17話 虐め
それから1週間後の昼下がり
陽哉は一人で学校の南門の前を歩いていた。
今日は対魔獣実践講義があったのだが、戦闘能力という点では他の3年生、場合によっては4年生さえ圧倒する才覚を持っている彼にとっては軽すぎるカリキュラムであったためすぐに課題を終えてしまい、他の予定も無かったので中途半端な時間に帰ることになってしまったのだ。
この時間に帰る時は、いつもなら閑散とした住宅街の中を闊歩する野良猫と戯れたり道端のアスファルトの裂け目から芽を垣間見せる雑草に目を止めたりする陽哉であるがこの日は違っていた。
「おい知ってっか!こいつ遺猿だってよ!」
「アハハハハ!ざまあ見ろ!
猿のくせに粋がってんじゃねえよ」
「こいつ臭くねー?」
少しだけ声変わりが始まった男児たちの声が公園の方から聞こえてきた。
陽哉が声のする方へ足を向ける。
公園内では一人の女の子が複数の男子に囲まれていた。しかしそれは遊んでいるという風ではなく、非常に不快な空気が溜まっていた。
子供たちは皆12歳ほどでおそらく初等教育の学童といったところか。女の子はくたびれたTシャツに長めのスカートを着ているがそのシャツは、まだ3月で寒さが若干残るにも関わらず半袖である。一方男子の方は子どもながら季節相応の春らしい鮮やかな服装をしている。
「あのさあ、ここってエチル専用の公園なんだよな。
勝手に入って来てんじゃねえよ」
「そんな木の実拾って食うのか?マジ猿じゃん!」
会話から察するにエチルの男子が新人類の女子に攻め寄っているようだ。女子は公園内で銀杏を拾っていたようで、その手にある袋には沢山のビー玉大の粒が入っている。
通常エチルと新人類の子どもが一緒になるという場面は少ない。というのも年度が一ヶ月ずれているため休みが被ることもないし、また新人類政府が被らないよう色々な調整を行なっているからである。
しかし、それは新人類の子どもが比較的安定した家庭であったらの話だ。
新人類の子ども時代は教育や人間関係など全てを教会で過ごす事が多いが、お金のない家庭は教会での無料教育より生活する為の労働へ子どもを向かわせざるを得ない。そしてそういった子は大抵意地悪なエチルの格好の的となる。
女の子はそんな暴言に口を閉じて必死に耐えようとしているが、その目には少し涙が滲んでおり、袋を握りしめる手はふるふると震えている。そろそろ限界に近そうだ。
「なんか喋れよ、おい!」
無視されてると思って痺れを切らしたのか、男子のリーダー格の人物が女の子の髪をぎゅっと掴み乱暴に引っ張る。女の子がその力に従って地面に倒される。
「まあ遺猿だしいいよな」
遺猿とは、親がいない新人類の蔑称である。エチルとの戦闘などで子どもを残したまま亡くなってしまう例が多く、エチルがそれを口にして馬鹿にする時がある。
男子たちが足で女の子を踏み付けようと片足を上に上げる。女の子も流石に恐怖でその小さな目から大粒の涙がポロポロ垂れた。男子が足を振り下ろそうとする。
「なあ、ガキども何してんだ?」
陽哉はその集団に後ろから声を掛けた。それもドスの効いたこの上なく低い声で。
「あ?なんだよ……」
男子たちが振り返って陽哉の容姿を見るや否や返答が尻すぼみに消えていく。
それもそうだろう。陽哉は普段通りの金髪や柄の悪い服に加えて、その不良じみた顔でギロリと睨めつけていた。
「テメエらはどこで新人類なら虐めていいなんて習ったんだ?現法で原則禁止と明記されてんだが、テメエらこそ脳が猿並みなんじゃねえか?
あとな、親いなくても頑張ってる奴を親いねえ事で馬鹿にするのは万死に値する事だ。
覚えとけ。」
男子たちは陽哉の怒気を目の当たりにして完全に萎縮してしまっている。
「今から20秒以内にここから出て行け。出てかねえなら今その子にやろうとしてた同じ事を全員に体験させてやるよ。
"目には目を 歯には歯を"って奴だ。」
陽哉の言葉を聞き終えるや否や男子たちは走り出して、陽哉から距離を取るように通り過ぎて公園から出ていった。公園には陽哉と虐められていた女の子が残っている。
『はあ、危なかったっす…』
陽哉は虐めていた男子たちにキレていた。正直自身がなんて言葉を発していたのかさえもうすでに覚えていない。
ちょうどこの日、軍用鎖鋸のメンテナンス日で学校に相棒を預けて来ていたお陰でなんとか自分を保てたが、持っていたら間違いなく抜いていただろう。そう思えるほど陽哉は感情的には切羽詰まっていた。
陽哉は一度大きく深呼吸をして、そんな負の感情から切り替える。
「大丈夫っすか?」
自分の出せる限りの優しさを滲ませた声で女の子に話しかける。
一方女の子は一瞬ポカンとした顔を浮かべたが徐々にそれが崩れていき、そして
「…っうぅ うっ うぅっ くぅっ くうう…」
「ちょっ!…」
嗚咽を漏らし始めた。
陽哉は自分が泣かしてしまったような形になってしまい焦っている。どれだけ贔屓目で見ても自分が子どもに優しそうな顔となるとは想像もつかなかったので仕方がないといえばそれまでだが、これでは落ち着かせる事も叶わない。
『どうするっすかね…誰か女の人でも来てくれれば…いや それだと俺が泣かしたみたいな話でややこしくなるっすね…』
陽哉は八方塞がりで、最悪の場合自分の家に一旦連れ帰って妹たちに機嫌をとる事も考え始めた。しかし、それは必要なくなった。
「はいはい。もう大丈夫だからな?怖かったもんなあ。けどよく我慢できたな。君は強いよ」
……一人の青年が陽哉と少女の間に入って来た。中性的な顔立ちの、それでいて少し老いを帯びた青年の顔は優しげに少女へと向けられており、右手で頭を撫でていた。
「道…」
「あきたちを呼んで介抱させるけどいいかな?」
いいタイミングで現れた道は確認を取る。陽哉はそれに信頼に満ちた、澄んだ笑みで返した。