6話 逃走
道は会計を終えて店を出た。店の入り口で手首の電子端末を叩くとウィンという音と共に現在地付近の地図が空間投影される。
『彼らが向かった方向は…』
地図を指でスライドするとその熱源の動きを腕輪型電子端末が読み取って地図も一緒に動く。
道は彼らが向かう先の地形を確認する。
「兄〜 ちょっと待ってよ〜」
「待ってる」
そんな事をしていると曙と光も店から出てきた。曙は道がそそくさと会計を終わらせたのが気に入らないらしい。それとは対照的に光は少し心配そうな顔をしてる。どうやら道が不機嫌になったのではとでも勘違いしているようだった。
事情を理解していない2人への説明が必要なようだと道は思い、向き直る。
「さっきの管理局から逃げてた女の子は犯人じゃない」
「「え?」」
2人の声がハモる。
エチルが新人類を統括する機関、LazyMonkeyManagementSecretAgency、通称リムーザは3つの局で構成される。
情報収集、管理を専門とする諜報局
人や物の破壊を専門とする工作局
新人類に関する治安活動を担う管理局
女性を追いかけていた男たちの白い制服は管理局のものである。つまり彼女が今朝の犯人として追いかけられている容疑者ということになる。
…本当に犯人かどうかは別として。
「何でそう思ったの?」
特に先ほどの光景の違和感が感じられない光が道に尋ねる。
「ここは北区3番地、つまり犯行現場の目と鼻の先だろう。けれど犯行は今日の午前5時で今は12時過ぎだ。7時間も近くに留まっている訳がない」
「けど家の近くだからかもよ」
道の返答に今度は曙が質問する。それに対して道は頷く。
「確かにコンビニ強盗犯の居住地区と犯行地区はある一定の相関が認められることがある。けどそれなら包丁なんてずっと持ち歩いていようとは思わないし、仮に包丁を隠す時間がなかったとしてもブーツで犯行になんか行けない」
そう、あの女の子はブーツで逃げていたのだ。普通強盗するのならそんな走りにくい靴を履いては行かない。それに目立つ格好というのは周りの人にその特徴として捕らえられ易い。それであるなら朝のニュースの時点で犯人像の中に含まれるだろう。
第一、包丁でさえ家などに隠す必要もなく指紋さえ拭き取ればその辺に捨てられるのに何故そうしなかったのか。
「つまりあの女の子は無実で誰かに包丁をバックの中に入れられたか、もしくは…」
道がそこで言い澱むと2人は首を傾げた。この先はどうしても想像となってしまうため今から言うのは躊躇われた。
「まあ助けに行こう。僕らも同じ種族としては他人事にもいかない」
そういうと2人は緊張した面持ちで頷いた。
そう、これは他人事ではないのだ。現在新人類の人権は認められてはいるもののほとんどないに等しい。公共の場での就業などできないし、ほとんどが生産業に勤めるか、奴隷となるか、あの女の子のように捕まって拷問、悪ければ処刑だ。
新人類が獲得したこの東京でさえこの有様なのだ。これ以上エチルに調子を乗らせると、この地を再び失いかねない。それに…少女だって他人とはいえ、一つの命なのだ。
3人は薄茶色の石畳が敷かれた歩道を走り出した。
落ち着いていて人もそれほど多くない北区の街路を、さらに北へ北へと走る3つの影がいる。
先頭を走る少女の桃色髪は後ろになびき、その下に隠されていた小さな耳と涙一粒ほどのガラス加工がついたイヤリングが露わとなっている。
そんな少女の後ろに続く2人の男、1人はガッチリとした体格に刈り上げられた髪、強面をしており、背中には大きな銃剣を携えて走っている。
もう1人は対照的に細めの体つきと長く伸びた金色の髪、そしてそのクマができた不気味な眼で前の少女を捉えている。その腰から大腿にかけてショットガンを吊り下げている。
「なあNo.54、あいつ遅猿の割になかなか早いな」
走りながら強面の男がクマがある男に問いかける。かなりの速度を出しているが2人とも息は上がっていない。
「所詮女の遅猿だ。体力などチリと同じようなものさ。
それよりNo.61、あいつの体見たか?」
「ああ、なかなかいい体つきだよなあ。
……捕まえたら路地裏に連れ込んで、だろ?」
クマの男の返答に対して強面の男が下品な笑いを顔に滲ませて応じる。
治安活動、と称されてはいるがその実態は新人類への不当な圧迫である。被害が新人類であると分かれば捜査など絶対にしないし、逆にエチルが事件に巻き込まれていればその罪は新人類へと押し付けられる。
