夕映零は忍び寄る
「零、これはなんだ」
「犯罪事件のスクラップ」
自分に趣味があるとすれば、過去の犯罪事件を調べてどうすれば捕まらなかったか想像することだ。
スクラップを保存するのは近くの貸し倉庫である。親に必要ないと跳ねのけられたが殴れば金が出てきた。ゲームかな。一回殴ったらいくら出るわけ?
蒸し暑くなってきた時期、バクをおやつ代わりに貸し倉庫でスクラップ作りに勤しむ。これを趣味にするなら心理学系の学科に行くべきだったかなぁ。まぁ服を作るのも面白くないわけじゃないからいいんだけどさ。
図書館でコピーした新聞記事を貼っていく。今回は七年ほど前に起きたストーカー事件だ。
被害者の女性(当時二十六歳)は面識のない男からのストーカー行為に悩んでおり、警察に相談。警察からの対応を待っていたある日、男が住居に侵入。複数箇所を刺されて意識不明の重体。
男は被害者の姪(当時九歳)に椅子で殴打され意識不明の重体。警察は詳しい経緯を調べている、と。
「九歳に殴られて意識不明の重体って、どんだけだよ」
スクラップした記事を眺める。姪ってことは女の子か。
小さな子が叔母さんを守ろうとしたのかな。小さな手で椅子を振り上げて、子どもだからこそ容赦なかったのかな。無事に育ってたら高校一年生くらいかな。
自分も九歳くらいで親のこと殴って重体にしてたら、家宅捜索とか入って違う人生になってたかなぁ。
想像して、やめる。今の自分は夕映零という生き人形として息をしている。それだけだ。
バクを齧りながら仰向けに倒れると、ぬるりとアルバが近づいた。
コイツは便利だ。夏の暑さも影法師の近くにいれば忘れさせてくれる。コイツのお陰ってところに反吐が出るんだけど、使えるものは使ってなんぼだろ。
「バクを不必要に食べすぎるな」
「なにそれ、食事制限?」
「バクは人間の負の感情。食べればそれだけ負が体に溜まる。食べてアルカナを使えと言うのは、零がバクに吞まれない為だ」
「ふーん、バクを食べたらアルカナ使ってガッツリ運動しろってことね」
体を起こして揃えられた毛先を払う。万年同じ髪型とか飽きるんだけど。髪には個性が出るからどーのこーのと聞き飽きた。
ストレッチを始めた自分を見てアルバの指が鳴る。視界は白を写し、髪も白く変わり、神の世界で面を被る。
「食後の運動、いきますかー」
今日も群がるバクを蹴散らして、笑う自分は影の国を闊歩した。
***
「ねぇアルバ~、あれ何」
暑さが日に日に増して苛立つ頃。肌の露出を許さない親のせいで年中長袖長ズボンの自分は、アルバで冷気を取っていた。今年は熱中症にならなさそうで何よりだ。とか思いたくねぇな。ムカついた。
「影に呑まれたな」
学校が終わればハイドに行って、帰りが遅いとヒステリックになる親を無視するのが日課になっている。
その日もレリックが来ねぇなぁとビルの上で鳥型のバクを捕まえていたら、急に下から絶叫が聞こえたのだ。
覗いてみれば、あら不思議。
肩を少し過ぎた白髪の男が蹲っていた。
彼は両腕で黒い影を抱き締めており、抱擁された黒はどろどろと地面に沈んでいく。
自分は男の後ろに佇む影法師と、もう一体、両手で顔を覆った影法師を見比べた。
男の後ろにいるのは赤みがかった金髪の影法師。容姿から見て、二十番目の審判。
両手で顔を覆っているのは深く赤い髪を結った影法師。その装いからして、十九番目の太陽。
自分は鳥型のバクをだらだらと揺らし、アルバに説明を促した。
「呑まれるってこの前言ってたやつ?」
「あぁ。アルカナを使わなければバクの負が溜まる。負はやがて影へと成り果て、光すらも呑み込む末路」
「それ、なったら終わり?」
「終わり」
「ふ~~ん」
喉を枯らして男が泣いている。男、というよりまだ少年か。高校生くらいかな。
腕に抱いた影は徐々に小さく小さくなっていき、最後はするりと腕から零れ落ちた。
少年が掌で追っても、もう遅い。影は地面に焼きついて他の影と交わっていく。影の国を作る影の一つになり下がる。
「――ミコトッ!!」
