篝火焚火は呆れている
ファミレスで突然席を立つ奴がいたら、それは一体どんな用事だろう。
ドリンクバーかお手洗いか、電話で離席か。色々理由はあると思うのだが、立ったまま席から離れない奴はそうそういないのではないかと思う。
私と焔さんの向かいにいる光源、夕映先生が正しくそれだ。
先生の仮面が崩れた男は、色を悪くした顔に冷や汗を浮かべて立っている。
眼鏡の奥で黒目が揺れた。肩が微かに上下しており、その反応には愚者も驚いたようだ。
「ふうじゅ、」
「俺は悪くない」
それは誰への弁解なのか。
先生は右手で眼鏡を上げ、左手で目を覆う。ボックス席で起立している先生に隣席の客は一瞬だけ視線を向けたが、特に声をかけるなどには至らなかった。よかったですね、みんなが親切で。
私と焔さんの前にいる光源は、大人を保てなくなっていた。
「……あぁするしか、なかった」
先生の仮面が落ちていく。
「そうしないと、」
夕映封寿が顔を出す。
「そうしないと俺は、俺じゃ、なくなっていたから……ッ」
「先生はご自分を守られたんですね」
手が落ちて、先生の顔が見える。氷にピックを突き刺したように、私の言葉が先生の皮を破っていく。
私を見た夕映封寿の目は、慈悲を望むように見開かれていた。
残念ながら、私は慈悲で人の本性を見る趣味ないんだけど。
「それで、守られなかったのが夕映零さんですか?」
純粋な質問が、先生の唇に力を入れる。
何かを思い出しては閉じ込めて、無意味なことを繰り返しているように見える先生。
私は満点笑顔で彼を観察し、焔さんは目を細めたまま口角を上げていた。
「夕映さん、珈琲のおかわりでも淹れてきましょうか」
「……大丈夫だよ、ごめん。少し席を離れるね。愚者」
先生は愚者を連れて一度店外に出る。私は焔さんを横目に見上げ、彼の意地悪な目と視線が合った。
「意地悪だなぁ、焱ちゃんは」
「焔さんに言われたくないんですけど」
ガントレットを風に戻した私はオレンジジュースを飲む。焔さんは抹茶オレに口をつけ、私達の向かいには塔とユエさんが腰かけた。
「天明、焚火……怒ってる、か? 愚者の話」
「いけ好かないだけだ」
「納得できないだけです」
「怒ってんじゃねぇか……」
塔の燃えるような髪が元気なく垂れる。そのまま突っ伏した影法師の頭をユエさんは楽しそうに撫でていた。お優しいことで。
「レリックを止めたいなんて、また突飛よねぇ」
「そうですね。ユエさんと塔は賛成なんでしたっけ」
「愚者が言うなら考えなくてはいけないわ。悪い話じゃないし! レリックが止まってくれるなら一番よ! ね、焚火ちゃん」
「勝手にしてください」
「焚火ちゃんがいないと私は動けないの~」
ユエさんは常に微笑んでいる。塔は机に顎を乗せ、焔さんのグラスを尖った爪でつついていた。
「天明~」
「俺は保留だ」
「……倒すんじゃなくて止める方法、考えてみねぇか?」
「破壊の影法師が何を言っているんだ」
焔さんが机の下で塔を蹴ったのだろう。微かに机が揺れ、塔が呻き声を上げた。影を蹴るとは面白い。
「言った筈だぞ塔。俺の筆はお前の名の通り、破壊に特化したものだ。それは壊さない行為こそ難しい」
「……別のアルカナ、」
「創らん」
「あ”ーー!!」
塔が体を前後に暴れさせる。焔さんは片頬を上げ、斜め上に視線を向けていた。かと思えば着物の合わせ目からメモ帳と筆ペンを出してきたのだから、私は吐き気すら覚えるのだ。
「焔さん」
「考えを整理したくてな」
「席移動したいです」
「まぁそう言うな」
机の下をくぐれば焔さんの斜め前の席に行ける気がする。
ボックス席の窓際に座っている私は少し腰を浮かせたが、焔さんの足が私の脛を押さえたので冷や汗が出た。口角を引きつらせながら椅子に座り直せば、焔さんが筆ペンのキャップを外す。絶対そっち見ないからな。
焔さんはサラサラと筆を滑らせており、私は窓の外を見る。駐車場には先生と愚者がいたが、何を話しているかまでは読み取れなかった。
「あの教師、専門科目は?」
「社会科、世界史です」
「影法師を知る家の者が世界史教師、笑えるものだ」
影法師を知る家というのも既に笑えるがな。
