23話 "青春"
陽哉が風を切るように動き出す。
アスファルトを数歩蹴るだけで澪を自身の射程圏内に収める。
鎖鋸は既に後ろへ振りかぶられており、全体重を回転力に込めて薙ぐとそれと同時に鎖鋸の歯が回り始めた。
ぎいぃぃぃんという悪魔の笑い声のような音を響かせて澪の首を狩りに行く。しかし
「!?」
澪の姿が視界から消えた。
否、正確には見えなくなっていた。
"暗歩"
暗田流の基本技術で、人の網膜上、唯一視覚情報を認知できない"盲点"に自分の姿を留めておくことで相手の視界から消える歩行術。
澪は陽哉の眼球運動に自分の動きを巧みに合わせて眼前まで接近する。
『残念ながら、世界って甘くないのよ』
澪は心の中で陽哉を嘲笑いながら、心臓に向けて左胸部から斜めに短剣を突き出す。その死が陽哉を貫く寸前、
「なっ!?」
今度は澪が驚きの顔を見せる。
完全に相手の視界をかいくぐったはずの自分の攻撃を、陽哉は鎖鋸で難なく弾き返した。
その衝撃で短剣を手放して、無手となった澪は陽哉に牽制の蹴りを加えつつ一時引き下がる。
澪が少々不利になった状態で戦況が振り出しに戻る。
『やっぱこのタイプはいけるっす』
蹴りも鎖鋸の腹で受け止めた陽哉はニヤリと笑い、敵との相性の良さを感じ取ってた。
陽哉の能力"捕食者"は奇襲や不意打ちの対処に関しては十八番である。視覚や聴覚などに頼らないため、どんなに高度な暗殺技術も陽哉にとっては目の前から突っ込んで来る猪と相違無い。
一方、その頃澪は
『この子が坊やたちが言っていた病院で患者を見たって子かしら』
陽哉の能力の核心に気づきつつあった。
殺し屋の一門として暗殺対象がどんな能力を使ってきたか、という話は幾度となく耳にしていた澪にとって、陽哉のような相手は珍しくはあるが全く聞いたことがなかった訳でない。
『音から筋肉の動きを知るか、相手の汗臭から自律神経を読み取れるか…
いやそもそも全ての神経活動自体を見ることができるってこと?』
澪は陽哉の能力を考察しつつ、対応策を考える。どのみち先程のような攻撃では何度やってもいなされるだけだろう。
『じゃあ…』
澪は頭の中で殺すプランを立て終えてイメージを固めておく。
澪は再度"暗歩"を用いて陽哉から姿を隠す。
そこから手首の最小限の動きのみで小刃を数本投擲した。
陽哉はその動きと投擲の速度から逆算し、自身に当たる前に鎖鋸で弾く。
しかし、鎖鋸と衝突した小刃は、何の抵抗もなく粉々となった。
『コイツは…』
陽哉はその粉末から危険な匂いを感じ取る。
割れた小刃の破片を後退しつつ避け、他の小刃もフットワースのみで対処した。
「いい勘してるじゃない?」
その間に接近し終えていた澪が、冷酷な笑みを見せながら呟く。
既にその手には少し前に光に向かって投げたものと同じ黒球が掴まれていた。
それには陽哉も見覚えがあり、それらの正体に思い当たる。
「ヌル社製の粉刃に黒裂弾っすか…!」
「あら知ってたのね」
澪が使っている武器は武器系統の世界的ブランド"ヌル社"で製造されたもので、その中でもかなりマニアックなものであった。というのもそれらは扱いがかなり一流戦士向けのもののためである。
最初の"粉刃"はあえて脆く作られた投擲用の毒刃でそれを弾いた相手が粉を浴びて皮膚を傷つけるか吸い込むと毒が回り、物によっては即効性の麻痺又は死亡する。
また"黒裂弾"は爆発とともにある一方方向に小刃を大量発散して距離を置いても体全体を切り刻まれる。
どちらにせよ殺傷性という面では凶悪なものである。
澪が黒裂弾を放り投げる。
それは陽哉が鎖鋸で弾き返せない、絶妙な位置。
「ッッウオオォォォォラァァ!!」
移動による回避が出来ないことを悟った陽哉は鎖鋸を全力で地面に叩きつけた。
鎖鋸によって斜めに断絶されたアスファルトはそのままめくり上がり、黒裂弾との間に壁を作る。
