妖怪談義
~百鬼夜行のバイト研修~
その日は一日中雨だった。
子供は家で草履を編んで、早く寝かされた。
遊び足りない子供は、夜中に目を覚ました。親たちは、子供が寝床から抜け出した事に気が付かない。
子供……多喜は、長屋の路地を抜け、大通りへ飛び出した。
そして、目が合った。広がった状態の傘の、巨大な隻眼と。
「おまえ、新人か?」
傘……唐傘お化けは、多喜に近づきそして持ち手の付け根の方から舌を伸ばして、多喜をぐるぐる巻きにして連れ去った。
多喜に仕事を教える唐傘お化け。一本足で立ち、ピョンピョン跳ねる。何度も、何度も繰り返す事数日。
「お前、ダメだ。帰れ」
唐傘お化けは、新人教育を放棄した。
多喜は家に帰った。
そこには、大きなタワーマンションが建っていた。多喜は、懸命に生きた。出来る事は何でもやった。自分自身を食べさせるために。辛くなる度思い出すのは、遠すぎる時間の彼方の向こうの両親やきょうだいではなく……古びた傘の事だった。
「お前が仕事覚えなきゃ、オレはもうお払い箱だよ」
傘の口癖。
ある雨の日、多喜は傘もささずに街を歩く。
「おい、ずいぶん偉くなったじゃねえか」
懐かしい声に振り向くと、そこにはボロボロの、傘をさした青年がいた。
都会の女らしく、冬の服も軽やかな、ワンピースにコート、パンプス姿の多喜に対し、男の服装はやたらと着込んでモコモコと野暮ったい。あまりにも不釣り合いな男女は、しばらく見つめ合って、そして、多喜は青年に近づき抱きしめた。
「傘、声が変わんないね」
青年……傘男は
「お前のせいで、気楽な妖怪生活をクビになっちまったよ」
そう言って、嬉しそうに笑った。
* * * *
~悪魔はそうやって空色を奪った~
病室にもう一人やってきたのは、好きなアニメの放送を、2回観た後だった。
(何で男の子が隣に)
私は疑問を飲み込んだ。その男の子の隣には、いつも母親がいたからだ。親に大事にされている人に対して、私は遠慮した。なぜなら、よその親の「宝物」を傷つけたら、憎まれるからだ。大人から憎まれたら、どんな目に遭うか想像できる。つまり、そういう事だ。
小3の私は、ひねくれていた。
夜中、隣人は発作を起こし、私は身を潜めた。彼は泣き叫び、看護士さんが飛んでくる。毎晩。母親が彼をさする。私は、息が半分も吸い込めない苦しさよりも、隣で大騒ぎする人々に遠慮していた。まあ、我慢したのだ。なぜか。大声を出している人の方が、いかにも苦しそうだし、苦しそうな人の方が優先される。
早く病院から出たかったので、一生懸命食べた。1か月ほどの入院生活は、何の未練も無く終わった。そんな私に向かって、囁く者がいた。
「お前、何のとりえも無い奴。可愛そうに。そうだ。予言者にしてやろう。お前が言ったことは、本当の事になる。そうすれば、みんなびっくりして、お前を無視しなくなるぞ」
私は、その言葉を信じた、つまり、そいつと契約したのだ。正体不明の何者かと。その日から、私の人生は変わった。言った事が当たるので、恐れられた。特に大人から。彼らの秘密を暴いたからだろうか。
私にとっては、どうでもいいような事。誰が誰をどう思っている、とか・・・観察していれば分かるような……そういう事を暴く子供は、気味悪がられた。「予言者」とは、その程度のもんだろう。そう思っていたら……
その日は、曇っていた。アスファルトの匂いが憂鬱に漂う。草木は役立たずのゴミみたいに色を失い、風は暖かく湿っていて、空一杯の魚肉ソーセージが街に迫る。
目が覚めたら、空が紫色だった。私は驚いて祈った。神に。すると、現れたのはスーツ姿のヤギだった。
「私はメフィスト。悪魔です。何か御用でしょうか」
こたつから出て座布団の上に正座した私はこう切り出した。
「予言者になった私は、何のために予言者になったんだろう」と。
メフィストは答えた。
「特に意味はない。単なる暇つぶし、またはお前を操るための甘い言葉」
「悪魔。お前は何で私を」
そう言い終わらないうちに、悪魔は言葉を被せてきた。
「ガキが。誰に口きいてんだ」と。
そして、消えた。
その日から後に生まれた子供らは、「空色」を知らない。
* * * *
~賽の河原・血の池地獄・三途の川~
青森県、恐山。大きな門の向こうは人間界と霊界のゲートウェイだ。なんて思いながら、ばあちゃんと来た道を歩いてみた。
灰色の岩山に、小さな石を積み上げて出来たオブジェが、複数点在する。その横には、色とりどりの風車
かざぐるま。
「賽の河原だよ、壊しちゃだめだよ~」
私にもわかる言葉で、ばあちゃんが言った。
(福井県で生まれ育った私は、青森のばあちゃんが何を言ってるのか、「めんこいなあ(かわいい)」「わらす(こども)」しか理解できなかったのだ)
賽の河原とは、幼くして亡くなった子供が永遠に積む石山だと、誰かが言っていた。本当かどうかは、知らない。赤い、どう見ても鉄が沢山溶けているように思える池が、湯気を立てている。
小さな池で、ああ……と別の場所を眺める。その辺りには煙と共に硫黄の匂いが漂っていて、むしろそちらの方が目を引く。
「悪い事したら、血の池地獄に落とされるよ~」
ばあちゃんがそう言いながら、嬉しそうに山を駆け下りていった。その、ブーメランのような角度で曲がった背中を見ながら私は、笑ってしまった。
「ばーちゃん、なんでそんなに走れるの?」
骨粗しょう症と診断され、普段は歩くのもやっとなのに……不思議な事もあるもんだ。
「ばーちゃん、待ってよ!」
私は、ばあちゃんを追いかけた。
地平線いっぱいに広がる、湖。白い空、灰色の水。何だか、霞みがかってきそうな……
「三途の川だよ~。みんなここを渡って、行くんだよ~」
そう言いながら、私の横でばあちゃんは煎餅をかじり出した。私も一緒に、煎餅を……
そう言えば。こんな風にばあちゃんと、話した事あったっけ。
長女を産むタイミングで死んだばあちゃん。葬式に行けなかった。
次女を産むタイミングで、父方の祖母が死んだ。葬式に行けなかった。
長男を産んだタイミングで、夫の父の、兄が死んだ。
思わず、生命の「輪廻」について考えてしまう。この世とあの世、それは、すぐ近く、すぐそばで重なりあう……