頭を抱えた少年は白い地面に慟哭する。徐々に近づくバクも気に留めず、目を焼くほどに泣いている。
ただ悲観し、ただ項垂れ、ただ絶望している。
自分はビルの上で足を揺らし、気分のままに飛び降りた。着地は猫の大得意さ。
動けなくなった少年に、審判や太陽は強く声をかけている。
「マツリ、しっかりしてくれマツリ!」
「ねぇ、ねぇマツリ、みこと、ミコトはね、あの、ハイドの一部に、」
「だったら治せよ影法師!!」
勢いよく立ち上がった少年の周りに火の玉が浮かび、バクと一緒に太陽を貫く。体を抱えて小さくなった太陽は小刻みに震えていた。
息を荒げて、マツリと呼ばれた少年は泣いている。彼と太陽の間に審判が割り込み、それでも少年は火を放っていた。
周りの空気が激しく焼けていく。折角涼しかったのになぁ。流石にアルバだけの体温ではこの熱気に勝てなかった。ムカつくじゃん。
暴れて火を吐き散らすマツリくん。
自分は何の気なしに火を躱し、焦げたバクを踏みつけた。
その音に反応した少年が振り返る。
凛とした目元は泣き腫らし、白い髪が肩を滑る。頬を伝った涙は彼の熱で蒸発し、自分はくるりと尻尾を揺らした。
「やぁ、なにやら悲痛な叫び声が聞こえたから来てしまったよ。自分は夕映零、魔術師の光源さ」
肩で息をするマツリくんは口を何度か開閉させ、固く唇を噛む。奥にいる審判の唇は直ぐに切れ、黒い液体が流れ落ちた。
「で、君、どうしたの?」
「ッ……いもうと、が、」
その言葉と同時にマツリくんの目が一気に潤む。決壊したダムのようにボロボロと涙を零す様は何とも哀れだ。
自分は彼との距離を詰める。頭を抱えて膝をついた少年と目線を合わせる。そうすれば、マツリくんの顔がよく見えた。
「そうかそうか、妹がバクに呑まれちゃったのか。それは辛かったね」
なんて、共感は口からいくらでも出せる。それっぽいことを並べ立てる。
「バクは負の感情なんだ。それを食べて光源は力を得る。だけど、バクを食べるだけでアルカナに昇華しなかったらね、体の中に負が溜まるんだ」
さっき聞いたばかりの言葉をなぞる。マツリくんの肩が揺れ、涙を流し続ける目の奥を覗いた。
寄ってくるバクが鬱陶しいから仮面を変える。猫からヤモリへ。伸ばした舌でバクを丸呑みにすれば、美味しい味が口から食道に広がった。
マツリくんは髪を掴んで呼吸を浅くし、涙は一向に留まらない。審判と太陽の困惑も止まらない。
「もしかして、知らなかったのかい?」
哀れむ声で問えば、少年の気道が締まった音がする。
「影法師は教えてくれなかったのかい?」
浅い呼吸を繰り返す少年は、長い髪を指でぐちゃぐちゃにした。
「アル、カナを、使わないといけないとは、言っていた。ただ、あの子は戦うとなると、まだ上手く動けなかったから、ッ」
マツリくんの両目から大きな雫が地面に落ちる。
「俺が、俺がやるよって言ったんだ。ミコトに危ないことをさせたくなくて、俺がレリックを倒せばいいし、バクも集められた。あの子に危険は、でも、あぁ、俺、俺は、俺がッ」
「君は悪くないよ」
発狂しそうな少年の頬に手を添える。軽く仮面を上げて微笑めば、マツリくんの真っ暗になった瞳が揺れていた。
この子、使えるかもなぁ。
「君は妹を守りたかったんだろう? 危ない思いをさせたくなくて、だから自分が戦った。妹はアルカナを上手く使えなかった? そりゃそうさ。普通に生きてる子が、それじゃあ化け物と戦って下さいなんて、到底無理な話だろう」
両手を広げてお面をつけ直す。舌で引き寄せたバクはアルバの影に放り込んだ。ヤモリって口も開くし舌の付け根も引き攣るし、多様はしたくないなぁ。
自分を凝視するマツリくんの目はどんどん虚ろになっていく。涙が止まる気配はまだないな。
堪らないといった様子で喋ったのは太陽だ。
「ッ、でも、でもミコトはね!」
「黙れよ影の寄生虫」
肩を跳ねさせた太陽に自分は睨みをきかせる。
お前らは本当に自分勝手だ。駄目なものは駄目だと、もっと言わなければいけなかっただろ? もっと頑張れと、子を谷に落とすライオンのように非道であるべきだっただろ?
