私とアベル君の奇跡な軌跡
【世界の様子】
球場の空間の中に浮かぶ丸テーブル状の大地が世界のすべて。
半分が魔界であり、半分が人間界になっている。
全世界において温暖ではっきりとした四季がある。
しっかりとした管理者さえいれば、平和で素晴らしい世界になる。
ーーーーー
ドシャり
男達から凌辱の限りを受けていた愛しい人は、突如その命を散らしたかの如く、崩れ落ちた。
青く宝石のような美しい体は、ただの液体へと還って行った。
うわああああああああああああああああ
耳障りな叫び声が自分の耳を突く。
それが僕の声だと気が付く余裕も、僕にはなかった。
僕は全速力のまま痩せた男に飛びかかると、奴が何かを言う間もなくその首を跳ねた。
そして小太りの男の両手を聖剣で跳ね飛ばすとこう言った。
「ネス教会副騎士団長の指示か」
小太りの男は、自分は悪いことだとは思っていた、しかしネス教会副騎士団長の命令だったので仕方なく従っただけだ、自分は何も悪くないと言い慈悲を乞うた。
「楽しそうに腰を振っていたのに、仕方なく従っていただって?」
醜く、反吐が出るような嘘だった。
そこで僕は気が付いた、初めて人を殺めたことに。
そして、それに対して何の忌避感も無いことに。
やはりそうだ、人だから善、魔族だから悪という考えは間違っている。
魔族でありながらもマユお姉さんは善であり、人でありながらもこいつらは悪だ。
善人は善であるから善であり、悪人は悪だから悪なのだ。
僕は小太りの男を怒りの限り両断すると、その場に崩れ落ちた。
そして僕は泣いた、体の水分が全て流れ出ているのではないかと思う程泣いた。
すると不思議なことが起きた。
僕以外の鳴き声が聞こえるのだ。
涙でゆがむ視界の先にいたのは…
「僕?」
そこに見えたのは、幼き日に僕が身に着けていたマントを着た子供。
いや、女の子のスライムだ。
「ママ!ママ!ママー!!」
既に地面のシミになってしまったマユお姉さんに縋り付きながらその子は泣いていた。
自分より幼い子が泣きじゃくっているためか、次第に冷静になっていく。
そして勇者としての自覚が、僕を動かし始めた。
僕はその子に近づくと、何も言わずに抱きしめた。
「ううう…うわーん!!!」
女の子が泣き止むことは無かったが、それでも僕はただひたすらその子を抱きしめ、共に涙を流し続けた。
そして夜になった。
僕達はマユお姉さんの遺骸が滲み込んだ土を、僕達の家の前まで運び埋葬した。
すると、女の子がぽつりぽつりと、独り言のように話し始めた。
とてもやさしいママだった。
そんなママを助けようと、逃げろと言われたのに途中で引き返してきた。
なのに足がすくんで何もできなかった。
ママが恐ろしい目に会って殺されるのを見ているだけだった。
自分は駄目な娘だ。
ママは自慢の娘だっていつも言ってくれたけど、最悪の娘だ。
僕はそれを必死に否定した。
逃げずに踏みとどまっただけでも凄いことだと、それに本当に悪いのは自分だと白状した。
お腹が空いていたのをきっかけに君のママと会い、ずっと一緒に住んでいたこと。
ママの元を離れることになった後は、人と魔族の戦争を終わらせようと動いていたこと。
しかし、僕の行動を不審に思った教会上層部がつけた監視役を、愚かにも理解者だと思い込み君のママの存在を教会に感づかせてしまったこと。
そして勇者である僕が心を寄せる危険な存在として教会がママの抹殺に動き、助けに来たものの間に合わず殺されてしまったこと。
僕の間抜けさがママの命を奪ったと、女の子から罵倒されるも覚悟で真実を話した。
話さなければ、罪の意識に自分自身が耐えられなかったからだ。
僕は女の子から罵倒される時を待った。
ところが…
「パパなの…?」
女の子は両目を大きく開き、信じられないものを見たという表情で僕を見ていた。
その顔はマユお姉さんに似ていたが、幼い時の僕にも似ていた。
まさか。
まさかまさまさかまさかまさかまさまさかまさか。
マユお姉さんをママと呼ぶ女の子。
父親が誰なのかと気にならなかった訳ではない。
でも聞くことはできなかった。
マユお姉さんを失っただけではなく、マユお姉さんが僕ではなく別の誰かと愛し合い子供を作っていたという事実までも受け入れてしまったら、僕はどうなってしまうか分からなかったからだ。
なのにこの子は何と言った。
僕がパパだって!?
