ!」
枯れた焔さんの声に顔が歪む。私は了承を得る前に彼を持ち上げ、ソルレットから全力の風を巻き上げた。
一気に加速して火の海から距離を取る。速さで焔さんの傷口から火が消えて、涼しさを感じ、雑居ビルの立ち並ぶ路地裏に滑り込んだ。
同時にユエさんと塔が指を鳴らす。
私達の髪色は黒へと戻り、汗だくの焔さんの呼吸は速かった。唇は割れ、目は潤んで充血している。塔は自分の唇から流れた黒い血を指先で拭っていた。
「焔さん、聞こえてます? 脱水症状でてますよ」
「焱ちゃん、なぜッ」
「あのまま怒鳴り合ってても埒があきませんから。レリックに見つかった時には満身創痍です、なんて困りますし、私も庇いながら戦うとか無理ですし」
「それでも祀を止めねばならない!」
「休ませたいんですよね。知ってますよ。でも彼には休みそうな雰囲気が無かったです。彼はきっと、貴方が働きすぎだと拳骨を入れても止まらないんでしょうね」
「だとしても!」
汗の玉を落とした焔さんは、前髪を雑に掻き上げる。項垂れるように座り込んだ着物の人はあまりにも路地裏に不釣り合いだ。
水分不足の彼の声は、聞き取りづらく、弱々しい。
「祀にこれ以上……誰かを傷つけさせるわけには、いかないんだ」
私の目が自然と細くなったと自覚する。
「アイツは優しい。進んで人を傷つけるような器量をしていない」
焔さんの筆が消え、彼は両手で顔を覆う。
「……最も光源をやめるべきは、祀なんだ」
小さな声が路地に落ち、車や雑踏の音が入り込んでくる。
この人、こんな顔も出来るんだ。
他人を見て、心配して、必死になって止めたいと思える気持ちを持ってるんだ。
まともに嵌ってるネジも、あったんだ。
私は焔さんの知らなかった一面を見つめ、夕映先生に言いたくなる。
優しいのは私ではなく、焔さんの方ですよ、って。
焔さんは両手を下ろし、熱の引かない顔を私に向けた。
「焱ちゃん、俺は賭けに勝ったぞ」
急に。しかもその話生きてたのかよ。
先生が夕映さんの身内かどうか。確かに身内でしたね。兄でしたね。
「賭けに乗ったつもりないんですけど、何か私に命令したい事でも?」
焔さんの目元に疲れが浮かぶ。お腹もすいたでしょう、喉も渇いたでしょう。家に帰ってゆっくりするのがいいですよ。今日の日差しは強いから。
彼はゆっくり拳を握り、私から視線を逸らさなかった。
「次、俺と祀が会った時は……俺を、止めてくれるな」
掠れた声で願われる。賭けに負けたらしい私に、言いつける。
「俺が祀から影法師を剥がす。そうせねばならない、必ず」
それ、朱仄さんとしてること一緒ですけど気づいてます?
なんて言葉を吞んだ私は、なんだか笑う気分にもなれなかった。
「分かりました」




