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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
伝承を恨んだ変幻人間編
55/113

夕映零は名を付ける

 祭りに行ったことなんてあったっけ。かき氷を食べたことはないし、金魚すくいもしたことないし、炭酸飲料とか以ての外だし。


 でも、いつだっけ。いつか自分は夏祭りみたいな、出店が並んだ通りを見ていた気がするんだ。


『内緒だよ、零』


 そう言われて、小さい綿菓子を舐めた気がする。酷く甘くて、齧るとベタベタした。食べにくいって文句を言ったっけ。そしたら誰が笑ったんだっけ。口を拭いてくれたあの人は、お面を額につけてたんだ。


『大丈夫、怒られるのは兄ちゃんだけだから』


 虚ろな声を置き去りにして、意識が一気に浮上する。


 目覚めた自分が一番に見るのは、今日も決まって母の顔だ。


 女は朝からにっこり笑う。自分が起きるのを待っていた頭のおかしな奴。今日は母の隣に父も立っており、二人がかりでベッドから引きずり出された。


「今日も美しくあろうね、零」


「今日も純粋でいてくれ、零」


 ざけんなバーカ。


 瞼の裏に残った夢を思い出しながら頭から水を被る。


 あれはそうだ、凄く小さな時。寝ていた自分を起こした兄に連れられて、こっそり近所の夏祭りを見に行ったのだ。


 そのせいで自分は翌朝寝坊したし、兄貴は蒸し風呂の刑に処されてた。家を抜け出した悪行も、管理外の物を食べた罪も全て兄が背負ったのだ。


 自分はどうして許されたんだっけ。そそのかされた被害者になったんだっけ。兄は親になんと言ったんだっけ。


 思い出は頭の奥に置いてきた。思い出す気も起きやしない。


 閉じた瞼に力を入れた時、頭からかけられる水の温度が変わる。開いた視界を湯気に覆われる。


 それはこの十八年で初めてのこと。咄嗟に視線を動かせば、青白い指先が水桶に触れているのを見た。


 水をかけていた使用人が湧きたつ湯気に混乱する。


 冷え切っていた自分の体には温かいお湯が流れ、何とはなしに魔術師(ザ・マジシャン)の声を拾った。


「冷たい」


 それ、この前も聞いた気がする。


 使用人が何度も確かめてかけらえる水は魔術師(ザ・マジシャン)のせいでお湯になり、自分は朝風呂に入った気分を味わった。


「内緒だよ」


 青白い顔で自分を見る奴らに口止めする。親には言うな。アイツらに言ったら面倒くさいことにしかならない。このまま黙ってさえいれば、自分は朝からあったかいお湯を被れそうなんだ。そっちの方が断然いい。


 身支度の手伝いもいらないと初めて伝えた朝は、なんとなく体が軽かった。


「自分は何も願ってないんだけど?」


「私の足元が冷える」


「あっそ」


 バクが盛られた料理を平らげ、家から出る口実である専門学校に向かう。そうでもしないとあの家は自分を閉じ込めたがるだろうし、最悪の場合は日車の文書でも使っておかしな交霊術でもさせられそうだ。その時はアイツら自身を生贄にでもしてやる気だけど。


 電車に揺られて専門学校に着き、毎日バタバタと忙しい生徒の中に紛れ込む。奇抜な見た目の奴が多い分、自分のような中性は霞んで見えることだろう。


 授業を受けて課題を出し、講評され、次の課題に向かって切磋琢磨。やる気と努力で嫉妬をひた隠すこの場所は、決して緩い学生が通うような場所ではない。


 みな、何かしらの夢や願いを持っている。その重さを計れる奴がいる筈ないのに、ある者は他人の夢を「現実を見てない」と(かぶり)を振り、ある者は他人の願いを「そんなこと?」と呆れてみせる。


 悪意ある言葉が嫌いだ。悪意なきお節介も嫌いだ。善意が作る差別も嫌いだ。


 何もかも嫌いで、何も楽しくなくて、明日くらいに隕石が降ってこないかなと願ったのは小学生の頃だったか。楽しくない日々は進学や進級しても続き、自分は周りの熱気に置いていかれている。


 服飾系の専門学校で自分はデザイン科にいるわけだが、みんないつも何か抱えて輝いている。


『君はどんな服を作りたいの?』


 入学早々適当な話し相手にされた時、自分は何と答えたっけ。


『誰でも気楽に、自由に着られる服かなぁ』


 なんて、自分の服装を指さしたことを思い出す。その後、自分に質問してきた相手とは喋ってないな。顔も覚えてない。


 ぐだぐだと布の構造や性質、縫い方など色々と学ぶ中、ノートの下でこっそりと日車の手記を開いた。


 名前持ちの影法師(ドール)


 皇帝(エンペラー)

 運命の輪ホイール・オブ・フォーチュン

 正義(ジャスティス)

 吊るされた男(ハングドマン)

 悪魔(ザ・デビル)

 (ザ・スター)

 (ザ・ムーン)


 三分の一が名前を持ったのか。そいつらは本当に強くなったんだろうか。瞼を縫う意味はなんだ? 


