篝火焚火は敬遠したい
光源は同じ目的を持った仲間と言っても過言ではない。
だから攻撃しなくていい。会話をすればいい。警戒しなくていい。
それがきっと普通だが、私にはあまり光源との良い思い出がないのでね。
「よろしく」と告げた愚者の光源――夕映封寿先生に対し、私は武装を解かなかった。
先生はどうして私をここに呼んだのか。私が光源だと知っていた? 確かめる為に呼んだ? 目的はなんだ。光源って知り合った方がいいんだっけ。知り合いが増える度にややこしさも増している気がするのだが。
考えるだけでは時間の無駄だと判断し、私は目も口も糸にして問いかけた。
「先生は私が光源だと検討をつけていたんですか?」
「まぁね。篝火さんの影の動きが不自然なのが見えてしまったから、どうしても話したかったんだ」
「そうですか」
「そうだよ……生徒が光源であるなんて、見過ごせない」
ガントレットに力が籠もる。
眼鏡の奥では先生の目元が緩んだ。だがそれは笑みではない。憂うような、哀愁を浮かべた目の色だ。
やめろよ。その私を推し量るような大人の目。私の願いを知らないくせに、口出ししたそうなこの空気。
「篝火さん」
宥めるような声色に虫唾が走る。下げた目元が痙攣する。
先生の言葉を予想できてしまった私は、ソルレットから風を噴射した。
驚いた様子の先生に迫り、彼より高い目線で止まる。黒目を見開いた先生は、それでも後ずさることはしなかった。
私と対峙し、私を見て、私が喋ることを許す表情。そういうところですよ。
「先生はとても良い先生だと思います」
先生が息を呑む音を聞く。
私の笑顔は剥がれない。
「私に声をかけて下さった日がありましたね。ありがとうございました。あの日は影法師と契約した翌日だったんです。その頃から気づいてました? いや、いつ気づいたかどうかはどうでもいいんです」
浮いた私の頭にユエさんが顎を置く。
愚者は動かない。
「先生、お願いですから、光源をやめろなんて言わないでくださいね」
そこで私は目を開けて先生を凝視する。笑った口は先生のように人懐っこくはないのかな。
白衣の裾を揺らした先生は、私の言葉を遮らないでくれた。
「私はどうしても叶えたい願いがあるんです。それを邪魔することは許しません。たとえそれが学校の先生であっても」
私の道を邪魔するなら、お前は私の敵になる。
暗に伝える行為は失礼だろうか、威嚇だろうか。まぁいい。私が先生を威嚇していることに間違いはないのだから。
子どもの夢を大人は判断するだろ。成功するか失敗するか、良いことか悪いことか、有意義なことか無駄なことか。
別にそれを否定する気はない。大人は私の先輩だ。大人にも子どもの時があって、経験があって、考えがあるから意見するわけだから。
でもね、先生。何を言われても、私は自分の願いを諦めるなんて出来ないんです。私は温かさを手に入れたいんです。
稲光さんと夜鷹さんがルトとイドラを剥がされて、剥がす方法があるのかと怖くなった。だがユエさん曰く、光源が隙を作らなければ影法師は離れられないそうだ。だから私は直ぐに安心できたんだ。
私は隙など作らない。だからユエさんを離さないし、離れていくなんて許さない。朱仄さんに会ったとしても屈する気はない。
私は私の願いを叶える。温かい心に抱き締めてもらう。必ず、何をしても、絶対に。
心に触れたい。温かい心に触れたい。温かさに抱き締められたい。
思い出すのは、病院の廊下に響いた母らしき奴の金切り声。父らしき奴が黙って出て行った家。心を見ようと胸を切った包丁の冷たさ。
もう沢山だ。帰ってこない母を待つのも、いなくなった父を探すのも疲れた。真心くんに綿を詰め続けるのも終わりが見えない。
だから私は飛ぶと決めた。バクを噛み締めて化け物を殴り殺すと決めたんだ。
その邪魔をするなよ、大人。
夕映先生は私を凝視し、社会化準備室には風の音が小さく響く。
返答次第で殴るつもりでいる私は、彼が喋るのを待っていた。
「……君は、そんな意思がある子だったんだね」
暫くの沈黙の後、口を開いた夕映先生の第一声はそれだ。
予想してなかった言葉に私はソルレットから出していた風を止める。着地して先生を見上げると、彼は眉を下げて笑っていた。
「私に意思がないと?」
「篝火さんはいつでも何でも引き受けてくれる子だから」
何だそれ。
先生の視線はよく分からない。先程の哀れむような空気を潜め、仕方なさそうに笑うんだから。この人はどこまでも私の気を削いでくるな。
夕映先生は目を伏せ、並ぶ愚者が私の顔を覗き込んだ。
「篝火焚火」
「はい」
「君は願いを叶えて欲しいか」
「是が非でも」