「君のパパの名前は?」
「知らないの、秘密にしなくちゃいけないってママが…。パパに迷惑がかかるから、子供ができたことは絶対に知らせちゃ駄目だって」
それから女の子の口から次々と語られた真実に、僕は経験したほどが無いほどの驚かされた。
マユお姉さんも、僕のことを愛してくれていたのか。
なのに僕のことを考えてその気持ちを心の奥に隠し、あの時の過ちで出来た子供のことも秘密にして一人で育てていたなんて。
『戦うことなんてやめて、前みたいにここで一緒に住もう!』
マユお姉さんの素朴な願い、愛し合う人と一緒に居たいという思い。
そのことに気が付かないばかりか、僕が愚かだったばっかりに全てを失ってしまった。
僕は…僕は…
「パパ…」
いや違う。
まだ全てを失ったわけじゃない。
まだこの子がいる。
「ごめんね、今までほったらかしにしてごめん。僕がパパだよ」
せめてこの子だけでも守らないといけない。
例え全ての人を敵に回したとしても。
人の血で染まった勇者の剣が妖しく光っていた。
ーーーーー
異世界でニートになるとか、まるでラノベみたいですね。
私は小さな小さな小部屋に引きこもっております。
ざっと数年ほど。
どうしてこんな事態になったのかというと、策士策に溺れるというか、脱出のために頑張った結果こうなってしまいました。
イヨを探してたどり着いた修行場は、見たこともない不思議なダンジョンでした。
ダンジョンに入った後に聞こえてきた不思議な声とその後の調査によって、このダンジョンはいくつものフロアが数珠つなぎになっていて、一つのフロアをクリアする毎に外への出入り口と次のフロアへの通路が現れるという仕組みになっていることが分かりました。
つまり、最初のフロアさえクリアすれば外部への脱出口が開くということになります。
さてここで問題です。
スライムで、最初のフロアボスである門番(ゴーレム騎士)を倒せるでしょうか。
答えは…無理でした。
イヨのことが心配なので、早く脱出しようと百回以上挑んだのですが、百回以上死にかけました。
結論。
スライムの能力では、逃げ回ることはできても、倒すことは不可能です。
というかですね、この最初の試練では剣技を学ぶのが目的らしく、剣を持っていない普通のスライムが素手で戦ってクリアできないのは当たり前なんですけどね。
そこで今度は作戦を変えて、奴に対抗できる武器が無いか探し始めました。
剣技を学ぶ試練だからか、早速入り口近くで普通の剣を見つけましたが、こんな剣でボスを倒せるほど私は剣に慣れていません。
なので更に良い剣を探し続けた結果、ボスの後ろにこのフロアのクリア報酬と思われる一際大きくて立派な宝箱があることに気が付きました。
剣技を学ぶフロアならクリア報酬は強力な剣だろうと考え、ボスをすり抜けてクリア報酬を手に入れ、それでボスを倒して脱出するという作戦を立てました。
ボスの攻撃をかわしながら宝箱にたどり着くと、体の一部を鍵穴に突っ込み強引に解錠しました。
昔、家の隠し部屋の鍵を開けた方法と同じです。
宝箱の中に入っていたのは魔法が掛かっていそうなショートソード。
これだと思った私は、体ごと宝箱に入りショートソードをゲットしました。
これでかつる!
