4-4 ネコ々の晩餐〈4〉
晩餐会会場は修羅場と化していた。
やわらかな長毛におおわれた、ベージュ色の巨大な前足。
それが会場の窓を突き破り、室内にヌンっとつっこまれている。
窓際のテーブルは無残にひっくり返り、周囲にははガラス片が散乱し、人々は部屋の奥で身を寄せ合っている。
「このありさまで御座います」
「いやもっと早く呼んでくださいよ!」
執事さんケロッとしてますけど、大惨事ですよ! ちゃっかりファンサ堪能してる場合じゃなかったよね⁉
――ぶおん! ぶおん!
前脚が荒ぶりはじめた。場内に悲鳴が上がり、それに混じって奇妙な声も聞こえる。
「カカカカカ!」
わあ、あれはエモノを取ろうと悔しがっている声だ!
窓の外はどうやら中庭らしい。猫怪獣は窓ガラスに頭をぐいぐい押し付けている。小麦色の長毛が魅力的な、緑色の目のモフモフちゃんだ。
「あっ、モリ君!」
領主様が部屋のすみっこから声を上げる。
「モリ君どこ行ってたの⁉ ねえ何これ⁉ なんで⁉ この建物、防衛用のスクリフトとか入れてないの⁉」
「ロビーです。フェレンゲルシュターデンの急襲かと。わかりかねます。おそらくは入れてあるはずですが」
執事さんは全ての質問に早口で答えると、一呼吸の沈黙ののち、
「ウケますね」
「いやウケないよ! ばかなの⁉」
そうこうしている間にも、残った窓ガラスがミシミシと軋んでいる。まずい、みるみるうちにヒビが広がっていく!
「神父!」
エマさんが叫ぶ。
見れば、部屋のど真ん中にマッスルさんが倒れているではないか!
すっかり気絶している。エマさんと二人でダッシュで引きずって回収する。
「マッスルさん、大丈夫ですか⁉」
「神父、どうしたんだ! どこかケガは……」
「そちらの方でしたら、お怪我はありませんわ。ただ――」
上品そうなご婦人が、おそるおそる声をかけてくれる。
「ご披露された一発芸、『ホタル乱舞』が盛大にスベって、心が折れてしまわれたようで……」
「マ、マッスルさぁん‼」
なんということだ、エマさんの適当な無茶ぶりによって犠牲者が!
「くっ、こんなフォーマルな場で脱衣芸とは……。彼は自らのダイヤモンドの尻でもって、ダイヤモンドの精神を砕いてしまったんだ」
エマさんもちょっと上手いこと言ってる場合ですか!
「――と言うわけで、ご覧の通りの大惨事で御座いますよ。騎士団には通報いたしましたが、お客様のお力をお貸しいただければ最速で解決かと存じます」
執事さんはあいかわらず淡々と述べる。
「おそれながら、お客様はフェレンゲルシュターデンを何かこう何とかできる――と伺っております。ぜひ、お手を拝借願いたく」
そう言って、執事さんは白々しいほどスマートに頭を下げた。
「もっふー! もっふるくりーむぱん!」
ちなみに、レオン君は領主様の腕の中で大喜びしている。そうだね、まさにクリームパン色のモフモフだよね。
(……よし)
私は巨大な猫の手を見つめる。
今まさにブンブンカカカと荒ぶっている、これと私が握手をすれば、この子は小さく愛らしい猫になるだろう――おそらく。
(だけど、ぶち猫ちゃんの時に、一瞬タイムラグがあったような気がするんだよね)
今はヨハンナさんがいないから、私もしくは誰かが怪我をしても治療ができない。――しかし騎士団の到着を待つ猶予があるだろうか? いや、そもそもこの世界の人たちに任せたのでは、猫怪獣のほうが傷ついてしまうのか。
その、数秒間のためらいが失敗だった。
「うおおおおお‼」
領主様がいきなり雄たけびを上げた。かと思うやいなや、レオン君をその場に残し、猫怪獣に向かって猛ダッシュをかけたではないか! うわあ何してんだあの人‼
「おとうさま!」
「――は、お馬鹿様で御座いますか!」
レオン君の悲鳴と、それに続いて執事さんが叫び、領主様を包む光の膜が現れる。うわっすごい、バリア的な魔法だ!
――ガシャアアアン!
「ニョワアアアアン!」
しかしここで巨大ネコチャン乱入だ――‼
「ウルルルル! はぐっ」
「うぎゃああああああ‼」
領主様が、あっさりバリアーごと噛まれた!
室内にどよめきが走る。いや本当に何してんだこの人!
「おとうさま……」
「待って!」
私はレオン君の腕を引きとめる。振りほどこうとする彼を引き寄せ、しっかりと抱きしめる。
「いでぇええええ‼」
領主様は胴体をくわえられたままワーワー叫んでいる。もう迷っているヒマはない。
「執事さん!」
呼びかけると同時に、私はレオン君を軽く後方へ突き飛ばし、その反動で前へと駆けだす。
「御意」
ちゃんと応答があった。私は全速力で猫怪獣へと突撃する。目の前では、ちょうど領主様がぺいっと放り投げられたところ。ああ、猫って本当に自由気ままだ。
(……うにたん)
白いネズミのおもちゃで遊ぶうにたんの姿が脳裏をかすめる。猫は愛らしくて、温かくて、柔らかで、無邪気で残酷だ。私の、愛してやまないもの。
ねこ怪獣の目が私をとらえる。ニコッと笑ったような表情で、激烈な猫パンチを繰り出してくるのがスローモーションで見える。
(うにたん、どうかこの子に伝えて)
私は漠然と祈る。
この子にも、これまでの猫生があっただろう。大きな大きな猫として、私の知らない素敵な生活があっただろう。
それを変えてしまうのは、人間のエゴかもしれない。
だけど約束する。あなたが一生飢えなくていいよう、おいしいごはんを食べよう。凍えないよう、温かいベッドで一緒に眠ろう。けして寂しくないよう、ずっとずっと一緒に暮らそう。
だからどうか、私の声を受け入れて。
猫パンチがうなりを上げて接触する。それを抱きとめるように私は両腕を思いきり広げる。これで死のうと、猫好き冥利に尽きるというものだ!