愚者の顔はユエさんに向かい、再び私に戻される。荷物を肩に担いだ愚者は重く言葉を吐き出した。
「ならば我らの過ちを聞き、力を貸してはくれないか」
私の視線は愚者から夕映先生に移る。彼も私を見下ろしており、ユエさんは私の判断に任せるような雰囲気だ。
……あーあーほんとに、ほんとによぉ。
光源だけでなく、影法師もめんどくさい奴しかいないのか。
***
「学校の先生が光源でした」
「それはまた世間が狭いな」
「しかも名字が夕映なんです」
「……ほぉ?」
ハイドにて、私は筆を担いだ焔さんに放課後の事情を語った。先程からバクを燃やしているのだが、レリックの気配はなさそうだ。お互いに探していると逆に出会いにくくなるのだろうか。私達は早くレリックを倒しきって願いを叶えたいのだが。
焔さんは各所に筆を滑らせ始めたので、私は明後日の方を向きながら喋り続けた。
「先生の影法師、愚者が何やら話したいから時間をくれと誘われました。焔さんの週末のご予定などは」
「俺もその席に招待してもらえるのか」
「女子生徒と教員が休日にファミレスで会っているなど知れたら世間がなんと騒ぎ出すか」
「それもそうか」
白い彼は私の誘いを了承し、「気分転換になる話だといいのだが」と付け加える。
意識して見た焔さんの顔には微かな疲れが滲んでいる気がした。その原因はなんとなく察せられるものだ。
審判の光源、朱仄祀さん。
善なる狂人。優しい自己中。彼を例えると矛盾した言葉が山ほど生まれる。
そんな彼と焔さんは同級生らしい。詳しい関係性については知らない。彼らが一体どんな攻防を繰り広げているか特に興味ないのだ。私に飛び火しなかったらなんでもいい。
焔さんのことだから喋りたくなったら喋り出すだろう。多分。喋らなかったらそれまでだ。
だが紙に書くことだけはするな。お前の文字は凶悪過ぎる。今だって光る文字の獰猛さが怖い。群がるバクの気が知れないわ。
集まったバクを燃やした焔さんは、周囲に視線を配っていた。
「夕映、となると、零さんのきょうだいか何かか?」
「それについては聞いてません」
「親族か他人か」
「親族だとめんどくさい予感しかしないので、他人であって欲しいです」
「だが夕映の名字は珍しい。俺は親族に賭けておこう」
「……別に他人に賭けたつもりないんですけど、私」
「俺と焱ちゃん、どちらが賭けに勝つかな」
「焔さん」
「賭けに負けた方が勝った方の言うことを聞くというのはよくある話だな」
「焔さん」
「楽しみが増えた。ありがとう焱ちゃん」
「焔天明さん」
片頬を上げて笑う焔さんを殴ろうかどうか逡巡する。頭のどの辺りを殴れば人の記憶って飛ぶんだろう。もっと人体について知識を深めないといけないな。宿題にするか。しかしこのままでは賭けに負けた時が怖すぎる。仕留めるならやはり今か? 恐怖は払拭してこそだしな。よし。
私はガントレットを握り締め、背中を向けた焔さんに拳を振り抜く。
確実に虚はついた。
と思ったのに。
袖が風を切り、白い筆の持ち手がガントレットとぶつかる。
草履を滑らせながら後退した焔さんは片頬を思い切り上げていた。見えた犬歯に鳥肌が立つ。コイツ……。
「過激な抵抗だ」
「頭殴ったら今の会話に関する記憶が飛ばないかなぁと思って」
「記憶が飛ぶ前に頭が飛ぶだろうな」
「試しましょうか」
「おいおいおいやめろやめろ焚火、天明!!」
私と焔さんの間に割り込んだのは慌てた塔。焔さんは喉を鳴らして笑い、私は口角を上げて息を吐いた。ユエさんは私の背後で楽しそうに拍手してやがる。
焔さんは白い墨を散らし、私は飛び掛かってきたバクを殴り飛ばしておいた。
「明日が楽しみだ」
……コイツ誘ったのは間違いだったかもな。
溜息をついても意味はなく、後悔しても明日はくる。週末はやってくる。
土曜日、午前中にバイトを終えた私はファミレスに向かった。そこでは着物姿の焔さんと、私服の夕映先生が対面した瞬間だったようだ。
お互いの容姿は私経由で伝えていたので顔合わせに問題はなさそうである。焔さんを待ち合わせ場所にすると便利かもしれない。怒られるか。やめよ。
少し距離を取って観察していると、焔さんは見たことないほど穏やかに微笑み、先生に挨拶していた。
「はじめまして、自分は塔の光源である焔天明と申します」
「あ、はじめまして。夕映封寿です。愚者の光源してます」
知り合いが見たことない顔と声色で喋ってる時って、どうしてこんなに居心地悪くなるんだろう。
爽やかに笑っている焔さんが他人に見えて、ヘラッと笑う先生から威厳は感じられない。どちらかと言えば焔さんの方に余裕が見える。
「私の代わりに話きいてくれないかなぁ……」