我ながら、素晴らしい発想と行動力に惚れ惚れします。
ところで、宝箱に入った私はおのずと動きが止まってしまいます。
つまりピンチです。
ピンチではありますが、超絶天才美少女スライムの私には死角はありませんでした。
ボスは動きの止まった私を攻撃しようとしてきましたが、宝箱の蓋を閉じて華麗に防御して難を逃れたのです。
はい、もう一度言います。
宝箱の蓋を閉じました。
閉じました。
閉じ込められました。
閉じてから気が付いたのですが、宝箱って内側には取手も鍵穴もなーんにもないんですね。
ガチャリという音と共に、うんともすんとも開かなくなりました。
詰みました。
このダンジョンの不思議パワーでお腹が空いたりとか窒息したりとかしないのですが、これはもう駄目ですね。
当初はボスの門番が、外から攻撃してくれて宝箱を破壊したり、突然隠された力が覚醒することを期待したのですが、ダメダメです。
事実もう何年か分からないぐらいこの状態です。
はぁ…
イヨはどうしているでしょうか、私と違って優秀な子ですから、一人でもきっと元気に育っているでしょうけど、もう二度と会えないなんて…
アベル君もどうしているでしょうか。
お互い無事な姿で再会したかったのに…
「イヨ、アベル君、会いたいよ…」
スライムだからなのか、それとも前世で似たようなことでもあったのでしょうか、閉じ込められることに耐性があったらしく、これまで何とか耐えることができました。
なのですが、それでもやっぱり徐々に精神的に追い詰められていたようです。
イヨやアベル君と二度と会えずに、ここで人知れず死んでいくのだと思ったら、ぽろぽろと涙が出てきます。
止めようとしても、止まりません。
「誰か助けて、グスッ…」
「あれ、もしかして誰かいるの??」
「え?」
ギギー
見上げると、ここ何年も私を圧迫していた宝箱の蓋が無くなり、女騎士のような服装をした水色の女の子が宝箱の中をのぞき込んでいました。
この子、どこかで見たような気がします。
女の子も私に見覚えがあるのか、目を何度もこすって私を見ています。
「夢じゃないよね。まさか、ママ?」
この声、そしてその容姿…まさかあなたは!?
「イヨなの?」
「ママ!!信じられない、どうして、何で!?嘘!?ママ!!ママ!!!!!!!!!!!」
どんっと音がするほど勢いで、私に女の子が飛び込んできます。
私とよく似た背格好をしながらも、少し幼い感じがする少女は、間違いなくイヨです。
何がどうなっているのかさっぱりですが、とにかく無事でよかった。
「よかった、本当によかった」
「ママ、それはこっちのセリフだよ、だってママ、怖い人達に酷いことされて、殺されて…ううっ、うううっ…」
え?
私が殺された??
ナニソレ??
「イヨ?ママは殺された記憶は無いのだけど」
「何言っているのママ!?」
イヨに殺された記憶がないと言ったら凄く驚かれました。
いやいやいや、イヨには悪いけど驚くのはこっちの方です。
本当に殺された記憶なんてありませんし。
「ママは殺された記憶がないの?」
「だから、本当に記憶なんて無いから」
というやり取りを繰り返すこと数回。
「だからママは殺されてないって、ここ数年なーんにも食べてないけど、すっごい元気なんだよ!」
「あ」
イヨが何かに気が付いたらしく、先ほどまで明るかった表情が、絶望したものへと変わっていきます。
どうしたのでしょうか?
「そうだ、そもそもママは生きているはずがないんだ」
「イヨ?」
「ママは幽霊なんだ、まだ自分は生きていると思っているから、こうやってダンジョンをさまよっているんだ」
「おーい?」
「成仏させなきゃ」
イヨさん?
ママに刃物を向けるのは良くないと思うわよ?
目がグルグルしているイヨが、「成仏」とか言いながら腰の剣を抜いて私に向けます。
待ってイヨ、ママ生きているから、本当だから。
「成仏してねママ!!」
「ピギーーーーーーーーー!?」
ーーーーー
「ママごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさーい」
「大丈夫だから、ママはもう怒ってないから落ち着いて」
「本当に?本当にもう怒ってない?」
すっごい痛かったけど、娘に泣きながら謝られたら、流石にもう怒れないわよ。
けがの功名というか、私を斬った感覚が明らかに生身の体っぽかったうえに、斬られて七転八倒する私を見て、イヨは私が幽霊ではないと気が付いてくれました。
私が生きていると気が付いたイヨは、泣きながら私に回復魔法をかけ、私の傷が塞がった後は、私に縋り付きながら涙声で謝り始めました。
最初は、あまりにも理不尽な仕打ちにちょっと腹が立ちましたが、泣きながら謝るイヨの頭をなでている間にそんな気持ちはどこかに行ってしまいました。
そんなこんななドタバタした再会劇があったのが数時間前。
因みに、私の生死については、平常心を取り戻したイヨが「ママが生き返った」と自己解決してしまい、その勘違いを下手に否定してまた妙なことになっても困るので…
「そうなの、実は神様が生き返らせてくれたの」
「神様?あの竜神がなんで?そんなことする奴じゃないのに」
「あ、えーと、竜神じゃなくて別の神様、誰だか分からないけど、あれは間違いなく神様だった(キリッ)」
「そうなんだ、誰だか分からないけど、神様ありがとう…ううありがどう!!」
といった感じで適当に話を合わせて嘘をついてしまいました。
うまく騙せたのはいいのですが、こんな簡単な嘘に騙されるイヨの将来がちょっと心配です。
それはとにかく、私たち親子はこれでもかというほど再会を喜び合いました。
そして喜び合った後は、親子そろっての生活に戻ることになりました。
ところは、状況は斜め上に進んでいきました。
「もうすぐパパに会えるねママ。楽しみでしょう?」
「そうね…」
「ママ?どうしたの?あまり嬉しくなさそう」
「そうなことないわよ、ちょー嬉しいー!でも疲れちゃったかなー?」
「あ、ごめんねママ。そうだよね、疲れているに決まってるよね、ちょっと横になってていいよ、着いたら起こしてあげるから」
存在しない神様に感謝の祈りを捧げた私は、その後強引に服を着せられ、またまた強引に空飛ぶ馬車に乗せられパパのところへ向かっています。
向かう先は魔都。
そこにパパがいるそうなのです。
なるほど。
ところで、パパって誰?
