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己の願いに焼かれる前に  作者: 藍ねず
忘却を恐れた束縛少年編
39/113

夜鷹昴は砕かれる

『ねぇイドラ』


『なんだい、昴』


『イ~ドラ』


『うん?』


『イドラ』


『ここにいるよ、昴』


『知ってる、呼んだだけだから』


『おや、』


 笑ったイドラを知ってるよ。いつも笑って、俺の旋毛に顔を押し付けて。恥ずかしいからやめて、なんて、言ったところで君は聞いてくれないんだ。


 呼べば必ず返事をくれた。俺に寄り添って、楽しそうに名前を口にしてくれた。


 知ってるよ、イドラ。君がいつか俺の元を離れるって。


 ちゃんと分かってるよ。君は俺の所から飛び立つために、俺の傍にいるって。


 恋さんだって一緒だ。


 恋さんはルトとイドラを自由にするまでの間、俺といてくれるだけの人。分かってるよ、大丈夫。俺はその決められた期間だけでも大事にしたくて、忘れられたくなくて、頼られたくて飛んでるだけだから。


 俺達の「さよなら」はレリックを全員倒した日。その日だけだ。その日だけしか許さない。それより前の強制退場なんて、誰も望んでいないのに。


「出ていけ、影法師(ドール)


 炎を背にした男が睨む。イドラは立てない俺を確認し、ルトは赤い目に狙われた恋さんの傍にいた。


 俺の脹脛(ふくらはぎ)に炎の穴が開いている。恋さんの腹部にも燃え続ける傷があり、痛覚がない俺達は久しぶりに動けないという状況にいた。


 飛び掛かるバクは眼球の炎に焼かれていく。忌々し気に目を歪めている男は、ルトの動きを見つめていた。


 ルトは恋さんを庇うように左手を広げている。膝をついた影法師(ドール)は尖った歯を見せ、黒い長髪は地面についていた。


「出て行けって、なぁに言ってんだテメェ。お前は審判(ジャッジメント)の光源だろうが」


 ルトの空気が周りを凍らす勢いで冷えていく。しゃがんだイドラは俺の背中を膝で支えてくれた。イドラの足からは黒い液体が流れ続けてる。


「イドラ、」


「私はいいから」


 イドラの声が警戒心をひしひしと伝えてくる。恋さんは白い髪を肩から落とし、白い目を燃やしていた。


「貴方に、貴方に指図されることじゃない」


 歯を食いしばった恋さんの上で、巨大な左手が水の塊に変わる。全身に水を浴びた彼女の傷からは火が消えて、即座にルトの出血が止まった。


 ふと俺にも影がさす。気づいた時には全身が濡らされ、傷が鎮火された。


 イドラの傷が塞がって俺が動けるようになる。立ち上がった恋さんが再びアルカナを出して男に飛び掛かり、俺は鎖で宙を抉った。


 金色の眼球全てを絡めとり、息つく前に錠前をかける。増やした鎖で男の体も同時に捕縛すれば、相手の膝が地面に埋まった。


 人に使う為に作った訳じゃないけど、先に手を出したのはお前だから。


 鎖を錠前で重くする。岩の如く、身動き一つ取らせてやるか。


 コイツに背中は向けられない。逃げちゃ駄目だ。あの目は何処までも追ってくる。


 だから、ここで潰す。


 振り被った恋さんの右手が男に叩きこまれる。強烈な勢いで地面にめり込んだ審判(ジャッジメント)は呻き声も出さずに黒い液体を吐き、俺は錠前をかけ続けた。