代々続いた家系なのだろう。ユエさん達がどれほどの年月逃げているのかは知らないが、短くないことだけは十分に分かっている。つまり夕映さんの家もそれ相応の伝統があるわけだ。だからあんな林の中に洋館を建ててたのか。
「ユエさんと塔は、夕映さんに嫌悪感などは抱かないんですか?」
駐車場で夕映先生が額を覆う。愚者は手をさ迷わせ、荷物を肩に担ぎ直していた。
「別にないわよ、零は零、封寿は封寿だもの」
「まぁ、俺達のことをどう伝え聞いてるかは気になるけどな」
「あら、気になるの?」
「気になるし気にしろよ、月」
お気楽なユエさんに対して塔の方は思う所があるのだろう。体を起こした塔の手はユエさんの額を軽く叩いた。肩を揺らしたユエさんはお気楽そうだ。
影法師に戻って来いと言った奴らは既にいない。でも、たしかユエさんは言っていた。私が舌の印に気づいた日に。
『最初に命令をした人間は死んだんでしょうけど、血筋で私達の話が伝えられてるみたいだから止められないのよね。レリックが止まってくれると一番いいんだけど』
あの言い方からすれば、ユエさんには元々レリックを止めたい気持ちがあった、ということか? おそらく本人すら気づいていないだろうが、この影、別にレリックを嫌ってる訳でもなさそうだし。
まだ疑問はある。血筋の中にはユエさん達を諦めてない家があるということだろうか。それがどこにある家なのかは知らないが、その家は代々影法師を探してて、夕映さん達ではないのは明らかで……合ってるか? ほんとに?
「ユエさんは言ってましたよね。血筋で話が伝えられているからレリックを止められないと」
「そうね」
「それは事実ですか?」
「どういうことかしら?」
首を傾けたユエさんの頬を銀色の髪が滑る。私は思う訳ですよ、我儘な影よ。
「ユエさん達って、あまり自分の状況について把握してないですよね」
「あら!」
「確実なのってレリックが追ってきてるってことだけじゃないですか?」
「あらあら!」
「夕映さんについて気づかないし、レリックについても意思疎通取れてないですし」
「あら~! もしかして焚火ちゃん怒ってる? 怒ってるのね!?」
「呆れてるんですよ」
目と口を糸にして伝えておく。元より勝手に人の部屋に乗り込んで趣味を邪魔するような奴だ。まともなこと言ってるとは思ってないよ。
他人の意見一つだけを信じるような頭はしてない。一人だけから聞いた意見なんてソイツの先入観が盛り込まれてるし、見逃してることや勘違いがあるかもしれない。見る位置が変われば正しさだって変わってしまうだろ。
聞くのは私、どれが正しいか決めるのも、私だ。
だから聞こうか、この言葉足らずな影達に。
「レリックって、自分の意思で貴方達を追ってるんじゃないですか?」
グラスに入れた氷を揺らせば涼しい音が響く。私の頭には、手を伸ばしていた地のエースが浮かんだ。
『ナゼ……デス、カ……』
煤となったエースの言葉は、恨みと呼ぶには儚すぎる。
「どうしてレリックのお戻りくださいに応えてあげないんですか?」
「自由になりたいからよ?」
あぁ、ほら、足りてねぇんだよな、影法師って。
「それじゃ駄目だと思いますよ、ユエさん」
「難しいわ、焚火ちゃん」
「一言が足りてないんです。お戻りくださいと叫ぶレリックに、貴方達は自由が欲しいと叫ぶだけ。会話になってませんよ」
「そうなの?」
ユエさんは不思議そうに塔に顔を向ける。塔も首を傾けており、机上には焔さんの落書きが乱雑していた。
私は机に散らばる紙を見ないと決める。この男はどこでも我が道を行くな。どんどん机上の陣地が侵されていくじゃねぇか。怖い。意識を逸らすためにも話を戻そう。
「地のエースも最期に言っていたではないですか。なぜですかって」
「そうね! なぜですか、なぜ逃げ出したのですかってことよね。だから自由になりたいと伝えるわ」
「その「なぜ」、間違ってるとか考えた事ないんですか?」
疑問符がユエさんの頭上を飛ぶ。私は満面の笑みのまま溜息を吐き、焔さんが喉を鳴らした。
彼の筆ペンは白いメモ帳を滑り、〈理由〉と達筆な字が生まれている。紙を食い破りそう。その筆から出てるのって特殊インクか何かですか? 鳥肌立った。