呟いたが、私が合流しなければ二人は無言で待ち続ける気がした。今だって既に喋ってない。先生から冷や汗が飛んでいるようにも見える。嫌だなぁ、あそこに行くの。
半ば現実逃避しながら二人に視線を向けていると、焔さんに気づかれてしまった。片頬を上げて手を振る彼と他人になりたい。
「焱ちゃん。バイトお疲れ」
「……お待たせしました」
「そう待ってないさ。ですよね、夕映さん」
「そうだね。こんにちは篝火さん」
「こんにちは、先生」
適当に言葉を交わしたところでまた沈黙が落ちる。私が焔さんを見ると、彼の黒目と視線がかち合った。楽しそうだな。こっちはまったく楽しくないんだけど。
「は、入ろうか」
気を遣ってくれたのは先生である。流石ですね、大人。
夏のかき氷フェアを開始しているファミレスに入ると、焔さんが浮いた。すれ違う人や店員の視線を集めているようだが、当の本人は周囲に無関心だ。彼にとってはこれが普通なんだろうな。
通された禁煙席に座るが、私達はメニューを開く空気でもなく、再び沈黙してしまう。
夕映先生は私と焔さんの向かいに座り、水が運ばれてくるまで無言は続いた。話しするんですよね、先生。
私は目と口を糸にして先生を観察し、彼はこめかみを掻いていた。
「ど、ドリンクバーでも頼もうか」
提案され、注文し、私と焔さんはドリンクバーの前に来る。どうせ全てバク味になるけど。
私は適当にオレンジジュースを入れ、先生の分として珈琲も準備する。焔さんは何も持たずに私の動向を見ていた。なんだよ。
視線を逸らした彼はコップを持ち、ドリンクバーを見つめている。私は無味のオレンジジュースを嚥下し、一点を見つめ始めた焔さんに声をかけた。
「ドリンクバー、初めてですか」
「あぁ、まぁな」
焔さんは抹茶味が好きだったよなと記憶を辿り、家に常備し始めた抹茶オレのスティックが浮かぶ。
彼の視線を追うと、やはり抹茶オレを見ているようだった。あぁいう香りが強いものなら味が分からなくても楽しめるのかな。バク味と抹茶の匂いで余計気持ち悪くなりそうだけど。まぁいいか。
彼が持っていたのはガラス製のコップだったので、そこに氷を入れてみる。焔さんの視線が動き、片頬が意地悪くつり上がった。こっちも負けじと笑ってやろ。
「ありがとう」
「いいえ」
焔さんは無事に飲み物を注ぐ。片頬を上げたままドリンクバーを凝視するコイツは今日も変わらず怖いな。なに考えてやがんだか。
「おかしいだろ」
緑と白の液体がコップに流れ込み、透明な氷を傾ける。コップが上げた涼やかな音は、機械音と人の雑談に消えそうだ。
「普通は家族でこういう所に来るものなのか、もしくは友人と来るものなのか。あいにく、俺はそういった機会がなかったんでな」
氷の傾きが加速して、注がれる液体の勢いは落ち着いていく。焔さんの節くれだった指ではコップが小さく見えてしまった。
片頬を上げ続けている彼はいったいどんな子どもだったんだろう。年齢的には大人に片足を突っ込んでいるはずだが、彼を大人にするのは気が引ける。
大人とはいつから大人になるのだろう。法的年齢ではなく、精神的観点からして。
大人に甘えられなかった子どもは、その時点から大人だろうか。精神が一番に自立してしまった子どもは既に子どもではないのだろうか。
親と何年も顔を合わせていない私は、まだ子どもでいるのだろうか。
「私も家族で来たことないんです、ファミレス」
夕映先生が座っている席を確認し、冷たいコップに口をつける。先生の揺らめいた影からは愚者が現れ、先日と同じように先生の頭を荷物で殴っていた。
焔さんは私の隣に並ぶ。思い出したのは、両親が外泊して叔母に預けられた夜のこと。
仕事帰りだった叔母は、はぐれないようにと手を繋ぎ、好きなものを頼んでいいとファミレスでメニューを広げてくれた。あの時、私は何を頼んだっけ……あぁそうだ、ハンバーグだ。
「友人と来たこともないですね。叔母に連れられて来たことはあるんですけど、それ以降は一人で来てました。受験勉強の時とか。図書館は飲食禁止なので」
ここだと飲み放題だし。
なんとなく焔さんを見上げて笑う。今日も満点花丸の笑顔だろ。どうせ焔さんは意地悪に笑っているんだろ。
予想してみたが、残念ながら焔さんは真顔だった。なんだよ拍子抜けするな。お前が喋るからこっちも喋ったというのに。
肩透かしを食らった私は、笑顔のまま肩から力を抜いておいた。
「私もおかしいですか?」
焔さんの口が微かに開いて、数拍置いてから口角を上げる。片頬だけ釣り上げるのはコイツの癖なんだろうな。怖い癖だ。
「いいや?」
「そうですか」
これにて会話終了。
私と焔さんは席に戻り、先生の向かいに座り直した。