それだけではなく、捕まえた新人類からの略奪、金品による取引、そして暴行。そんなことは日常茶飯事であった。
比較的大きな通りを走っていた少女は急遽左手に曲がり、人が1人通れるかどうかくらいの細い路地へと駆け込んで行った。それを見て男たちがニヤリと笑う。
「ハハッ!あいつ自分から入り込んで行ったぞ!」
「よっぽど捕まりたいらしいな。仕方ない、その憐れな願いくらい叶えてやるか」
強面の男は路地の入り口で鼻をヒクヒクとさせて臭気を感じ取る。その瞬間、彼の頭の中に地図が映し出され、それと嗅覚情報をマッチさせる。
【香追跡者】
通常より広がった鼻腔によって、匂いの僅かな差を認識して少女が向かった位置を探る。
「B3だ。変わったらまた連絡する」
「了解」
クマの男はそう答えると路地の向かって右側の建物の壁に手をつくと、そのまま力を加えてとんとんと登って行った。
【重力無視】
手のひらの表皮に細かな凹凸を作ることで壁との摩擦抵抗を生み出す。
エチルといえどもその能力を使いこなすにはそれなりに訓練がいる。簡単に言えば五本目の手を動かすようなものだ。
ただ彼らはそんなことを気にする風でもなく流れるように能力を使った。この点から彼らは管理局の下兵の中でも相当な場を踏んだエキスパートである事が分かる。
そんな相手2人に新人類が単独でそうそう敵うはずもなかった。強面の男は地表から、クマの男は建物の上から女を追い詰めていく。
「B4に変更だ。あの女見かけによらず頭が回るようだな」
「まああと少しさ」
クマの男が言う通り、女は着実に詰められていった。路地とはいえ、そこを管理するエチルにとっては自分の庭のようなものだった。どこの経路を潰せばどちらに向かうかなど、考えずともわかった。
少女は一本道を走っていたが、進行方向に上から落ちてきた白衣を見て足を止めた。路地の狭さから避けて通ることは出来ない。
引き返そうと後ろを見ると、すでにもう1人の男が追いついている。
「鬼ごっこは終わりか?嬢ちゃん」
そう言いながら強面の男が背中から銃剣を勢いよく引き抜く。引き抜くときに剣の先が路地の壁を擦り、大きく抉った。しかしそんな事を気にする風でもなく銃剣を肩に担いで威嚇する。
「路地裏に逃げ込んでくれて助かったよ。簡単に捕まえられるし、わざわざ連れてくる必要もないしなぁ」
クマの男はショットガンを構えながら、少女のスカートから覗く大腿に目を止めていた。舐め回すようなその視線は嫌悪感の塊のようなものである。
少女は何も発しない。ただ目を伏せてそこに立っていた。その様子に男たちは若干違和感を抱く。
「おいおい、泣いてくれないと俺たちも興奮しねえじゃねえかよ。なぁ」
強面の男が笑いながら話しかける。口を開くたびに、黄ばんだ歯がむき出しになる。どうやら少女は恐怖で硬直していると解釈したらしい。
クマの男はただただニヤニヤと状況を見て楽しんでいる。
「じゃあー、
泣かせてやるからちょっとだけ抵抗しないでいろよなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
男が銃剣を振りかざした時、
「ほんと、路地裏で助かったよ」
男の声が響いた。
その瞬間、強面の男は足元に出現した何かに足を引っ掛けた。そして勢いのまま前に倒れこもうとする。
しかし倒れ切らずに、途中でまたもや出現した何かに首が引っかかった。
「うっ」と喉がつまる声を出すが、そのまま首を支点にして宙に浮いた。
“花蘇芳”
男は圧によって頸動脈が締められており、唇が紫に変わり始める。首から何かを外そうともがくが、それも20秒ほどで止まりそのまま沈黙した。
『…はあ』
道は心の中で息をついた。
動脈が締めたままになるよう、道は糸を近くの出っ張りに引っ掛ける。
そして反対側の男を担当していた光と追いかけられていた少女を振り返って確認し、安堵した。向こうも無事に終わったようだ。
クマの男は綺麗に死んでいた。外傷が見当たらない。光の右手にある、光の身丈ほどの大剣の先端だけが赤く濡れている。どうやら後ろから延髄だけを切ったようだ。恐ろしいほどの技量である。
万が一の事を考えて待機してもらっていた曙も大丈夫と判断してか、通路の角から出てきた。
「さて」
道はこの事件の中心人物である、少女に向き合った。