篝火焚火は多弁になる
――荷物を持った母らしき奴が、明け方近くに玄関から出て行った背中を知っている。
こちらを一切振り向くことなく、私に別れの言葉も告げる演技もしないまま。
母の皮を纏った化け物は、そのままどこかに行ってしまった。
――こちらを見ない父らしき奴が、県外の高校へ行くよう指示した背中を覚えている。
アイツも私を視界の外に追いやり、預けた祖父母の家から出て行った。
父の皮を纏った化け物は、今ではどこに住んでいるのかも分からない。
私は常に置いていかれる側だ。化け物に体を乗っ取られた父と母にはさよならも言えなかった。化け物に乗っ取られた奴らには慈悲などなかった。
置いていかれる、捨てられる。見放される、見捨てられる。
そんな私から言わせてみれば、やはり影法師も化け物だ。
「一ミリも理解できないし納得できないので聞くんですが、愚者は私達にレリックを殺さないで欲しいと言いたいんですよね?」
笑い声や雑談が空気に溶けるファミレスにて、光源と影法師にしか見えないガントレットを私は握り締める。
「そう、契約の変更を申し込みたい。殺すのではなく生かす道を、」
「中途半端に殺させておいて、中途半端に生かすんですか」
愚者が口を噤む。今日は珍しくユエさんも静かなので、私が多弁になってやろう。
「殺すと決めたなら全員殺しきるのが覚悟というものではないでしょうか。貴方達だって生半可な気持ちで逃げ出したわけではないんでしょ? 適当な考えでレリックを捨てたわけではないんでしょ?」
「えぇ、たくさん話し合ったわ。そして決めて、逃げ出したの。でもね焚火ちゃん、私達はレリックを捨てたわけじゃない」
「いいえ、捨てたんですよユエさん。決める権利があった貴方達からすれば何とでも言えるでしょうけど。捨てられた方からすれば、自分は一緒に連れて行ってもらえなかったのが事実。納得できていないのに置いていかれたと感じるのが現実です」
両親みたいな奴らは私を置いていった。大人を半殺しにした私が怖いから? 椅子で人を殺しかけた私を娘だと思いたくないから? そんな視線のおかげで、私は両親が化け物に乗っ取られたと気づけたけどな。
アイツらは私を捨てた。私に何も告げず、なにも話さず、一方的に決めて自分勝手に離れたのだ。
ガントレットが音を立て、私の拳に力が入る。
腹の底で、過去がぐつぐつ燃えている。
「決めた方の考えが受け手側にきちんと伝わってるなんて幻想ですよ。そんなの伝わらないんです。上司の言葉が部下に正しく伝わらない。彼女の態度が彼氏には理解できない。大人の意見に子どもは納得できない。ただ決定権がある方が押し付けてるだけです」
「焚火ちゃん、」
「決めたならやり通したらどうですか? 最初にレリックを殺した瞬間から、それは貴方達が選んだ道の結果だ。やっぱりやめようなんて馬鹿馬鹿しい。生かしたレリックに何と言うんですか。自分達が間違っていたからお前達を殺すのをやめたんだ? それでレリックって納得するんですか? アイツらいつも激怒してる雰囲気ですけど」
こちとら先日、エースに腕を吹き飛ばされたんだが?