なーんて、とてもこの状況で聞けない。
魔都にいるなんて魔王と…えーと、そう、イツウさんしか知りません。
しかし私が閉じ込められている間に、イヨにいったい何があったのでしょうか。
ダンジョンから出たら、RPGの最終ダンジョンに出てくるような魔族達に囲まれました。
ドラゴンに、角がいっぱい生えたムキムキの魔族に、大魔法使いといった感じの仮面の魔族などいった、とにかく凄そうな面々です。
思わず悲鳴を上げかけましたが、全員イヨの護衛だから安心しろとかいうのです。
今のイヨの立場って一体何なのでしょうか!?
イヨに聞いても、魔都についてのお楽しみとしか教えてくれません。
イヨに勧められるまま横になって数刻、ついに魔都の入り口までやってきました。
何年かぶりか分からなないぐらいに見が魔都は、久しぶりであるためか、記憶の中にある姿よりずいぶん活気があるように感じられました。
事実、魔都の入り口にある検問には長い列ができていました。
「きおーつけー」
「敬礼」
驚いたことに検問の兵士達が左右に分かれて敬礼する中、馬車はどうどうと検問を超えていきます。
もちろん、長い列に並んだりしません。
検問を完全にフリーパスです。
何なんでしょうか、訳が分かりません。
私が困惑していると、街の奥から一台の馬車が猛スピードでやってきました。
馬車から慌てた様子で顔を出したのは、イツウさんです。
恩のある人ですが、まさかこの人がパパということじゃないですよね?
失礼ですがイツウさんはパパよりパパ(意味深)の方が似合う感じで、正直イヨのパパとか言われたら通報したくなります。
「姫様ー」
え、姫様!?
誰が!?
「あ、バラしちゃ駄目だよイッツさん」
イツウさんに応えたのは、なんとイヨでした。
つまり、イヨが魔族の姫様!?
といことは、イヨが姫ならパパは魔王ということに…
つまりバカなカバが魔王でパパですか。
…
…
こんなところにいられません、私は一人で帰らせてもらいます。
「イヨ、私パパに会わなくていいから帰るね」
「ママ何言ってるの、大丈夫だよ、もうパパとの関係を隠す必要はないんだよ」
隠すも何も、元から関係なんて何もないです。
イヨをここまで育ててくれた恩はありますが、それ以外の気持ちなんてないです。
そもそも、母親が私だって知ったら、あの魔王のことだから「よくも俺様の命令を無視して逃げやがったな、お前なんか死刑だ」とか言い出して殺されてしまう可能性があります。
「カバは嫌、馬鹿は良くてもカバはダメ」
「ママどうしたの、落ち着いて!?」
イヤイヤと嫌がる私にお構いなしに更にずんずんと馬車は進み、ひと際大きい石造りの円錐形の建物、魔王城にたどり着いてしまいました。
やばい、ついに着いてしまった。
とにかく今すぐ逃げます、絶対に逃げます。
そう思い、勝手に馬車から私は飛び出しましたが…
既に馬車の前には、黒く禍々しい全身鎧で身を固めた騎士が立ちはだかっていました。
「私、悪いスライムじゃないよー!?」
「知ってるよ!!」
え…
この返し方は…
「ただいま、マユお姉さん」
ただいまと私に言ったその人は…
会えないのではないかと思っていたその人は…
「アベル君…」
相変わらず女の子のような綺麗で幼い顔をしつつも、まるで王様のような貫録を持ったアベル君でした。
「おかえりなさい、アベル君」
私はそう言うと、人目も憚らずアベル君を抱き返していました。
私の頭の中は、何がどうなってこうなったのかさっぱり分かりませんでしたが、アベル君がいてイヨも無事だった、それだけで十分でした。
ーーーーー
結婚式。
それは人生の一大イベント。
結婚式。
それは愛する人と一生を共にすることを誓う場所。
アベル君と再会し、疲れからか、ろくに話もせずに泥のように寝てしまった次の日。
朝食の場でアベル君は私とアベル君の結婚式を盛大に行うことを宣言してしまいました。
どうしてこうなった。
簡単にまとめると。
まず、アベル君とイヨは私が死んだと勘違いしました。
そしてイヨのパパがアベル君だと勘違いし、更に私がアベル君を好きだけど魔族と人間の違いから隠していたと勘違いしました。
