18話 陽哉の過去
その後やってきた曙と光によって慰められて女の子は泣き止み、家の場所を聞き出すことが出来た。女性の方が安心するだろうということで彼女たちに家まで送ることを頼み、残った陽哉と道は公園の近くにある川辺に向かった。
2人はそこの石段に並んで座っている。道は陽哉の言葉を待ちながら、奢ってもらったコーヒーをちびちびと啜る。
「俺っすね」
陽哉が語り始めた。
「俺っすね、親がいないんす。
10年前のシンガポール大戦で戦死しちゃったんすよ」
道は、やっぱりそうかと思った。
陽哉の先ほどの怒り様は度を超えていた。確かにエチルの子らがやっていたことは許される事ではないが、所詮子どもだ。まだ世間で分かっていない事も多くある相手に対してあそこまで大人気なく脅せばこちらだって立場的に悪くなる。
その上あの場面だけ他のエチルに見られたらどうなるか、それを考えられない陽哉ではあるまい。管理局に捕まって処刑まで一直線だ。いや、途中で拷問に立ち寄るかもしれない。
となれば彼はやり取りの中で何かしら彼の怒りを買うキーワードがあったのだ。道は一部始終しか見ていないためそれが何かとまでは分からなかったが、彼の告白はそれを明かしてくれた。
「親父は陸軍、お袋は軍医として働いていたんす。だからシンガポール大戦には当然呼び出しを食らったんす。
親父の方は良かったすけど、お袋は……一人分の体じゃなかったっす。お腹には新しい子、新しい兄弟がいたんす」
陽哉は昔を懐かしむ様に遠くに目を向けて物語る。
「生前、親父とお袋に"なんでこんなにうちには兄弟妹が多いの"って聞いたことがあるんす。
そしたらなんて答えたと思うっすか?
"私たちがもし、いなくなっても協力して生きていけるようにだよ"って言って、俺の頭を撫でたんすよ。優しく、暖かい手で。
それだけじゃないんす。俺たちに何度も緊急用のお金の保存場所や連絡先、果てには自分たち親の保険金の受け取り方まで教え込んだんす」
陽哉の話すスピードが次第に速くなる。
「けどお袋は勤務を普通なら免除されていたはずなんすよ。流石に政府も妊娠女性を戦地に連れて行くのは躊躇ったはずっす。
なのに……お袋はお腹を少し膨らませた状態で行ったんすよ。おそらくは家の貯金を、いや俺たちに遺すための金を少しでも多くするために。
親父も流石に残るよう説得したんすけど結局お袋に負けて"俺が母さんを守るよ"つって俺たちに約束したんす。必ず母さんと一緒に帰ってくるって。
それで……そのまま両方とも死んだんす」
陽哉は出来る限り何ともないかのような口調で言った。
「その後俺たち兄弟妹は親父とお袋の目論見通り協力することになったっすけど……ほとんど苦労がなかったっす。
遺してくれたお金は相当な額っすし、親の知人にも電話一本でほとんど事情を説明なしで支援してくれたっす。生活に必要なこと、家事や家周辺の情報マップ、家計の作り方までマニュアルが家の至る所に書いてあったんす。
けど……俺が親に何かしてやるって方法だけはどこにもなかったっす。」
陽哉の声が深く沈んだ。
抜け殻の様なその雰囲気は、いつも見せている陽哉の性格から想像もつかないものであった。
陽哉は横を向いて道と目を合わせる。
「軍に勤めてた以上、殉職を考えて生きていた親父たちを憎んじゃいないっすよ。家に誰かが残るって選択も取れなかったのは当時を考えれば当然っす。
でも…親父とお袋は何のために生きていたんすかね?