ユエさんも塔も、魔術師も。煤になっていくレリックの手を取ることはしなかった。
化け物には化け物の考えがあるのだろうが、それが人間と同じだなんて夢にも思ってねぇよ。
「自由を欲したのは影法師だ。そしてその道中での選択には貴方達に責任がある。責任のない自由なんてのは我儘っていうんです」
だから責任取って、母みたいな奴は私に会わないことをこの先一生貫くんだろう。
責任を感じて、父みたいな奴は私に金だけ振り込み続けるんだろう。
私は愚者を見て、思い切り口角を上げ続けた。
「私はレリックを救う気なんてありません。それは光源の仕事じゃない」
私が祖父母に気遣われた時に感じたのは圧倒的な気味の悪さだ。こちらの様子を伺って、腫れ物に触るような態度をされて。お前達の「大丈夫だからね」を信じられると思うなよ。
それでこちらの気が晴れるとでも思ったか。残念だな、傷口が抉られて拳を握り締めてたよ。
だからここで動くべきは私じゃない。光源ではない。
「救いたいと思い、実行しようとしているならば――自分が動け、影法師」
三体の影法師の肩が揺れる。
隣では焔さんが喉で笑い、夕映先生は目を見開いていた。
「影に動けと言うか、焱ちゃん」
「光が残影に近づいたって消してしまうではないですか。影は影同士じゃないと分かり合えませんよ」
「それもそうか」
喉仏を揺らして笑う変人を一瞥し、私は黙り続けている夕映先生を見る。彼もこちらを見ていたので、いつも通りの篝火さんとして笑ってやった。
「先生のご意見はいかがですか?」
「……俺は愚者を手伝うって決めてるんだ。コイツは俺を探して、俺と契約する為に現れたから」
苦く笑った先生は眼鏡のブリッジを上げる。珈琲を揺らした大人の口調は柔らかい。
「影法師は大人が嫌いなんだって。だから光源には年齢の若い子を選んできたらしいんだけど、愚者は俺を選んだ。嫌いで堪らない俺に力を貸してくれって現れたから……断る気持ちなんて起きなかったよ」
どこか含みのある物言いは大人らしいと思ってしまう。子どもの言葉を丁寧に聞き、はぐらかしたことにも気づかせないような喋り方をする。
私は焔さんと視線を合わせ、夕映先生は笑っていた。
「篝火さんが言うように、こいつらには大きな責任があるよ。焔くんが言うように、光源の子達の気持ちを放っておくのも違うと思う。俺達がどうこうするんじゃなく、影法師がどうにかすべき問題だ」
先生は、やはり良い先生なのだろう。こちらの言葉をちゃんと汲み、否定しないでくれるんだから。
穏やかな顔の先生は、眉を微かに下げていた。
「ただ、そこに協力はしてやりたい。影法師が逃げることを決めたように、俺達も自分で光源になるって決めたはずだから。一蓮托生、旅は道連れとも言うかな。影法師を照らしてやれるのは俺達だけなんだよ」
あぁ、ほら、ほだしてくる。
私の言葉を上手く使って、保留の焔さんの意見をつつく。
布に水が染みるように、浸透してくる先生の意見。「だから協力してやってくれ」と淡い光が照らしてくる。
私はガントレットに力を入れ、先生ヅラしてる男の顔を殴りたくなってきた。
自分のことは語らず、愚者に協力するという献身。感情なんて剥き出しにしない、きちんと繕って笑える大人な人間。
そのツラ剥いだら何が出る。
お前の底には何がある。
私は固い人差し指で机を叩き、優位にいるような先生のツラを剥ごうと決めた。
「愚者、貴方がレリックを殺したくないと相談を持ちかけたのはユエさん達が初めてですか」
「違うよ。封寿に会う前、再会できた女教皇、隠者、魔術師にも声をかけて、協力を仰いだ」
焔さんの草履が床を擦る音を聞く。
私は再び机を叩き、片頬を上げた焔さんが笑った。
「夕映さんを選んだ点には何か意味があると見るが、違うか?」
「……ある。我は封寿だから選んだのさ。レリックを止めてくれる可能性がある光源として。他のきょうだいもそうしてる筈だ」
私の脳裏で猫の尻尾が揺れる。
膝枕をねだってきた人間が記憶の中で笑う。
「どうして先生ならレリックを止めてくれる可能性があったんですか?」
問えば先生の視線が一瞬動き、間ができる。
彼は眼鏡の奥で苦く笑うと、珈琲のカップを持つ手に力を入れた。
さぁ、少しずつ剥げるかな、お前の皮。
「……俺の家は、影法師を信仰していた人間と繋がりがある。信仰していた人間の弟子の、子どもの、ずっと先が「夕映」って家になった……って、言ったらいいかな」
肩を竦めて笑う男はまだ先生だ。
ユエさんと塔は私達の表情を見て黙る選択をしたらしい。それがいいよ。今は騒いでくれるな、面倒だから。
愚者は、自分達を連れ戻そうとした人間と関係がある奴らを光源に選んだのか。
魔術師――アルバも。
あのお面使いの人間、何を考えて私達に近づいたのやら。
『先輩風を吹かせたくなってね』
あれ、嘘だったのかな。
「愚者は他の三体がどんな人間と契約したか知っているんですか?」