そのため、アベル君はイヨを守るため人を裏切って魔族の一員となり大活躍します。
その活躍っぷりは、次期魔王候補などと噂される程だったのですが、人間であるため、なかなか信頼されず魔界での地位は決して高くなかったそうです。
ところが、カバ魔王がイヨを強引に手籠めにしようとし、それにアベル君が激怒しカバ魔王を抹殺。
魔王が殺されて大混乱かと思いきや、イッツさん(イツウさんじゃなかった)がアベル君側について、なんやかんやあってアベル君が魔王に就任してしまったというのです。
こうして名実共に魔界を統べる存在となったアベル君の下には、結婚の申し込みが殺到したそうですが、イヨとその母である私のことを想いすべて断っていたそうです。
そんなところに私が発見されたものですから、私と結婚するのは当たり前と思い込んでいるアベル君は、私の意思確認というか、プロポーズすらなく結婚式の挙式を決めてしまったというのが今の状況です。
アベル君が夫になる。
ずっと弟として意識してきて男性として意識してこなかったアベル君ですが、客観的に見たら凄く格好良くて頼りがいがあって、不満なんてまったくないぐらいの優良物件です。
そんな人と結婚できる私は間違いなく幸せでしょう。
でもこれでいいのでしょうか。
アベル君はイヨという子供を作ったと勘違いしているから、その責任を取るために私と結婚しようとしているだけのはずです。
本当は私のことを異性として好きになっているのではなく、好きになろうとしているだけなのです。
なぜそう思うかと言うと、私が人間じゃないからです。
私はスライムです。
普通に考えれば、アベル君がこんな体に欲情するはずがありません。
事実、アベル君が私に欲情しているところなんて、今まで無かったと思いますし。
アベル君はイヨを作ったという勘違いへの義務感だけで結婚しようとし、私は客観的に見たアベル君のスペックだけを見て結婚を受け入れようとする。
これはいけません。
お互いの気持ちが通じ合っていない状態で結婚してはいけません。
こんな結婚をしてしまったらアベル君が可哀そうです。
大好きなアベル君には幸せな結婚をしてもらいたいです。
だから言わなくてはいけません。
イヨは私とアベル君との子ではなく、ただ私が分裂して生まれた自我のある分身だって。
単細胞生物だから、分裂で増えただけで、自我があるのは何かの偶然なんだって。
アベル君は責任を取る必要は無いんだって。
とても人前で話せる内容じゃないので、私はその日の夜、アベル君を自分の寝室に呼び、メイド達も下がらせました。
そして昨日一緒に寝たイヨには、パパと大事な話があるから今晩は自分の部屋で寝るように言いました。
再会以来片時も離れなかったので素直に聞いてくれるか心配でしたが、何故かニヤニヤしながら了承してくれました。
そういえば、メイド達も下がるように伝えたら、ニコニコしながらセンスのいいアロマキャンドルを設置してくれたり、やたら入念に私の体に香水塗り付けたりしてくれましたけど、何でこんなことしてくれたんだろう。
まあいいか。
今はこんなこと考えている場合じゃなかった。
コトっ
考えをまとめるためベッドで横になっていた私は、起き上がるとワイングラスに少し注いだワインを一気に飲み干しました。
これから話す内容はアベル君にとって衝撃的過ぎるので、私としても素面では言いにくいです。
なので、本当は良くないのですがお酒の力を借ります。
ふう、少し熱くなってきました。
イヨと再会して以来、ずっと本物の服を着せられていましたが、いつも裸の身としては窮屈ですし、ワインのためか体が熱くて仕方ありません。
これから来るのはアベル君だけですから、多少服を脱いでも大丈夫でしょう。
そう考えると私は早速上着のボタンを外します。
トントントントン
控えめなノックが部屋に響きました。
ボタンを外したところで、ちょうどアベル君が来たようです。
私は入ってよい旨を伝えると、少しラフな格好をしたアベル君が真剣な表情で入ってきましたが…
