22話 叫び
北区1番地の街路は閑散としていた。
歩道の傍にある満開まであと少しという桜に目を止める人もおらず、車道の上を静かに滑走していく自動車も見かけない。
澪は道と光との戦闘から離脱して逃げている最中だった。
そんな緊迫した状況ではあるが、流石に周りの風景がおかしいことに気がついた。
「先程からエチルに会わないのは何故…?」
そう、いつもであれば昼過ぎとは言っても運送業者や主婦たちの集団、或いは中心街へと向かう子どもたちとすれ違う。
その度にテレビで顔の知られている澪は声を掛けられるか舌打ちされるかしていたのだが、今日はそんな事もなく街路は悠然と趣深い顔を見せているだけであった。
「それはっすね〜 アンタの歓迎会をやる為なんすよ」
澪は自身の進行方向を塞ぐように立っている人影を認識して立ち止まる。
そこには、大型の軍用鎖鋸を地面に立てて体重をかけるようにしている陽哉の姿があった。
「あら?特に歓迎される様な事はした覚えはないのだけれどねえ」
「いやいや、収容所に歓迎される様な事ならした覚えはあるんじゃないっすか?」
「ああ、それなら誰よりも歓迎される自信があるわ」
そう言いながら澪は短剣を手の中で戯る。
陽哉は澪の体全体に注意を向けながら地面から鎖鋸を引き抜いて肩の上に乗せる。
「坊やを超えたらどうやらこの鬼ごっこも終わりみたいね」
陽哉の後ろに見える、垂直に交差した街路にはいつも通りの人通りがあった。その賑わいのコントラストのせいで、あたかも影の世界から現実を覗き込んでいるようだ。
澪が万が一街中に逃げ出した場合でも戦闘が出来るよう、道は曙に人払いを頼んでいた。
曙の生成した揮発性誘導薬"不近"はエチルにフェロモン様の作用を持ち無意識下で道たちのいる区画への侵入をできなくしていた。
澪は眼光を鋭く陽哉に当てる。本気で殺るつもりだ。
「会話から察するに貴方たちって私と同じ新人類でしょう?
エチルに恨みは欠片もないの?」
「いんや、俺は親を幼い頃殺されてるっすしね。
正直死ぬほど恨んでるっすよ」
「なら私のしてきた事だって理解できるでしょう?
この世界はどうしようもなく腐ってるの。どんなに頑張ったって、世界は指弾きほどの力で私たちを地獄に落とすのよ。
社会的、生物的、経済的 あらゆる面で泥の水をすすることを強要される…
明日も生きていける保証はどこにもなく、道を歩けば笑われて、自分の全てを否定される…
その苦痛と疲労を全て押し付けられて、それを全部抱え込んでいけとでも言うの!?」
澪が声を絞り出す様に叫んだ。
「ええ そうっすよ」
陽哉は簡素に返答した。
「……意味が分からないわ。何故そんなに平気でいられるのかも」
「親殺されて平気であるわけ無いじゃないっすか…
でもっすね、ずっと恨んでいるだけってのは何も変わらないんすよ」
陽哉は澪の、澱のように沈んだ目をしっかりと見据えて言う。
「別に一時も恨むななんて言うつもりはないっす。
そりゃあ誰だって不当に扱われれば恨みもするし悲しみもするっすよ。
けど人間は遥か昔から、それこそエチルなんかが来る前でさえ、そんな場面に巻き込まれてもまた立ち上がって歩き出してきたんす。
何度も、何度も。
何もしないでいたって世界は変わらないっすからね」
「私は何もしていない訳ではないわ。
何度も叫んでいる、世界の理不尽を!」
「いや、アンタは何もしてないっすよ。
ならアンタの今までの行動は一体何のためにやってきた事なんすか?」
「っ!!」
澪は言葉に詰まる。
「当ててやるっす。
アンタがしてきたのはわがままっす。
ただ自分の思い通りにならない世界に駄々をこねていただけっすね。力が強いだけで、それは子ども変わんないっす」
そこで陽哉は全身に昂ぶる心気を巡らせる。頭の中は対照的に雑多な刺激から意識を隔離し徐々にクリアになっていく。
「何度失敗しても、何度間違っても、それを直し、俺たちは進んでいくしかない
俺はその辛さを"過程"だって教えてもらった」
肩に載せていた鎖鋸を振り、澪に向けると言葉を大きく放つ。
「だから見せてやる
何度転んでも目標に向かって"過程"を紡ぐ者の強さを!」