「いや、その後は出会えてないんだ。それぞれが関係のある人間を探して行きついたはずだけど、我も封寿を見つけるのに時間がかかったから。無事に見つけられたかも分かっていない状況だね」
なら知らないか。
私は焔さんに視線を向け、彼に言葉を促された気がした。貴方の方が上品な言葉遣いが出来るのに。
「知ってますよ、魔術師の光源」
「本当かい?」
「はい。連絡先も交換しましたし、ハイドで一緒に戦いました。ただレリックに関する話は一切されてないですね」
そこで夕映先生の顔に微かな疑問が浮かぶ。黒い目は愚者を確認し、話が違うとでも言いたげだ。
私は一度指で強く机を叩き、焔さんは袖の中に腕を入れた。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。ツラの底には何がいる。
夕映先生の目を見た私は、顔いっぱいに笑ってやった。
「魔術師の光源は夕映零。髪を綺麗に切り揃えた、男か女か分からない人ですよ」
告げれば大人の仮面が凍る。
目を見開き、口を結び、夕映先生の顔から血の気が引く。
明らかな動揺。クリーンヒット。大人のツラには亀裂が走る。
珈琲のカップを持つ手は、初めて微かに揺れていた。
「私と焔さんが愚者の話を聞いてもいいと思ったのは、先生、貴方が夕映だったからです」
言葉で先生の顔を殴る。お前は誰だと畳みこむ。
「たまたま名字が同じ人なのかと思っていたんですが、その反応的に知ってるんですね、夕映零さんのこと」
「だがその方が筋は通りました。零さんは影法師について何か知っている様子でしたが、肝心なことは俺達に話さない人ですので」
意地悪く、底意地悪く焔さんが頬を上げる。細められた両目は鋭く先生を射抜き、大人のツラが欠けていく。
だがまだ底が見えない。だから私は言葉で殴ることをやめないよ。
「あの人は元々知ってたんですね、影法師という存在について」
「……零なら……ね」
先生の頬が微かに引きつり、ゆっくり笑顔がつくられる。
砕けていく先生のツラ。端から端から壊れていく。しかしまだ決壊しないな、頑丈だ。
「ご関係は」
「……きょうだいだよ」
そこで初めて、先生が視線をずらす。私と焔さんを視界から消し、カップに入った珈琲に向いた。
「夕映零さんにはお兄さんがいたんですね。知りませんでした。あ、あの人が弟か妹かは言わなくていいですよ。どちらでもありどちらでもないのが私の知ってる夕映零さんなので」
「そっか、」
「あの人は底が見えない人です。悪魔と吊るされた男を捕まえたりカードに変えたりしていたんですけど、それって夕映の家に何か伝わっているんですか? 魔法でしょうか」
私の台詞に先生の顔が上がる。こめかみに冷や汗を浮かべた大人は、開けた口から言葉を出さない。
人の家に押しかけて、膝枕をしてくれとねだった夕映零。癒しとして、あの人は人間にしか出来ないことを望んできた。私のように柔らかさを求めるのではなく、まるで人の温度を……。
『してもらいたかっただけさ』
私の部屋から出て行く時、あの人は笑っていた。
だけど、声は……笑っていただろうか。
人の見た目は信用ならない。みんな何かしらの皮を被って、奥底に本心を隠して息をする。それを引きずり出すのがアルカナで、影法師だから。
獰猛さを潜ませた焔さんの文字のように。
執着を滲ませた夜鷹さんの鎖のように。
狂気を縫い合わせた稲光さんの針のように。
善行を貫く朱仄さんの眼球のように。
人が落とした化け物を倒す為、アルカナは自分の皮を剥がしていく。呪いが私達を化け物の一員にする。
ならば夕映さんのお面は?
あの人は、アルカナでさえも自分を隠す道を選んでる。
飄々として、冗談か本心か分からないことばかり言って笑うあの人は、どうして私の膝にきた?
先生という兄がいるならそちらに行けばいい。この人は良い先生だから、何も言わなくたって傍にいさせてくれそうだけど。そもそもどうして、きょうだいなのに情報交換できてないんだ。影法師を元々知ってるなら、光源に選ばれた時に話していたっておかしくはない。
先生と夕映零さんは仲が悪い? 違うな。繋がりがないのか。でもきょうだいだろ?
『影法師を照らしてやれるのは俺達だけなんだよ』
『だって影だし。踏みにじってなんぼじゃない?』
このきょうだいは根本的に考え方が違う。
影に向けている感情が違う。
兄は慈悲と哀れみを抱いたが、お面の光源にはそれがない。どちらかと言えば、あれは嫌悪。
夕映封寿は夕映零が光源になっているのを知らなかった。
影法師を知ってる家なのに。
家族が互いを知らないのは、話さないから、聞かないから。……視界の外に追いやるから?
……はっはぁ。
「もしかして先生、貴方もそっち側ですか?」
「そっち側?」
瞬きした先生の目を射抜く。
そうか、だから愚者に協力しようと思ったのか。
「置いてきた側」
私が笑って問いかけた瞬間。
先生の顔から、大人のツラが崩れ落ちた。