私の姿を見て、少し驚いたような表情を見せました。
何に驚いたのか気になりますが、それより大切な話をしなくてはいけません。
大切な話ですからソファーに二人で座って真剣に話さなくてはいけません。
ですが失敗しました。
そういえば、私は凄くお酒に弱かったのを忘れていました。
ベッドから立ち上がろうとしますが、上手く立ち上がれなさそうです。
ワインを少し飲んだだけでこれとは我ながら情けない。
仕方ありません、アベル君にこっちに来てもらいましょう。
「ねえ、アベル君こっちに来て」
私はベッドに腰かけると、ポンポンと私の横を叩き、アベル君に私と同じようにベッドに腰かけるように促しました。
アベル君は少しぎこちない様子ですが、私の隣にぴったりと寄り添うように座ってくれました。
これで準備は万端です。
では、始めます。
「ねえアベル君、私を見て…」
私の声に応えて、ぎぎぎぎ…と音でも聞こえて来そうなぐらい、ぎこちなくアベル君の顔がこちらを向きます。
その顔は赤く、汗も噴き出ていますが、目はしっかりと私を捕らえています。
様子が多少変ですが、ちゃんと私を見てくれているのを確認した私は、予定通り次のステップに進みます。
「アベル君どうかな?アベル君は私の体を抱きたい?私とエッチなこと、できるかな?」
アベル君の不意を突く形で、とても恥ずかしいことを聞きました。
次のアベル君の反応は予想ができます。
不意を突いた私の発言に、アベル君は激しく動揺するはずです。
なぜなら…
人間の男であるアベル君は、スライムである私の体に欲情できない。
アベル君にあるのはイヨという子を作ってしまったという負い目と、私という姉に対する家族愛だけ。
しかし私を傷つけてしまうため、それらの本音を私に言うことはできない。
だから、アベル君は回答に窮して動揺するということです。
アベル君が動揺したのを見届けたら、私はすかさず実はイヨはアベル君との子ではないと伝えるつもりです。
どうしてこんな回りくどいことするかと言うと、この方法が一番アベル君の言い訳を潰すことができると考えたからです。
直球で、イヨがアベル君の子供ではないと伝えても、優しいアベル君のことですので、今更イヨを見捨てることなんてできないと考え、「それでもマユお姉さんが好きだから結婚する」と自分に嘘をついて、私と結婚すると言うはずです。
しかし、こうやって先に動揺させて本音を引き出してしまえば「好きでもない女性と結婚してもダメよ、さっき動揺してなかったなんて言わせないわよ」と反論することができます。
それと、あまりやりたくはありませんが、どうしてもアベル君が私が好きだと嘘を言い張ったら、パンツをずらしてやろうかと思っています。
男の体は正直ですから、否が応でも嘘か本当か分かってしまいます。
性欲と愛は別だと反論される可能性もありますが、若くてやりたい盛りなのに、性欲も湧かない相手を愛するのは無茶というか、絶対にうまくいかなくなると説得するつもりです。
さあ、アベル君、正直に動揺してください。
「マユお姉さんっ!!」
アベル君の切なそうな声と共に私の視界がアベル君でいっぱいになり、唇を塞がれました。
え、あ、はぁ!?
「もう我慢できないよっ」
混乱する私を他所に、アベル君は私を押し倒し…そして…
それからはとても人に言えるような内容ではありませんでした。
ただ言えるのは、アベル君が私を本当に愛してくれていたのだということをその身を以ってこれでもかという程教えてくれたということ。
そして、プロポーズしてくれ、私はそれを受け入れたということです。
あとは…アベル君に姉より強い弟などいないと、スライムの体を前世の知識を駆使して分からせてあげたぐらいかな?
ちょっとやり過ぎた結果、アベル君が倒れて翌日の公務がすべてキャンセルになったり、私のブルーの体が少しクリーミーな色になるという事件が発生し、イヨにドン引きされましたが、忘れられない素敵な夜になりました。
きっとアベル君にとっても、最高に素敵な夜だったと思います。
めでたしめでたし。