2-1 ネコ出鬼没〈1〉
さて、見知らぬベッドで目を覚ましてから、小一時間後。
「皆さん静かに。刺激しないよう、できるだけ速やかに避難しましょう」
ヨハンナさんが、声をひそめて指示を出す。
私たちはどういうわけか、またしても巨大な猫ちゃんに遭遇していた。
話を少し戻そう。
「あかりさん、貴女の今後のご予定ですが」
茶器をテオ君に下げさせつつ、ヨハンナさんは話を切り出した。
「まずは領主と会っていただきます。ただ、その前に」
「その前に?」
「調べさせもらいたいのです、貴女のことを。あかりさんが悪意ある者だとは微塵も思いませんが、貴女の持つ何らかの力が、不測の害を及ぼさないとも限らないからです」
なるほど、もっともだと思う。実際、私自身にも分からない理屈で巨大な猫が縮んだわけだし、領主さんが、ウッカリ小さなおじさんになってしまったら大変だ。
「ウミャミャイ」
ちなみに黒猫ちゃんは、なにごとかを訴えながらケージの中でゆでささみを食べている。ものを食べるときに喋るタイプの子、時々いる。
(……そういえば、うにたんはどうしてるかな。ちゃんと朝ごはんは食べたかな)
私が異世界に飛んでいる間の状況は、悲しいかな知るよしもない。いずれはトリップ前の時間と場所にピッタリ戻れるのだと信じることにする。
「そういうわけで、わたくしたちは少し出かけます。留守を頼みますよ、テオ」
「えー! やだ」
ヨハンナさんが視線を向けると、テオ君から即座にノーが出た。
「やだって……この『猫』を見張っておかなくてはならないでしょう」
「ウナン」
「大丈夫だって。鍵だってかかってんだ、逃げやしないって!」
「そう言いますがね、フェレンゲルシュターデンを無断でかくまっているのですよ。万が一にでも何かあれば、わたくしの首が飛びます」
ヨハンナさんが親指で喉元をピッと掻き切るジェスチャーをし、テオ君がしぶしぶ黙りこむ。
「ちぇっ、俺だけ留守番かよ……」
こうして、私はヨハンナさんに先導されて部屋を出た。
外はいいお天気だった。
うららかな陽気の下、芝生は青々と生い茂り、植え込みには花が咲き乱れている。今は十一月だと思うのだが、自信がなくなってしまう。
「きれいな所ですね、ここ」
「庭師が熱心なのです。……ああ、このあたり一帯は領主邸の敷地ですよ」
そうだったのか。軽く振り返ると、たしかに立派な洋館が丘の上に見えた。ずいぶん広い敷地だということになる。自転車がほしいところだ。
「……で、もう少し行くと、教会がありまして」
ヨハンナさんの声に、私は視線を進行方向に戻す。
「そこに神父を一人と、よく分からない者をひとり預かっております」
「よく分からない者?」
ヨハンナさんの説明が、急にあやふやになった。
「まあ、技師ですかね。よく分からない技師です。とにかく彼に要件があります。なに、変わり者ですが腕はたしかですよ」
ほどなくして、庭木に隠れるように慎ましやかに建つ、白い教会が見えてきた。
「ヨハンナせんせ~、や~っと来たぁ★」
その玄関口に着くより先に、場違いなほど明るい声を上げて女の子が駆けてきた。
シスター服に身を包んだ、中学生くらいの女の子だ。
「もう待ちくたびれちゃったよぉ★ ――あっ、キミが噂の『耳のないお客サマ』かなっ⁉ きゅんきゅん☆」
「は、はあ……」
急に話しかけられたので驚いてしまう。白地にグレーのポイント柄の耳をした、シャム猫風の美少女だ……メイド喫茶か小劇場で会えそうなタイプの。
やや遅れて、教会から姿を現した人が、もうひとり。
「…………」
こちらは詰襟の神父服をパッツンパツンに着こなした、身長二メートルはありそうな筋骨逞しすぎる男の人だ。
(マ……マッスル‼)
彼は無言で会釈をすると、「どうぞ中へ」とジェスチャーする。
「ではお邪魔しましょう、あかりさん」
「え! この人神父さんですか⁉」
「見るからにそうですが」
ヨハンナさんが平然と答える。いやいや、通りすがりのボディビルダーかと思いましたよ……。しかし私は発見する。マッスルさんのお耳と尻尾が、野性的かつ愛らしい長毛のモフモフであるということを。
そうか、この人は――ノルウェージャンフォレストキャット!
そんなこんなで私が通されたのは、……なんとも教会らしからぬ、あやしげな小部屋だった。
灰色の石壁がむき出しの、窓のない部屋。その薄闇の中に、揺り椅子が一脚だけ置いてある。
「ここは一体……」
「ここは『検査室』だよっ☆」
よかった、呪われた部屋とかではなかった!
「ささ、こちらのお席へドウゾ~」
シャム猫さんにうながされるまま、私は椅子に腰かける。あ、思いのほか座り心地はいい。背もたれに身をあずけて、ゆらゆらするのは少し楽しい。
シャム猫さんは椅子の背後に回って、ガサゴソと何かの準備を始めた様子だ。
「あのー……」
私はヨハンナさんに視線を送る。
「これ、どういう状況なんですっけ?」
「はい、貴女の身体検査を行います」
そういえばそういう話だった。
けれど、ただ奇妙な部屋で椅子に座っているだけだ。私の思う身体検査とは様子が違う。
「――って、じゃあこの女の子が、よく分からない技師さんですか?」
「おっと、申し遅れたね☆」
シャム猫さんが背後から顔をのぞかせる。
「ボクの名前はエマ。百年に一人の天才発明家、ドクター・エマとはボクのことさ! 以後お見知りおきを。きゅんきゅん☆」
情報量が……情報量が多い!
「ちなみに、彼は居候の手前シスターの格好をしているだけで、ゴリゴリの俗物ですので」
ヨハンナさんが淡々と補足する。いやこれ以上パンチのきいた情報を増やさないでほしい。
「まーまーまー。そんな小さいことは置いといてさ」
エマさんが絵に描いたような巨大リモコンを取り出す。この二十一世紀のご時世に、コントローラーが十字にしか動かないやつだ。ヴィジュアルが不安すぎる。
「パパッと測定しちゃうよ~。ぽちっとにゃ~!」
エマさんがそう告げた瞬間、さらに珍事が起こった。
「ヨハンナ――――‼」
検査室のドアを盛大にぶち破って、何かが弾丸のように飛びこんできた。
「テオ⁉」
テオ君である。
つい数十分前に留守を頼まれた少年が、血相を変えて駆けこんできた。
「ヨハンナ、やっと見つけた! どうしよう⁉」
「いや、どうしようってあなた……ドア……」
ドアが大破してしまった。これは後日弁償ものだ。いや、そんなことより――
「どうしよう、ヨハンナの首がもげた‼」
「おちついて。もげてません。一体どうしました」
テオ君はすーはーと大きく深呼吸をする。よほど興奮していると見え、ボワッと膨らんだ尻尾が小刻みに震えている。試験管を洗うブラシみたいだ。
「ね、ね、猫が……」
「猫が?」
「猫が、逃げた‼」
「えっ」
次の瞬間、ヨハンナさんの尻尾も試験管ブラシになった。