黙った太陽からマツリくんへ視線を戻せば、彼は驚いたように目を丸くしていた。
「君は賢そうだから、分かるよね。光源は影法師に言われて仕方なく戦ってる。そのうえで上手く動けなかった妹を兄がフォローするなんて素敵じゃないか! 強く言えなかったのは影法師、奴らは影に呑まれるという危険性をきちんと示すべきだった」
マツリくんの目が徐々に見開かれていく。何か言いかけた審判も直ぐに口を噤み、自分はヤモリの尻尾でバクを地面に叩きつけた。
「こんな戦いに巻き込んだのも影法師、コイツらが逃げ出したのが悪いのさ。自分達を選んだのも影法師、アルカナを与えたのも、願いをチラつかせたのも、戦えない君の妹がいなくなる原因を作ったのも!」
マツリくんの頬に顔を近づける。彼の震えはいつの間にか止まっており、拳に力が籠っていた。
あぁ、笑いが堪えられねぇよ。
「悪いのは、ぜーんぶ影法師じゃないか」
周囲で金のコーティングがされた眼球が破裂する。
爆発は勢いよくバクを巻き込んで燃やし、自分は近くの街灯に尻尾で逆さに揺れてみた。
あぶねぇなぁ、危うく巻き込まれるところだった。
ゆらゆら揺れる自分は逆さまの状態でマツリくんを観察し、脱力状態で立ち上がった彼に目を細めた。
「影法師……」
「……マツリ、」
触れかけた審判の手をマツリくんが払う。渇いた拒絶の音に審判は口を結び、自分は思わず笑ってしまった。
ボタボタと泣き続ける少年は自分を見上げ、白い双眼に濁った光が浮かんでいた。
「――助けなきゃ」
……あ?
尻尾に力を入れて街灯の上に足を着く。マツリくんはアルカナの眼球を全てこちらに向けていた。
「影法師のせいで、ミコトがいなくなったなら……もう、そんな思い、する人がいないように……体験した俺が、止めないといけない」
「何言ってんの?」
あー、読みを間違えたか。
コイツ、根っからの善人って奴だ。
自分がいた街灯が火の光線に破壊される。建物の壁に張り付くが、マツリくんのアルカナは自分に照準を合わせ続けていた。
「剥がすんだ、影法師を。もうバクを食べなくていいように、戦わなくていいように」
マツリくんの手が握り締められる。泣き続けている少年の目は、虚ろなままだ。
「人間がそう簡単に願望器を手放すと思うわけ?」
「人間側が手放さなくても、影法師はどうかな」
数多の火柱が自分に向かって発射される。ヤモリでは遅いと判断してお面を猫に変え、素早く地面へ転がった。
どうやら自分は、善の狂人を起こしたらしい。
バクを打ち落とし、火柱で周りを囲い、涙を流して自分を狙うマツリくん。
「悪魔祓いと一緒だと思う。取り憑いた体から出ていくように、取り憑かれた子を痛めつける。そうすれば、堪らず影法師は出ていくと思わない?」
影法師を悪魔憑きと例えるか。
面白いけど、その理論はいつか破綻する未来が見えている。
わざわざ指摘なんてしないけどさ。
「自分は結構。そこで光源を失っちゃった影法師が心配だからね、一時預かるとしようかな」
猫のお面を外して、鷹のお面をつける。
肩甲骨から服を破いて翼が生え、反応が遅れたマツリくんの上を飛び去った。
狼狽えていた太陽の腕を掴み、建物を何個も超えていく。
屋上を滑りながら着地すれば急激に腹が減った。バク不足が近いか。やっぱ猫以外は消費が大きいな。