必死に働いて必死に子育てして子どもには不自由を与えないで、けど自分たちは死んだ後のことばかり整えて…
彼らは幸福な時間を本当に過ごしていたんすかね?」
陽哉が道に言う。その問いは、彼が両親の死後熟考した末に辿り着いた物なのだろう。
そんな問いに道は、生半可な答えを言うわけにも行かなかった。自分は親になった事もないのだから。
「俺はまだ親に勝ててないんす…親のやっていた事の数分の一さえ俺にはキツいっすよ…
俺が東京新大学校に入ってる理由も高尚なもんなんかじゃなくってただ、親に追いつきたいだけっす。それで親の気持ちを知りたいんすよ。
さっきの虐めで俺がキレたのは正義感からじゃなくって、あの女の子が自分や兄弟妹に重なったっていうただの自己満足っすね。
親の気持ちを知ろうとしている自分が馬鹿にされた様に感じたのを訂正したかったっす。最低っすね」
「それは違うと思うぞ」
陽哉が自嘲的になった所を、道はすぐに否定した。
陽哉は道の早い反応にあっけにとられている。
「少なくとも君の行動は間違ってはいない。
どのみちその虐めは止めなきゃならなかったし、女の子の介抱も必要だった。
だから最低ではない」
「アンタはどっちかっていうと慰める系よりは論理系で語るタイプと思ってたんすけけどね」
「別に慰めちゃいない。
君の行動は間違ってはいないが合ってもいない。
場の収め方としては下の中の下であったし、女の子も結局泣き出してしまった」
「女の子の方はなんか違くないっすか?多分顔が怖いってことっすよ」
「どちらだっていいさ。
陽哉、君に足りないのは経験だろ?」
「っ!」
道の言葉に、陽哉が目を見開く。
それは道が陽哉の過去の吐露を聞きながら考えていたことだった。
「僕は君の両親のことなんか1mmたりとも知らない。だから君の問いには答えようがない。
だが君は、親がいないという環境でありながら親に比較的守られてきて育ったそうだな。そんな君が、親がいない事で生まれうる問いに対する答えを簡単に見つけられる訳がないだろ。
だってそれは、君の両親が君の年以上を、君の経験以上をかけて感じた物なんじゃないか?」
陽哉は道の言葉にじっと耳を傾けている。
「今回のことなら、君は虐めの仲裁の方法を考え出す経験も、親がいない女の子に自分を当てはめずにきちんと対処する経験も足りなかったというだけだ。
ならそれは最低でも失敗でもなく、成長の過程さ」
「ハハ… アンタと話してるとどっちが上級生かわからなくなるっすね」
「経験というだけだったら僕も君には負けてないからな」
陽哉は道のさりげない告白を聞いて表情を引き締めた。
「その話はまた後だ…
さっき女の子を送った光から連絡が来てな、女の子が君に感謝してあるそうだ。"ありがとうございます"とだってさ。
君は成長しながら他人を助けられたんだ。これは誇りに思える事だろう?」
陽哉は顔を道から背けて上を向く。一瞬彼の顔を流星が落ちた気がしたが、道は見なかったことにした。
「なるほどね…アンタはやっぱり麒麟児っすね」
「君は麒麟男なんだろう?」
陽哉は苦笑した。
「そういや道はなんであの公園まで来たんすか?結城家って確か東門の方だった気がするんすけど…」
気分が落ち着いた陽哉が話を切り替える。
「ああ、実は陽哉を探していたんだ。今日は実習だって話を光から耳にしていたからな。君なら早く終わるだろうと踏んでいた」
「何のためっすか?」
道は陽哉の顔をまっすぐ見て口を開く。
「連続自殺の謎の究明のため、2つほど協力してほしい」
そう言って頭を下げる。
陽哉は一瞬呆然としたが、すぐさま表情を変えた。いつも通りの笑い顔を携えて返答する。
「こないだ言ってた奴っすか…
貸し2つって思ってたすけどまあ今日は世話になったっすし貸し1つで勘弁してやるっす。
それで、何をやればいいんすか?」
陽哉の快諾に、道は不敵な笑みで答える。
「君の経験が増えるようなことさ」