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4-3 ネコ々の晩餐〈3〉


 ――おやおや、『ネコンプリタ』のお坊ちゃんだよ。


(え?)

 その一瞬の間に、私はなにか不穏な囁きを耳にする。

 ネコ……なんだって?


 領主様の隣に並んだレオン君は、色違いの瞳でじっと私を見つめた。数時間前に出会ったままの、かわいらしい男の子だ。ただ――なんだろう、今は何か違和感がある。


「レオンハルトと申します。どうぞ、お見知りおきを」


 レオンくんの唇から、まるで歌の一節のようになめらかな言葉が紡がれる。それから彼はじつに優雅なお辞儀をした。まるで、何度も何度も繰り返されたお芝居のように。


 ――ほう、よく仕込んだものじゃないか。

 ――しかし気の毒なことだ。あんなに美しい王子だと言うのに。


 不穏な囁きと忍び笑いが、さざ波のように周囲に満ちる。なんだこれは、何が起こっているのだろうか。しかし領主様もエマさんも平然としている。どうして? 何も聞こえていないの?


「息子もきみには、たいそう感謝しているよ。ただ少しばかり()()な子でね。大目に見てもらいたい」


「……ねえ、エマさん」

 領主父子が席に戻ったのを見計らい、私は尋ねる。

「根昆布……いや、『ネコンプリタ』って、なんですか?」

 なにか苦い感情が、おなかの底からふつふつと湧き上がりつつあった。


「うーん、そうだねぇ」

 エマさんは返事を濁した。それが『良い言葉ではない』という何よりの答だ。


「……レオン君、ぜんぜん笑ってませんでした。それに、あの子は無口な子じゃないです。私、お話したから知っています。周りのお客さんも、なんなんですか、あれ――」


「あかりクン、ちょっとロビーに出ようか」


 エマさんがスッと席を立ち、マッスルさんに目配せを送る。今まで巨大な置き物のように鎮座していたマッスルさんが、こくりと頷く。


「お客様、そろそろお時間ですが……」

「すぐに戻るよ。そうだ、このファーザー・ダイヤモンドが前座にとっておきの余興をご披露したいそうだから、しばし皆さんで堪能していてくれ」


 エマさんは給仕のメイドさんに適当きわまりない口上を述べると、そっと私を促してホールを出た。



 ロビーは静かだった。ほとんどのお客さんが、すでに会場に揃ったのだろう。


「たとえばの話だ」


 そう前置きして、エマさんはソファに深く身を預ける。


「キミは学生で、みんなが百点を取れるような初歩的なテストで、キミだけが落第点を取ったとしよう。事前にまじめに勉強したにも関わらず、だ」


「……はあ」


「キミは『ネコンプリタ』だ。――どうかな、質問の解答になったかい?」


「……」

 私はつま先に視線を落とした。エマさんの意図することは察せられたが、「はい」で答える気にはなれなかった。


「……だけど、まじめに頑張ったんですよね?」

「残念ながら努力の有無は焦点じゃない。ただ、不出来であるということだ」


 私はぐっと掌を握りしめる。なんだか、むしょうに腹が立って仕方がなかった。

 レオン君は、たしかに年齢の割にはあどけない子だろう。けれど目をキラキラさせて猫をなで、元気いっぱいに私に名前を教えてくれた。なのに、さっきのレオン君は――まるでお人形みたいだった。

 それを()いる環境がやるせない。あるいはレオン君を笑い、安易に同情するものが、ひどく耐えがたい。


「なるほど、坊ちゃんが不当に扱われている、と?」


 思いのほか鋭く、エマさんは核心を突いてきた。


「キミは善良だね。しかし全ての事象には理由があり、すべての人間には事情があるんだよ」


「でも!」

 私はエマさんの琥珀色の目を、挑むように見据える。


「皆と同じようにできなくても、それでいいじゃないですか。それがレオン君で、レオン君はあんなに魅力的な子なんですから。それを変に隠して取り繕おうとするのは、なんていうか……違うと思います。レオン君に、失礼です」


 ――私だったら。私が家族ならば。

 そんな思いがこみ上げてくる。私ならば、あんなふうにはしたくない。領主様だって「うちの自慢の息子です」って堂々と言えばいい。言うべきなんだ。


 会話が途切れ、ロビーがしんと静まり返る。

 日はすっかり暮れていた。天窓から、月の光が青白く差しこんでくる。――水の中にいるみたいだ、と脈絡のないことを漠然と思う。手脚が重く、息が苦しい。


 エマさんが、ため息をついた。


「キミの感情は分かるよ。キミが、大事に育てられたということも」


 静かな困惑とあきれとを含んだ顔で、けれどエマさんは私の視線をまっすぐに受けとめた。

「でもね、ケンカ腰になってはいけないよ。君がどれほど善良であろうと、当事者(ぼっちゃん)のいる場で人を責めたりするのはスマートじゃないね」


「……はい」

 今度は声に出して、私は肯定した。

 胸のもやもやは晴れないが、エマさんの言葉には一理あるし、彼を困らせるのも本意ではない。ひとまず私は会場へと戻り、『楽しい晩餐会』に参加するべきだろう。


「お利口だ」

 エマさんがソファから腰を上げる。いざ会場へ戻ろうと、私たちが踵を返したその瞬間、


「お客様方」


 ふいに、背後から声が聞こえた。


「ひゃあ⁉」

「あ、これは失礼」


 お、思いっきり叫んでしまった! 私たちの周囲が急にポッと明るくなり、私の背後には――なぜ背後に――何度か見かけた執事のお兄さんが、美しい姿勢で直立していた。


「失礼致しました。ワタクシは当セタリア候の執事、モリッツと申します。おそれながら、お探し致しましたよ、お客様方」


 執事さんはそう淡々と述べ、うやうやしくお辞儀をする。黒いスーツをピシッと着こなし、砂色の髪を、猫耳を避けて器用にオールバックにまとめた、まさに絵に描いたような執事さんだ……が、どことなくうさん臭い。


「すまなかったね、すぐに戻るよ」

「オホン。おそれながら……オホッ」


 エマさんの返事に、執事さんが急に咳払いをはじめる。どうしたどうした、様子がおかしいぞ。


「お客様は『終末乙女偶像★シスターエマ』では……?」


「え? ――きゃあ☆ もしかしてボクの信徒さんかな⁉」


 エマさんの声がワントーン上がり、瞳にキラッと星が輝く。「どわっ」とも「ごわっ」ともつかない声を上げ、執事さんが背後にのけぞる。


「うわ、やはりご本人で御座いましたか。うわっ。おっほ。先日のミサは最の高で御座いました。微力ながら、円盤も購入させていただきましゅたゆえ……」

「ふふっ、ありがとう。天の国はそなたのものナリよ~! ハレルヤ~☆」


 エマさん、本当の本当にアイドルだったのか……。しかしキャラづけが特殊だなあ。そして私はすっかり蚊帳の外なのだが、二人が楽しそうだからいいのだろうか……。


「いや、晩餐会に戻るんですよね⁉」


「ああ、そうで御座いました」

 執事さんがスンと真顔に戻る。

「お客様方、とりわけお耳のない貴女には、早急にお戻りいただきたく」

「はあ、はい」

「では、ともに参りましょう」


 涼しい顔でそう言い終えるなり、モリッツさんは突然の猛ダッシュで廊下を駆けだした。


「へ⁉」

 私たちは、慌てて彼を追いかけた。


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