1-1 ネコの国は近い〈1〉
「う~にうにうにうに~、うにたーん!」
ベッドに寝そべる愛猫のうにたんを、私は両手でもっふもふに撫でまわす。うーん、すばらしい手ざわり。お腹に顔をうずめると、温かなモフモフ感とともにほんのり香ばしい不思議な匂い。すーはーすーはー。ああ、うにたんは最高だなあ。一日の疲れも吹き飛んでしまう。
「ぷひっ」
うにたんは迷惑そうに鼻を鳴らし、私の頭を尻尾ではたきはじめた。モサッ。モサッ。モサッ。ご褒美でしかない。無限にぶってもらいたい。
「でへへへ……」
うにたんは奇跡の猫だ。毎日毎日かわいいの最高記録を更新しつづける、かわいいの天才なのだ。――そうそう、ふわふわの黒猫だから、名前を『うに』という。
「そろそろ寝よっか」
うにたんに呼びかけ、ベッドの中にもぐりこむ。
季節は十一月の初め、朝晩はすでに冬のように寒い。返ってきたばかりの中間テストの結果はさんざんだったけど、うにたんさえいれば私の人生はハッピーなのだ。この子さえいてくれれば、たとえ日々がどんなにつらかろうと全く問題ない。
のどをグルグル鳴らしながら、うにたんが私の肩口を鼻先でつつく。「おふとんにいれて」のサインだ。ふふ、ようこそようこそ。うにたんはしばらくポジションを探ったのち、私の腕を枕にしてもっさりと横たわった。ほどよい重みとグルグル音が、最高に愛おしい。
「うにたんはかわいいねえ、いい子だねえ……」
背中をゆっくり撫でれば、やわらかな毛並みの下に美しい形が息づいているのが分かる。なんだか胸がいっぱいになって、涙が出そうになる。
「おやすみ、うにたん」
囁いて、私は眠りに落ちた。
◇
乾いた風が吹きつけてくる。髪がばらばらと舞って視界をさえぎる。払いのけて顔を上げると、そこには見事な満月があった。漆黒の夜空にさえざえと輝く、息をのむほど明るいまんまるだ。
「……へ?」
私の口から、間の抜けた声が漏れた。
(夢を、見てるのかな?)
自分の格好をぼんやりと眺めてみる。パジャマだ。部屋で寝ていたのだから、そりゃそうだ。――それなのに、なんだろう、この状況?
私は知らない場所にいた。
しかも外だ。夜の野外だ。
さらに、やたらと高いところにいる。私の身体は座りごこちのいい一人がけのソファーにスポリと収まっているのだけれど、問題はこのソファーが地上十メートルほどの高さにあるということだ。なんだこの装置は。
おそるおそる見下ろしてみると、どうやらソファーの下部から支柱が生えているらしい。いや、本当になんなんだこの装置。
(……落ちつけ。とりあえず落ちつこう)
状況はまったく飲みこめないが、とにかく深呼吸だ。夢ならばそのうち勝手に覚めるだろう。
――ぎゃーおう……
ふいに、風に乗って何かの鳴き声が聞こえてきた。野生の動物だろうか。
――ぎゃーおぅ、ぎゃ――おぅ
なんだか、聞き覚えがあるような気もしなくはない……。けれどただならぬ様子の声だ。耳をそばだてていると、ふいに私の足元に何かが触れた。
「わっ⁉」
「おい! おまえ、こんなところで何してんだよ!」
ひえっ、私の足の間からヒョコっと男の子の顔が現れた!
「早く逃げるぞ! フェレンゲルシュターデンが、もうそこまで来てるんだ」
「へ? フェエ……?」
聞き取ることができなかった。けれど私の困惑をよそに、男の子はいきなり足首をぐいっと引っぱってきた。
「やめて! 落ちちゃう落ちちゃう!」
「は? もしかしておまえ、降りられねーの⁉」
「お、降りられるわけないでしょうが! どんだけ高いと思ってるの、ここ――」
そこまで言い返して、私はハッと息をのんだ。
この男の子は、どうやってここに登ってきたのだろう?
見たところまだ小学生のようだが――それはともかく、片手で私の足首を掴んだまま、ソファーから生えた支柱に道具もなしに易々としがみついているようだ。ちょっと信じられないような身体能力だ。
そして何より私の目を奪ったものは……彼の頭上からピョコっと生えた、ふたつの大きな猫耳だった。
「ネ……ネコチャン?」
「え?」
「ネコチャン? あなたネコチャンなの……⁉」
「な、何言ってんだよ! とにかく逃げるんだってば、フェレンゲルシュターデンに食われちまうぞ‼」
ああっ、よく見たらしっぽも生えてるじゃないか少年よ。しかも興奮でちょっとボワッとなっている。なんてファンシーな存在なんだ!
――ぎゃあぁお!
「ひっ――」
猫耳少年が息を飲む。
例の野生動物らしき声が、いつのまにかすぐ背後に迫っていた。はっとして振り返ると、闇の中に煌々と輝く二つの目。――それはそれは巨大な目だ。
「フェレンゲルシュターデン!」
「でっっっかい猫!」
猫耳少年と私の声がハモった。
奇妙な鳴き声の主は、どう見ても猫だった。まぎれもなく、私の愛するネコ科ネコ属の動物だ。――ただしそれはゾウほどの大きさもあろうかという、超巨大な猫なのだった。
「プシッ!」
「うわ!」
鼻息ひとつで圧倒されてしまう。まさに怪獣サイズ、猫怪獣ちゃんだ!
猫怪獣はお行儀よく座って、私を興味深げに観察している。すごい、すごくでっかい。モフモフの超特大盛りだ。つい巨大な鼻先に触れてみたくなるが、噛まれようものなら重傷を負いそうだ。
うわあ、でもかわいい! 夢みたいに大きいサイズの猫、ちょっとくらいならモフっても……
「君たち、大丈夫か!」
ふいに、地上から声が上がった。
「ただちにフェレンゲルシュターデンの駆除を開始する。そのまま動かないように!」