これで安心かと思うと、直ぐさまその壁を乗り越えて澪が斬りかかってくる。これら全てが計算の内だったようだ。
「二重陽動ってきついっすよ」
陽哉は澪の短剣を受け止めるが、その威力で態勢が崩れる。
「これで嵌ったかしらね」
澪はそのチャンスを逃すまいと死角から何度も攻撃を仕掛ける。
陽哉はその連撃を受け流しながら相棒を手放して無手で戦うことも考慮し始める。
とにかく態勢を整える必要があった。
だがその必要がなくなる。
突然澪が陽哉から攻撃を止め、華麗なバックステップで後退する。
陽哉が何かと思う前に辺りに轟音が鳴り響いた。
見ると、澪がいた場所の地面に一瞬でクレーターが生じていた。
クレーターを作った張本人は、大剣を深く突き刺さった地面から軽々と掴み取りその重さを感じさせない。
長い横髪を掻き上げながら澪の方を向く。
「また来たのね、馬鹿力女」
「それはどうも、ヒステリック女」
光は澪に毒舌で返しながら睨め付ける。
その青と黒が混じった長い髪も、光の鬼気迫るオーラによってごおごおと揺れている。
「あら?自慢の彼氏さんはどうかしたのかしら?」
「貴女には関係ない」
いつもであれば光を狼狽させるような言葉にも、今の彼女は眉ひとつ動かさない。
その表情からは意志のこもった、まっすぐな心情が見て取れる。
「意地でも私を止める、ってこと?本気?」
「ええ、本気よ」
「青春ごっこで大人の事情に首を突っ込まないで欲しいのだけれど」
「私たちのしていることが青春かどうかだなんて知らないけど
貴女のいう"青春"ってそんなに悪いものなの?」
光は問いかける。
「現実を知らずに理想を相手に押し付ける。それが"青春"よ。
けどそれは現実ではない。
そんなものに意味はないわ」
澪は息を吐き、呆れたような目で2人を見つめる。
「世界は変わらない。
誰がどんな目標を成し遂げても、エチルが上で、私たちが下である、その事実は。」
澪は子どもに言い聞かせるようにして応える。
それは医者としても、暗殺者としても、殺された人の親友としても、今まで生きてきて澪が感じ取った確信であった。
「そんなことはない。
交わす言葉が、温かめ合う心がある限り
必ず分かり合える」
「何を根拠に…」
「だって私、エチルだもの」
光の告白を聞いた2人は絶句した。
新人類の中でエチルが兄姉妹関係を築いているとは流石に思い至らなかったのだろう。
「でも私は新人類を見下しても偏見で見てもいない。
私は好きよ、新人類が、結城兄妹が。
一緒に笑ったり、悲しんだりした時に少しだけ心が繋がったように感じる瞬間が好きなの」
光は手を胸に当てて微笑む。
その笑みはまるで戦場に咲く一輪の花のように空気を溶かす。
「だから私はこれからもその時間をずっと手にしていくために立ち上がる。
その為なら貴女にだってエチルにだって抵抗する。
必ず憎しみの連鎖を止めてみせる」
光はそこで言葉を切る。
彼女の決意を聞いた澪は沈黙する。
光が戦闘態勢に入る。
大剣を横に構えて再び澪に超高速の一撃を浴びせんと全身に力を加え始める。
澪は口を閉じたまま、光の動きを警戒する。
僅かなな初動を感知するため眼を見開き、光の全体像を観察する。
陽哉は光の告白からの硬直が漸く解けて、場の成り行きを見逃さないよう磁場に神経を張り巡らせる。
そこで陽哉は気がつく。周りにいくつかの小さな生命反応があることを。
「光!!」
陽哉が光に知らせるより前に、その名を叫ぶ声と2本の糸が現れる。
糸は光と陽哉の身体に巻きついて彼らを宙に逃がした。
「きゃあっ!」
「うぉっ!」
光と陽哉は想定外の浮遊感に戸惑いをみせる。
その隙に澪は光たちには目もくれず先の街路に向かって走り出した。
その小さくなっていく背中が雑踏と混じって消えていくのを建物の壁にぶら下がりながら静かに見ていた道は、脱力した。
17日まで忙しいのでもしかしたら毎日配信が滞るかもしれませぬ…
時間が空いて投稿する時は活動報告を書く予定です