 どこの言語かも分からない記録は魔術師(ザ・マジシャン)がページに触るだけで読めるようになる。流石だねぇ神様。反吐が出る。


 神に礼も述べない自分は、いつか雷にでも撃たれるだろうか。


 まぁそれはそれでいいか。さて続きだ。


 瞬きした自分は劣化したページに視線を向けて、答えを見つけた。


 〈属性を転じさせることで記憶の変容を図り、無垢に近い状態へと戻す。ただし名前や自分の役割、きょうだいについては覚えさせたまま。そうすることで従順な神のような存在に近づくと考えた。〉


 〈元より影法師(ドール)の目は封じている。彼らは全身で周囲を見聞きし判断する素質を備えており、目はどこまでも見通してしまう。これは創造時の副産物的要素であり、何もかもが見えてしまう目は漆黒で覆った。影に全てを見る機能は不要と判断したからだ。〉


 〈しかし、名前を持った影法師(ドール)にこの封が効くかは判断出来ない。目に輝きがある以上、それ以上の光を吸収しないように縫い合わせることで変容を完成させた。〉


「ふぅん」


 影法師(ドール)の属性変更は人間の恐れからきたってことね。


 つまんねぇな。そのまま自我の成長を観察して、生まれ持った力を振るわせたらどれほど強い存在になったのか。それが管理しきれないと尻込みしたから、結果的に影法師(ドール)逃走劇が始まったんだろ。


 呆れているうちに授業が終わる。溜息を吐いた自分は、制作で残る生徒を横目に帰路についた。


魔術師(ザ・マジシャン)~」


「なんだ」


 駅に向かいながら願望器を呼びつけ、ぬるりと現れた愚神を鼻で笑う。あぁ、神ではないんだったっけ。


「お前に名前を付けたら強くなるの?」


「知らん」


「そ、じゃあ物は試しだ」


 歩道橋を渡り、段を飛ばして下りていく。ゆらゆらと憑いてくる願望器を振り返れば、フードから覗いた頬が今日も青白かった。


「アルバ」


 適当な音を並べて、適当に笑ってやる。


 影法師(ドール)はフードで隠した顔をゆっくり傾け、綺麗な唇で復唱した。


「アルバ」


「そう、お前はアルバ。自分が名付けた。以上」


 軽い足取りで歩を進める。魔術師(ザ・マジシャン)改め、アルバは黙って浮いていた。


「さぁアルバ、そろそろ連れてってくれよ」


 人混みを外れて路地に入る。たった一歩場所が違うだけで、世界は急に静けさを増した。


 金の髪が微かに覗く願望器は自分の言葉の意味を汲む。光を吸い込む黒いローブの下で、渇いた指が弾ける音がした。


 世界が一気に白転する。


『神の世界は清らかで、白く染められ、影からは人間の不浄な部分が溢れている』


 思い出した父親の言葉に舌をうち、影から溢れるバクを見る。白い神の世界に奥歯を噛み合わせる。


 こんな世界がほんとにあるとは、虫唾が走るな。


 静かに足を生やしたアルバは、自分に当たり前のことを問いやがった。


「武器は決めているのか」


「誰に言ってんだよ」


 気味の悪いバグを踏み潰し、渾身の力で殴り、腕に張り付いたものは裏拳で壁に叩きつける。


 左手の五指は額や目元を覆うように触れ、望んだ武器の形を、性能を描いていく。


 自分は神を呼ぶ為の依り代だった。純粋に、美しく、無性で、微笑み、反論しない。


 強要され続けた結果、自分は何者でもなくなった。


 名前はある。あるのに自分はどこにもいない。


 自分の名前は夕映零。


 何もない自分なら、何にでもなれると同義だとこじつけよう。


「アルカナ」


 舌で舐めた呪詛に笑い、顔の周りに風が生まれる。


 最初はそうだ、猫にしよう。しなやかに跳ねる四足、バランスを取る尻尾、あの牙は意外と殺傷能力が高いって知ってるぞ。


 白い面を被って口角を上げる。足は靴もろとも猫のように変容し、腰から尻尾が生えてきた。むず痒いことこの上ない。


「猫は牙と~、爪だな」


 思えば両手の五指の爪が鋭く代わり、軽くだが腹が減った気がした。


 だから手近なバクに牙を突き立て貪り食う。下手物(げてもの)でもやっぱり美味いな。もっと食わなきゃ。


 バクは燃料だ。人間である自分がアルカナを使う為に必要な栄養素。それは人が零した嫉妬であり、不満であり、不安であり、悲しさで、怒りでもある。それらすべて見えないように人は隠し、影の中に落としていく。


