稲光愛恋は奪われる
水と火なら水の方が強いと思う。
水は火を消せるから。それは誰しも知ってる原理だ。
でも、目の前の人にはその原理が効かない。
宙に浮いてる金の瞼の眼球。赤い虹彩はギョロギョロと私を追い、気づけば火種を宿していた。
燃やさせない。
水化した針で無数の眼球を串刺しにする。燃える前に火種を潰す。
彼に攻撃なんてさせない。させたらいけない。そう直感が騒いでるから。
「戦わなくていいよ。君は痛くないだろう?」
白い髪を揺らした男の人は、私に憐れむ目を向けた。
それに鳥肌が立ち、私はバクと一緒に男の人を叩き飛ばす。彼はジャングルジムに激突し、私の右手は震えていた。
彼は崩れたジャングルジムを重たく払い、ゆらりゆらりと立ち上がる。
この人といい、夕映さんといい、光源の人って変な人ばっかりなの?
夕映さんは平気で人の大事なものを踏み荒らそうとする。自分の都合のいいように笑って、自分勝手に怒ってる人だ。
いま目の前にいる人はまた違う。
この人も怒ってる。でもそれはルト達、影法師に対してだ。それが何でかは分からないけど、彼は影法師だけに怒ってる。
そして、光源である私のことは憐れんでる。
本気で可哀想だと思って、どこにも敵意なんてないんだ。
私を見る目が言ってる。戦わなくていい、私は抵抗しなくていいって。
なのに彼は攻撃しようとする。どうして。どうしてそこに敵意が乗らないの。
貴方が目の奥に抱えてるものは何?
何も分からない私はルトと一緒に右手へ乗り、左手で地面を抉った。
「る、ルト、あの人の影法師、なに? 大丈夫?」
「アイツは審判。ド真面目な奴だよ。正義の次に公平や平等にうるせぇんだが……なにがしてぇんだ?」
頭を掻いたルトに私は口を結ぶ。
女教皇
隠者
あの子達はルトと話したいって言ってた。それで、ルトを頂戴って。
魔術師
どうしてあの子は夕映さんを選んだの? 人選が分かんない。何がしたいの。影法師は自由になりたいんだよね?
影法師が描いてた筈の光源との関係。それは単純。戦いたくない自分達の代わりに戦ってくれる駒が欲しい。私達は影を救う光として選ばれた。
私達はバクを食べてレリックを壊していけばいい。
全部のレリックを倒したら終わり。自由になった影法師が私達の願いを叶えてくれる。
単純明快な約束。何も悩むことなんてない。バクは簡単に潰せるし、レリックだって倒してきた。
脅威はバクでもレリックでもない。
光源が影法師の脅威になってる。
光が光の邪魔をする。
なんで、どうして。私達が戦って、そこにどんな作用が生まれるっていうの。
「愛恋!!」
考えすぎてた。そう実感したのは、自分のアルカナを火柱で貫かれた時。
下から光線のように現れた細い火柱。炎が黒い手の甲を貫いて、私は服を焦がしながら転がり落ちた。
直ぐに体勢を立て直して眼球を針で串刺しにする。水の糸で繋がった目は火の粉と共に破裂し、上から強い光が射した。
しまッ、
「ぅわッ!」
黒い両手が光線の直撃を受ける。爆発に巻き込まれると同時に、太腿が炎に貫かれた。
足が上手く動かせない。立ち上がれない。傷が燃えてて治せない。
駄目、駄目だ。痛くないけど、これだとルトがッ
両腕に力を入れると、すぐ近くで男の人の声がした。
「抵抗しなくていいよ。苦しいかもしれない、怖いかもしれない。それでもこれは、君を救う為には必要なことだから」
金の眼球に取り囲まれ、憐れむ瞳を見上げる。傷ついたままのルトも見る。穴だらけになった自分の黒い手も、見る。
どう動いたらいいの。どうしたらいいの。今この状況では何をしても、相手の方が先手を取れる。
考えて、考えて、奥歯を噛んで最善を探す。
それでも道が見えなくて、自然と喉が引きつった。
その時私は――鎖の音を聞いたんだ。
見えたのは青い髪。
森を宿した青い両目。
大事な、癒しの人。
夜鷹昴くん。
「何、してんの」
暗くザワつく森の目を見て、「逃げて」が喉から出てこない。昴くんの背後に浮いた金の眼球を見つけてしまったから。
「これは救済だよ」
アルカナの爆発が昴くんを襲う。倒れながら避けた昴くんは目を見開いて、イドラの足首が爛れていた。
いやだ、動け私!!