 火のナイトを捕まえた時と同じように。宙で何個も岩石を砕き、相手の再起不能を狙ってる。


 コイツの思惑なんて分からない。理解出来ないから怖い。


 ここでコイツを潰さないと、俺の大事なものが無くなる気がするんだ。


 恋さんが右手の上に左手を強く重ね、白い毛先から水を滴らせる。彼女の目は燃えるような怒りを浮かべ、俺は鎖を締め上げた。


「奪わせ、奪わせません。誰も、私から奪うなんて許さない」


 男が作った炎の壁がバクを焼き続ける。周りの空気がどんどん熱くなる。


 俺の顎から汗が落ちた時、黒い手の下から低い声が響いた。


 審判(ジャッジメント)は関節を痛めながら立ち上がる素振りを見せる。


 ……嘘だろ。


「奪うん、じゃない……救うんだ」


 俺の鎖が炎に砕かれる。


 恋さんの巨大な手が細い火柱に何本も貫かれる。


 地面から這い出た男は白い髪を払い、審判(ジャッジメント)が起き上がる。


 男の白い目が、炎を反射して燃えていた。


 全身に鳥肌が立つ。


 夕映さんに会った時とはまた違う。


 正に、燃え盛る業火のような怒りが肌を焼く。


 咄嗟に恋さんの方へ走り出した俺の前には、赤い眼球が浮かんだ。


 右耳と左肩が火に貫かれる。光線って言えばいいのか、槍って言えばいいのか。頭が一瞬別のことを考える間に足が貫かれて、俺は歯噛みするんだ。


「昴くん!」


「っ、恋さん距離とって!!」


 俺と恋さんを黒い右手がすくい取り、イドラとルトが宙に浮く。赤の眼球が回り込んで火を吹いたから、俺は燃える傷を気にせず鎖を波打たせた。


 恋さんの黒い左手が地面に突き刺さる。男は前傾姿勢で鋭い爪を躱し、俺達の上では眼球が爆発して退路を塞がれた。


 炎の壁に囲まれる。熱気が俺達の肺を焼く。


 俺の火を消してくれた恋さんは、目を血走らせて喉を唸らせた。


「私から、奪うなんて許さないッ」


「誰の許しもいらないよ。俺は俺の救済を押し付ける」


 金と赤の眼球が周囲に浮いた瞬間、俺と恋さんは手から飛び降りる。


 一瞬の判断で負ける。やられる。


 やられる前に、動きを止めろ。


 まだ足が地面に着いてない、瞬きの隙。俺は鎖で男を雁字搦(がんじがら)めに縛り付ける。身動きの取れない男には恋さんの両手が迫り、合掌するように打ち合わされた。


 響いた掌の音が鼓膜を揺らし、目の前には爆発した火の粉が舞う。


 男は俺の鎖と恋さんの掌を焼ききって、躱していた。地面に這いつくばって、白い髪を乱しながら。


 穴が開いた恋さんの手はしゃがんだ男の毛先すら捕まえられず、眼球のアルカナが彼女の方を向いていた。


 あ、


 思った時には体が動いてた。


 なんて、あるんだな。ほんとに。


 地面を蹴って、眼球と恋さんの間に入る。


 瞬間、俺の右の視界がなくなって、意識が一気に暗転した。


 ***


『じゃあね、昴』


 目が覚めた。


 そこは恋さんの部屋だった。


 ベッドに寝かされてると分かって、俺の左手が痛いほど握られている。見ると恋さんが俺の手を握って俯いていたから、俺は息を吐くんだ。恋さん意外と力が強い。左手ギリギリ言ってるんだけど。


 ……いや、ちょっと待って。


 ()()?


 俺の左手が、いま、痛い?