 自分はその嫉妬を、不満を、不安を、悲しさを、怒りをアルカナに昇華した。他人の感情なんてどうでもいい。全部自分の糧になれ。


 そうすれば、自分をこんな風にした元凶である影法師(ドール)を殺せる未来が近づくんだから。


 爪を鋭くし、牙のある口を大きく開けて、まぶれてくるバク達を食っていく。噛んで、殺して、裂いて、殺して、踏んで、殺した。


 食べては「アルカナ」を口にして、渦巻く風から面が落ちる。色々な動物を模して、その特性を付随させた面だ。創れるうちにたくさん作ろう。選べる方が楽しいから。


 脳裏に浮かんだのは夏祭りのお面屋台。


 寝ぼけていた自分は、それでもあの日を覚えてる。兄に手を引かれた緊張も、提灯の火も、甘すぎる綿菓子の味も。


「……楽しかったんだよなぁ」


 動かなくなったバクの山の上で尻尾を揺らす。アルバは影にバクを収納していき、自分も適当に蹴り入れた。


「ねーアルバー」


「なんだ」


「どうせレリックは殺すんだけどさ、その道中が楽しい方がテンション上がるよねー」


 嵐と凪はつまんなかったな。影法師(ドール)がいるのにやり返さなかったし。アイツらはどんなアルカナ創ってることやら。


 自分は適当に遠くを見つめ、白い尾を揺らし続けた。


 猫みたいにするすると、どんな所でも散歩しよう。軽く軽く、跳んでいこう。


 自分に与えられた属性は風。風がどこにも行けないなんて摂理に反する。


「光源って嵐や凪の他にもいるんだろ?」


「いる」


「ならそいつらにちょっかいかけよっかなー、その方が面白そうだ」


「面白いのか」


「面白いでしょ。自分はお前らに対する知識があったけど、知識ゼロの奴らが何かを願って、必死に影法師(ドール)を自由にしようとしてる姿なんてさぁ」


 面白くて、虫唾が走る。


 どうせ最後は、自分の願いで影法師(ドール)は消えるのに。


 自分の願いは「全ての影法師(ドール)の消滅」


 あぁ……でもそうだ、そうだな、どうせなら。


「集めるか、影法師(ドール)


「零?」


「どーせ最後に消えるなら、きょうだい揃っての方がアルバもいいよね? 自分も見たいんだ。二十一体の影法師(ドール)が目の前から、確実に、消滅する瞬間」


 アルバは壊れたバクを両手に抱き、静かに影に落とす。


 自分の内側では想像する楽しさが湧いていき、自然と口角が上がってしまった。


「かつて自分の先祖は影法師(ドール)を集めようとしてたんだろ? 連れ戻そうとしてたんだろ? なら同じことをしてやるよ。レリックに頼らず、自分が影法師(ドール)を集めてやるさ」


 猫の面に触れて、アルカナを風にする。白い空に吸い込まれていった風を見送れば、共に揺れた毛先が白くなっているのが目についた。


「集めた影法師(ドール)はレリックが全員壊れた後、それぞれの光源の願いを叶えたらいいよ。それで最後、自分の願い。アルバが叶えてくれたその時に、自分は見るんだ。自分に取り憑いていた呪縛が消える瞬間を」


 その時は両親にも見せようか。これが神だ。お前達が会いたがってた神とはこれだ。


 高笑いが零れる前にぐっと噛み締め、アルバを見下ろす。


 何も言わない影法師(ドール)は自分の傍まで浮いてきた。


 なぁ、自分勝手な願望器。


「アイツらの前で消えてくれ、自分の前で失せてくれ。そうすれば信仰が破綻する。精神が殴られる。夢も希望も打ち砕かれる!」


 湧いてくる怒りに任せてバクを踏みつける。目の前に浮かぶ願望器は黙って自分の声を聞き、自分は笑いが止められなかった。


 その瞬間は、きっと楽しい。


 あの狂った家族に知らしめよう。最高の瞬間を、最高におかしな茶番を、腹の底から砕くのだ。


「自分の願いが叶う日に、神は死んだと突き付けよう!」


 二十一の神が消える。


 その瞬間、我が家に響くのは絶叫か、慟哭(どうこく)か。そんなものはどうでもいい。


 自分は唯一笑っていよう。笑えと教えられてきたから、声高らかに笑ってやろう。


 そしてそのまま破滅して、適当に死ねれば本望だ。


「自分はアルバに協力するんだ。だからお前も協力してくれよ。きょうだい探し。ついでの暇潰しに、面白い光源がいるといいなぁ~」


 想像しながらバクを拾い、描いた夢に体が軽くなる。


 齧ったバクはやはり美味しく、アルバは何も言わずに隣にいた。

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