「昴くん!」
「駄目だ恋さん!!」
昴くんの肩とこめかみが燃やされる。
私の腹部に衝撃が走る。
熱い。熱い。体、動か、
歯を食いしばった瞬間、近づいていた男の人に蹴り飛ばされる。強く地面を転がる中、呻くのはやっぱりルトなんだ。
「あ"、がッ……ッ、なにさせてんだ、審判!!」
ルトの怒鳴り声に審判は答えない。何も答えてくれない。何も教えてくれない。
目の前で昴くんの鎖が鋭く波打つ。
それでも熱さが肌を撫で、大事なあの子が貫かれる。
私がどれだけ眼球を潰しても直ぐに再生されて、昴くんと私の足は燃えていた。
なんで、どうして、何がしたいの。
浮いた汗が顎を伝う。気づけば周りが火の壁に囲まれて、近づくバクが焼かれていた。
「選べ、影の寄生虫」
それは、誰のこと。
もしかして、ルトのことを言ってるの?
「光源を殺されるか、自ら離れるか」
私の体温が一気に下がり、額が瞬時に熱を帯びる。
「これは慈悲だよ」
なにが、慈悲だ。
貴方がしてるのは先生達と一緒だ。
私の可愛いを勝手に否定して、勝手に自分達の可愛いを押し付けて、私を正そうと押し潰すんだッ!!
「出ていけ、影法師」
男の言葉に私の頭が煮え滾る。
この人の言葉が嫌い、姿勢が嫌い、思惑が嫌い。
言葉を吐けないように喉を斬ろうか。自信をもって立ってる足を斬ろうか。燃える貴方の目を、瞼を縫って閉じてしまおうか!
私が奥歯を噛み締めた時、ルトが袖を広げて前にしゃがんだ。足を怪我してるのに。ルトは痛い筈なのに。
「出て行けって、なぁに言ってんだテメェ。お前は審判の光源だろうが」
ルトの言葉に男も審判も答えない。
だったら、いいよ。貴方達が勝手をするなら、私だって勝手をするから。
「貴方に、貴方に指図されることじゃない」
私の属性は水。
貴方の火なんて、消してみせる。
アルカナを水球に戻した私は、自分と昴くんに水を浴びせる。傷口が鎮火した瞬間に怪我は再生され、私は再び黒い両手を顕現した。
昴くんの鎖が金の眼球と男を捕縛してくれる。
だったら後は、私が叩く。
振り被った右手を男に叩きつける。ギリギリ死なない程度。狙うは気絶、もしくは瀕死。とりあえず動かなくなって。
痛がらない相手は加減が難しいから、代わりに痛いを見せてくれる審判を凝視する。影法師は地面に倒れ込み、鎖と手の重さに歯を食いしばっていた。
それでも、貴方はその男から離れないんだね。
なら私だって手加減しない。
濡れた髪から雫を散らして、右手に左手を強く重ねた。地面に微かな亀裂が入るほどに。
「奪わせ、奪わせません。誰も、私から奪うなんて許さない」
奪わせない。取り上げさせない。私の好きを守るんだ。
その為に手を創った。鋏を握った、針を構えた。
私は何も、諦めないって決めたんだ。
なのに、私の手を押しのける強さがある。衝撃が走る。火に貫かれた黒い手が浮いてしまう。
「奪うん、じゃない……救うんだ」
立ち上がった男の白い目に、燃える気迫が浮かんでる。あまりにも激しい炎。周りに広がる圧倒的な業火。
でも、それは激しいだけじゃない。夕映さんと確かに違う火が奥にあった。
優しく爆ぜた、それは残り火。
誰かの為に燃えてたのに、燃えることが出来なくなった悲しい残炎。
私が彼の目に一瞬だけ気を取られた時、走り出していた昴くんの右耳と左肩が貫かれた。
「昴くん!」
「っ、恋さん距離とって!!」
昴くんの声で体が動き、彼と共に右手へ飛び乗る。歯痒く唇を噛みながら。
昴くんはずっと集中してくれてるのに、私は何やってたの。
自分に苛立ちながら左手を男に叩き込む。しかし相手は避けるから、苛立ちが私の頭を熱くするんだ。
「私から、奪うなんて許さないッ」
「誰の許しもいらないよ。俺は俺の救済を押し付ける」
そんなの許容出来るはずないでしょ。
上空が火に覆われて退路が塞がれる。ならもう逃げない、逃げないよ。
黒い手から勢いよく飛び降り、昴くんの鎖が男を絡めとる。
慈悲はない。躊躇もない。
私は男を挟む位置で、勢いよく手を打ち鳴らした。
それでも炎は上がり続ける。男は決して潰れない。
白い髪を見て、燃える瞳を見て、自分の奥歯が固く噛み合わさった音がする。
熱い、熱い、頭も体も全部熱い。
それが、私の動きを鈍らせた。判断を駄目にした。
気づいた時には多くの眼球が私の方を向き、火の粉が零れていたから。
避けないといけないって判断した時には既に、昴くんが前にいて。
青い髪が火花みたいに弾ける。
イドラの黒布が弾け飛ぶ。