座り込んでいる太陽を見下ろす。女性らしい体つきの影法師はこちらを見上げ、自分は手を取ったままジキルに戻った。
もう使われてなさそうなビルの屋上。夕焼けが自分と太陽、アルバを照らしてる。
「君も残念だったねー、光源がバクに呑まれるなんてさ。そんなに弱い子を選んじゃったわけ?」
「ッ、ううん、違う、違う……弱い子なんかじゃ、なかったんだよ」
震えて唇を噛み締めた太陽の前に膝を着いてみる。なんでこの影法師は震えてんのかね。
「ミコトは……良い子だった。優しくて、あったかくて、太陽みたいだったから。審判が気に入ったマツリもいたから。甘えたのはミコトじゃない……私だったんだ」
太陽は両手で顔を覆い、深く背中を曲げる。
それはなんのポーズ? お前らに涙腺ってあるの? お前らに涙って必要なの? それってどういう感情?
地面に落ちる水滴を見て質問が山ほど浮かぶ。
理解出来ないし、したくないな、影法師のことなんて。
「太陽……」
「魔術師、ごめん、私……私、」
「疲れたよね、太陽」
何か言いかけたアルバの前に口を挟む。太陽は自分の方を見たから、顔は勝手に笑っていた。
神の為に準備した笑顔だ、気に入ってくれたかな?
オーバーサイズの袖から黒い液体を入れた小瓶を出して、右手で割る。
驚いた太陽の腕を左手で掴み、黒液を滴らせる右手は地面に着いた。
「少し休もうか。迎えに来たよ、快活な太陽」
「ッ、貴方、まさか!!」
逃げ出しかけた太陽の周りを一瞬で黒が走る。円を描いた黒液は同色の雷を発生させ、太陽の両手と首に巻き付いた。
「やだ、やだ、帰らない、帰りたくないの!!」
「帰らなくていいよ、大丈夫。ちょっと休もうって言ってるだけなんだから」
影に潜ろうとする太陽だけど、小さく迸る雷がそれを許さない。
「いや! なんで!! 魔術師!! いや!! いやだッ」
倒れた影法師を跨ぎ、自分は綺麗な左手と汚れた右手を構えた。
黒液はアルバの血。
影法師を封じるきょうだいの欠片。
「いやッ!! ミコト!!」
夕暮れに響いた女の声は、自分の柏手と共に消えた。
目の前には薄い一枚のカードが落ちる。拾ったカードには横向きの太陽が美しく閉じ込められており、黒液は静かに霧散した。
「別に酷い事なんてしないよ。久しぶりにきょうだいを揃えてあげようってだけなんだから」
初めて出来た封のまじない。古ぼけた手記も伊達ではないらしい。帰ったらまた、アルバに血を吐かせよう。
「さ、帰るよアルバ」
「……零」
夕暮れに佇む影法師を見る。黒いフードを揺らしている願望器は、そこから先は何も言わないんだ。
「太陽が心配? 帰ったら出してあげるよ。そこで慰めるなり何なりしてやりな。不安がらないように嘘でもついて」
自分とアルバの間で繋がった影が伸びる。何も言わないアルバはそのまま飛び立つこともなく、自分の前に近づいた。
「なに、離れる? それならお前も閉じ込めるけど」
「いいや。零を選んだのは私だ。私の願いを叶えてもらうまで、離れることはせん」
それ、自分で自殺に向かってるけど。
面倒なことは言わず、自分はアルバを軽く殴る。呻きも嘆きもしないアルバはバクを出し、自分は不法侵入したビルから出る為に燃料を咀嚼した。




