風刺とフィクションは違うよ
詩織さん事件で、
「風刺画=フィクションだから無罪。」
みたいな、発言をする漫画家がいるらしいが、フランスの新聞など外国の例を見ても、必ずしも風刺画だから無罪ということにはならない。
そもそも風刺というのは、完全なフィクションではない。元になっている事実があり、それを揶揄するものだ。つまり、実在の人物に無関係なキャラクタは風刺では存在しないことを意味する。フィクションの部分はストーリーであり、キャラクタには該当しない。
そもそも当該の風刺画は、プロパガンダ(広報)目的であることは明白だ。おそらく裁判ではこの部分が問題となるだろう。風刺はどこまで許されるのか。明確なラインはないが、問題提起や個人的思想の発信に関しては制限されるものではないだろう。ただし、思想・信条であってもそれが事実かのように吹聴したり、他者の意見を論理的裏付けなく嘘だと広める行為は慎むべきだ。
風刺にとってのぎりぎりのラインは、似ているけど現実では無いとわかること。現実をそのまま表現したら、風刺ではなく報道だ。表面上は非現実の顔をして、裏で主義主張を感じさせる。
今回の漫画は、風刺ではなく伏字の類に相当すると感じる。小説では実在する人物等の名前を隠すために文字の一部を変える。これは初歩であって、他にも、年代を特定させないという方法もある。しかし、伏字だけでは風刺とはならない。あくまで非現実感を持っていないと、誹謗中傷とみなされてしまう。
アメリカ大統領が黒人にミサイルを投げていたら、非現実的である。しかし、銃をかざしていたら区別がつかない。ありえない世界像をもって揶揄することが必要だ。突っつかれてあわててフィクションだというのはいささかお粗末だ。それなら最初からフィクションだとわかるように記載しておかなければいけない。あまりにもプロとしては無防備だ。