微かに後ろに下がった頭が揺れて、星が崩れる。
イドラの縫われた瞼から黒い液体が飛び散り、掠れた呻きと一緒に膝が折れた。
「昴くんッ!!」
倒れる彼を受け止める。自分の両手で、大事な星が、森が、燃え尽きる前に繋ぎとめようと縋りつく。
目を閉じた昴くんからは返事がない。右目の下から額にかけて炎の傷ができ、イドラの顔の右側からは液体が止まらなかった。
視界が滲んで呼吸が浅くなる。昴くんの顔を触って、肩を撫でて、汗の浮いた前髪を分ける。譫言みたいに名前を呼んで、彼の頬に落ちたのは私の涙。私の目から勝手に零れた、感情だ。
「すば、すばる、昴くん、や、ゃだ、ねぇ起きて、昴くん、嫌、あぁ、あ、ぃや、いや、ッ」
ボロボロと零れる涙は昴くんの火を消せない。彼の目が開かない。
「吊るされた男! 昴!!」
「っ……わたしは、いい。すばる、昴を……ぁれん」
イドラの言葉でアルカナを水球に変える。その瞬間に私の肩と腹部が撃ち抜かれ、水が弾けてしまった。
集めようとしても上手く集まらない。体の芯から震えて涙が止まらない。呼吸が熱くて、早くて、寒くて、昴くんを抱き締める力だけは強くなっていく。
「その子は救えるよ。影法師さえ離れればいい。そうすれば傷も、不安も、こんな戦いからも抜けられる」
男が私達の前に立つ。ぐらぐらの私の視界は上手くアルカナを形作ることが出来ず、昴くんの体が冷えていった。
なに、なに、ど、したら。この人を殺したらいい? この人、この、それより先に昴くん、消火。そう、それができればイドラが傷を治して、できるのに、私、わたし、あるかなを、ッ
「愛恋、ごめんね」
荒い呼吸が近づいて、私の額にイドラの頬が触れる。
破れた黒布を首に引っ掛けた影法師は、雑に縫われた左目で弧を描いた。
笑ってる。
傷だらけのイドラは、笑ってる。
「私は、君達を死なせたくはないんだ」
冷えた空気が離れていく。銀色の髪が男を振り返る。
「私は離れるよ。だから昴の火を消してくれ」
「お前だけじゃ駄目だ。そっちの影法師も」
男の目がイドラからルトに移る。一瞬黙ったルトは私に顔を向け、こめかみを掻いていた。
かと思えば全身で溜息を吐き、長い黒髪を仕方なさそうに払ってる。
「たぁくよぉ……出て行けばいいんだろ~? なら出て行ってやるさ、傷が治んねぇのは痛ぇからなぁ。おいやるぞぉ! 吊るされた男!」
「なに、なに、やだ、やだよルト」
ルトは私を見て下手糞に笑う。
黒い手は私の頭をくしゃりと撫でて、柔らかい声が耳に響いた。
「じゃぁなぁ、かぁーいー愛恋。ありがとな」
「る、ると、ルトッ」
「愛恋、お前に必要なのは俺より昴だ。コイツを死なせちゃ駄目だろ~?」
ルトが私の頬を尖った指先で撫でる。
私の脳裏に、笑った昴くんが浮かんでくる。
願いと昴くんを天秤にかけて、昴くんの方に傾いた、一瞬の時。
その瞬間を待っていたように、私の唇が冷たさに覆われた。
私の影が、寂しく、虚しく、空っぽになる。
腕の中ではイドラが昴くんに顔を近づけて、光源の男は一息つくように火を消した。
昴くんの顔から火と傷が消える。イドラから零れていた黒も止まって、二人の影法師が立ち上がった。
「じゃあね、昴」
待って、待って、やだ、いやだよ。
「ぃか、いかないで、」
可愛いお化け達が浮き上がる。私の手では掴めない場所へ行く。
イドラとルトは顔を見合わせて、泣いてる私に笑うんだ。
「行かないで、ィドラ、ルトッ!」
返事はない。答えは分かり切っている。
指を鳴らしたルトの笑顔が目に焼き付いて、私と昴くんは雨降るジキルに戻された。
誰も歩いてない路地の入口。白く強くなる雨が私を叩く。私の弱さを殴りつける。
空っぽの影が寒い。昴くんの体が重い。あったかい寒さが、影の底から消えていく。
「ルトッ!!」
枯れた声は雨に消されて、私の涙も上書きされる。
寒い、寒い、寒いよルト。
イドラ、きっと昴くんは怒るよ。勝手にいなくなって、勝手に離れて。
昴くんを抱き締める。雨音に嗚咽を重ねて体が冷える。大事な一等星は、まだ目を開けない。
「……おや」
不意に私の雨がやむ。
差し出されたのはビニール傘。
見上げた先に居るのは、真っ黒な目をした女の子。
「た、たきび、ちゃん……」
段違いの黒髪を肩から滑らせた、篝火焚火ちゃん。
黒い目は私を食い入るように観察する。
壊れた笑顔が問いかける。
「何があったんですか?」
貴方の声で、私の嗚咽が大きくなるとも知らないで。
焚火ちゃんは玩具の笑顔で首を傾け、雨が傘を叩いていた。