「なぜの意味か」
「はい。なぜ逃げられたのですか、ではないように思うんですよ」
「なぜ、なぜ、なぜ……先程の焱ちゃんの考えからして、」
焔さんの筆先が滑る。メモ帳を破った彼は、塔とユエさんに文字を見せた。
〈なぜ置いて行ったのですか〉
人の意見を汲み取る力はあるんだ、コイツ。
少しばかり感心しつつ、私は焔さんに笑顔を向けた。彼も意地悪な目で私に確認する。
「こうか?」
「そうですね」
焔さんは満足気な様子で影法師に視線を向ける。
そこでは、笑みを落とした影達がいた。
影法師の舌は、言い訳を並べる子どものようによく回った。
「なぜって、そりゃ、自由になればいいと思ったからだよ」
「私達の逃げる道にあの子達を連れて行くなんて可哀想でしょう?」
「それに、人間に使われてた俺達は使う側にはなりたくねぇ。そう思ったが、既に俺達はレリックを使う側だった」
「だからこそ、あの子達は私達について来ては駄目なのよ」
身振り手振りで弁解する塔とユエさん。
だから置いて行く側は嫌いなんだ。
勝手に決めて、自分達の意見が相手に届いてる、なんて勘違いしやがって。
「レリックはそれでも一緒に行きたいと言わなかったんですか」
「レリックには口がないわよ?」
そりゃ駄目だね。いやでもそうじゃないんだわ。
「口がないから、言えなかっただけでは?」
レリックはいつも貴方達を追っている。業火を踏み越え、苛烈な動作で武器を振り、核を砕かれても手を伸ばす。
気づいていますか、ユエさん、塔。
レリックは光源を殺しにかかっても、影法師を傷つけようとしたことなんて、一度もなさそうですけど。
鼓膜が思い出したのは、地のエースの怒号。夕映さんに向けた強烈な憎悪。
『ッアァ、アァ! 早ク剥ガシテサシアゲネバ!! オ可哀想ナ発端ノ主!!』
唯一喋ることが出来るエースがあれでは、コミュニケーションも難しいか。
私は口があっても言えなかった。
化け物に両親を返してくれと、行かないでくれと、どうして置いていくのかと、聞けなかった。
聞くのは怖い。いらないと思っているかもしれない、恐ろしいと思っているんだろうな、という自分の想像を確認するには勇気がいるんだ。明確に「いらないから」「恐ろしいから」と言われてしまえば、全てが終わってしまう気がするのだから。
分かるかな、影法師。いや、分からないか。
ユエさんと塔だけではなく、影法師はどこか説明が足りてない。それに関しては色々な部分で学んできた。悪意は一切なく、抽象的に、時には勝手に取捨選択して、コイツらは喋る。
夕映さんからバクの供給過多について聞いた時もそうだ。塔の喋り方は要領を得ずに本題を掠めるだけで、魔術師に関しては語彙が難しい。ユエさんはふわっふわしてるし。
意思疎通も、自分達の考えを伝えるのも、想いを届けるのも下手くそな影法師。そんな影に従ってきたレリックもまた、全てが下手くそだ。
永い時間を生きてきたコイツらは全くもって完璧ではない。欠陥だらけ、不足だらけ。人間よりも純粋で、人間のように本音の伝え方が下手すぎて。
影は光と同じように動くが、だからと言ってそこまで似なくていいだろ。
筆ペンにキャップをはめた焔さんは、片頬を上げて笑っていた。
「お前達は勘違いしていたのではないか? レリックは自分達の言うことを必ず聞いてくれると。自由になれという言葉だけで全てを理解し、受け入れてくれると」
「かん、」
「ちがい……?」
塔とユエさんは整った唇で復唱する。
コップの中で、氷が少し傾いた。
「言うだけでなく、聞くこともまた大事かと」
私はそこで、店内から人の気配が消えたことに気づく。
席を立って消えた客。離席する理由は色々あるだろうが、その全ての偶然が一気に重なり雑談がなくなる。店員は奥へ引っ込みフロアを歩く姿は見えない。なんならレジにも立ってない。
私は溜息を吐いて立ち上がり、焔さんが伝票を持った。
ドリンクバー三人分の代金を伝票と共にレジへ置き、人気のなくなった駐車場で先生と合流する。
彼がどこか穏やかな顔つきでこちらを見た時、影法師は声を揃えたのだ。
――レリックが、来た