 飛び起きて、ベッドのスプリングが軋む。


 恋さんの黒い髪が驚きに跳ねる。


 見渡した部屋の中には、俺達以外にもう二人いると気が付いた。


 一人は篝火さん。口元に弧を描いて俺を観察している。猛禽類みたいな目だと思ったけど、瞬きと共に光がなくなった。


 一人は焔さん。白い袴と白い着物で俺を見下ろしている。彼の顔には笑みがなく、静かに瞼が伏せられた。


「恋さん……痛い」


「痛い、痛いよね、痛いよね……昴くん」


 顔を上げた恋さんの目元が真っ赤に擦れている。何度も拭ったんだ。確認しなくても分かる。


 言葉が出てこない俺は、恋さんの指が右目の下を撫でてくれる温かさを受け止めた。


「……ねぇ……恋さん」


 言葉の頭が微かに枯れる。


 恋さんは俺の目を大事そうに撫でて、彼女の黒い両目からは涙が溢れ始めるんだ。


「――イドラと、ルトは?」


 影の中が空っぽになった感覚がする。


 背中が寒くて、無性に寂しさが胸を埋める。


「俺達の……影法師(ドール)は?」


 頬が上手く上がらない。


 視界が滲んで喉が熱い。


 唇を噛んでいた恋さんの目が一気に暗くなる。


 彼女は破りそうな勢いでシーツに爪を立て、喋ったのは篝火さんだった。


「離れてしまったそうですよ、稲光さんいわく」


「は、なれた……?」


『ねぇ昴、私達を自由にしてくれるかい?』


 イドラの声が頭を回る。


審判(ジャッジメント)の光源に攻撃されたそうですね。稲光さんを庇った夜鷹さんが意識を失われたそうで」


 俺の呼吸が浅くなる。


 頭より先に体が動いた瞬間を思い出す。


「そこでまず、吊るされた男(ハングドマン)が離れたようですよ。貴方の傷を治して、相手の言った通りに」


「そのまま、そのまま一緒に、ルトも、行っちゃった……ッ」


 泣いてる恋さんの目に怒りが浮かぶ。こちらが焼かれるような激情の眼。全てを許さないと決めた業火の瞳。


「ぃか、行かなくていいって、離れなくていいって言ったのに! 一緒にいたら駄目みたいだからって、ッ」


 恋さんの顎を伝った雫がベッドに落ちる。俺の手にも落ちる。その雫は、そこから焦げていくんじゃないかってくらい熱くて、痛くて、しんどいから。


「ごめん、恋さん。俺が、」


「昴くんは何も悪くない」


 俺の手が再び固く握られる。久しぶりに痛みを感じた俺は、地に足がつくような感覚になるんだ。


 泣いてる恋さんは、真っ赤な目元で言葉をくれる。


「すば、すばる、昴くんは悪くないよ。貴方がいて、貴方だけでも残ってくれて、生きててくれて、嬉しいんだから」


 あぁ、駄目だよ恋さん。


 イドラのお願いも叶えられない。恋さんのお願いも叶えられない俺に、駄目で仕方ない俺に、そんな言葉をかけないで。


「ありがとう、ありがとう、昴くん」


 あぁ、駄目、駄目だ、もう駄目だ。


 貴方のその言葉で、俺の涙腺が決壊する。


 溢れた涙は止まらなくて、背中がどんどん曲がっていく。


 鼻の奥が痛い。目が焼けそうなほど熱い。喉が締まって焦げそうだ。


 恋さんは俺の頬を触って、一生懸命指で涙を拭ってくれた。


 それでも俺の目頭は溶けたままで、恋さんの手に掌を重ねるしか出来ないんだ。


「ごめん、ごめんね恋さん、ごめんなさぃ」


「大丈夫、大丈夫だよ、大丈夫」


 俺の目を覗き込む恋さんが滲んでる。


 どうしてイドラは離れたの。


 俺が気絶したから? 恋さんが危なかった? あの光源に何を言われたんだよ。そもそもアイツは何が目的だったんだ。


 鼻をすすった俺に恋さんが笑ってくれる。俺は奥歯を噛むだけで、まだ笑顔なんて浮かべられないけど。


「なんで、篝火さんと焔さんが……?」


「ジキルの路地で見つけただけだ。夜鷹少年を抱えた稲光愛恋を。焱ちゃんが」


「聞けば審判(ジャッジメント)の光源にやられたと言われるので、情報を貰っておこうかなって」


 焔さんは気乗りしない素振りで息を吐き、篝火さんは落書きみたいな笑顔をキープする。恋さんはベッドの縁に腰かけて二人の方を向いていた。


「たきび、焚火ちゃんは知ってる? 審判(ジャッジメント)の光源」


「知ってますよ」


「誰、誰あれ。教えて」


 恋さんの空気が肌を刺す。俺からは背中しか見えないけど、目を細めた焔さんの態度からして、優しい顔はしてないんだろうな。


 篝火さんは少し間をおいて、微かに目を開けていた。


 落書きの笑顔が暗く染まる。


「では、先に私の質問に答えて頂けますか?」


「いい、いいよ」


 篝火さんの目がしっかり開く。黒く光を吸い込む目は恋さんを射抜いていた。


「心はどこにあると思いますか?」


 それは、いつか俺もされた寂しい問い。


 燃える壁を挟んだ先で、篝火さんは聞いてきた。


 独りぼっちの部屋で、真心くんなんて名付けたぬいぐるみを抱いてる人。


 その人の問いに、恋さんは俺の手を握り締めながら答えるんだ。


「目の、目の奥にあるよ」


 篝火さんの瞼が軽く見開かれる。


 かと思えばゆっくりゆっくり閉じられて、彼女の肩から黒髪が流れた。


「ありがとうございます」

これにて「忘却を恐れた束縛少年編」閉幕。

次話より「擬態を千切る裁縫少女編」を始めます。


視点は昴くんから愛恋ちゃんへ。


焚火ちゃんがユエと出会う十カ月前。

昴くんがイドラと出会う四カ月前。


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