《小話》王都にきた少年
おはようございます。
よろしくお願いします、って、年の瀬じゃないですか。うわわー。
12/29 内容が過去だけだったので、サブタイトル変更しました。
6年前、男は12歳で王都にきた。
それまではというと────
屋敷の家令は家庭教師を付けてもらえない男に、時間を見つけては文字に計算、貴族作法などの基本を教えていた。
そのとき家令は気づいたのだという。
男の才能に。
それは教えれば教えただけ身に付ける、いわば鬼才。
自国の読み書きはあっさり身につけた、それに与えた書物をことごとく暗記している、と。
家令は当主に、男に対してしかるべき教育を施すよう進言した。
しかし当主はかかる費用を惜しみ、許諾しなかったのだ。
「この領地にそこまでの知識教養は要らん」と当主は断じた。
そこまでとはどこまでなのか。
家令は主の部屋を辞した扉の前で静かに憤る。
男の才能を潰してしまうのか。
より良い、環境を。
能力を活かす術を。
そう家令は、家人と男の小さな家族は望んでいた。
男は領外に出たことがなかったし、日々の小銭稼ぎでは得た知識を出す場もなく、王都に来てペトラに説明されるまで自分の異常さを知らずにいた。
領地から追い出されるように都会に来て項垂れる少年に、その身を預かった家令の妹、ペトラは大銀貨を一枚渡す。
これで図書館に行きなさい、と。
とにかく学べとペトラは言った。
大銀貨一枚は、平民の年収に相当する大金だ。
少年は見たこともないキラキラと輝く大きな硬貨に手を震わせる。
これがあれば、家の皆の暮らしが当分楽になる。
これを持って帰れば、そう、お金を持って領地に帰らなければ。
「これはあなたがもっと賢くなる為に使うものです」
ぐっ、とペトラに拳を包むように手を握られた。
「今使って、仕舞いにします?」と、ペトラは膝をついて少年と目線を合わせる。
家令と同じ若葉色の瞳が、真っ直ぐ見ていた。
その瞳に写る少年は、濁り、曇った目を閉じれずにいる。
圧倒的に栄養の足りていない細い身体。
ボサボサで色艶のない髪。
指の爪は泥や砂で詰まり、指先は薄汚れている。
兄から聞いてはいたが、ここまでひどい状態だとはペトラは思っていなかった。
貴族の子息なのに浮浪児と言われてもおかしくない有り様。
兄と大銀貨を工面するのに思ったより時間を食ったことが悔やまれる。
「わかりますね? あなたが使うんです」
優しく少年の頭を撫でる。
精一杯、心を込めて。
この子に届け、届けとペトラは願う。
「そのために、賢くなりましょう。うんと、うーんと。皆をびっくりさせてやろうじゃないですか」
皆──────。
少年は脳裏に何を思い描いているのか。
暗い焦げ茶色だった瞳に細い光が灯る。
くしゃりと歪んだ顔は、年相応のもの。
少年の目から溢れる筋をペトラは優しく拭った。
「当主様は任せておいてください。年若いから数年はまともな職につけないとでも言って、私から小金を送っておきます。心置きなく図書館に通ってください」
鼻をすすりこくんと頷く少年にペトラは笑いかけ、頭を撫でる。
そして内心済まなく思う。
こんな少年に、理解させたことを。
ペトラと家令達は、この細く小さな肩に、領地の未来を掛けた。
いや、恩を着せて逃げられないように背負わせたのだ。
貴族街と平民街の境である壁に挟まるように王立図書館は建てられている。
それによって貴族街からも平民街からも出入口があり、どちらも図書館に訪れることができる。
しかし、図書館に置かれた本は手書きで貴重なものばかり。
なので出入口での官兵による身体検査が徹底され、本の破損や紛失が起きないように保証金として入館閲覧に大銀貨一枚が必要と定められている。
何事もなければ退館時に返却されるとはいえ、平民街から足を運ぶ者は稀でごく限られていた。
そんな図書館に出入りする子どもは目立つ。
大金を持ってますと言い歩くようなもので、危険だ。
そこで少年は図書館近くまではボロ服で通い、ペトラの知り合いの商店で、荷物にあった新しい服に着替えて図書館入り口まで店員に送り迎えされていった。
家令に貴族の振る舞いを一通り教わっていたことが初めて生きた。
所作と相まってそれなりに裕福な商家の子息に見えたのだ。
毎日毎日図書館に通う身綺麗な平民の子ども。
始めは子どもがなんの用だと胡散臭げに眺めていた司書や書籍管理人達は、その認識をすぐに改める。
平民にしては礼儀正しく、かつ順序だてて本を読み進めている。
さらに少年が時折彼らに投げ掛ける質問は、本を読み込んだ者しかできない、的を得たものであった。
図書館に集まるのは、学問に秀でた者か、本好きか、探求心の強い者か。
ある日、受け付けに歩み寄るのは、焦げ茶色で幼さの残る髪と目の子ども。
そしてちょっと照れて、でも警戒しながら口から出たのは家庭料理の本に載っていた香辛料について。
どんな植物なのか教えて欲しい、と少年にはにかみながら聞かれた司書は、普段は貸出返却と探す本についてのみ返答しそれ以外は業務外だと断る人物。
が、微笑ましくてつい答えてしまった。
手近な紙に絵を描いてみせたら、ものすごく感心されて。
気を良くして、図解付きの植物図鑑を渡したり、稀少な料理本を見せたりしたのだ。
思えばそれが司書たちの苦難の始まりだった。
それから、ちょこちょこ少年は司書の元に質問しに来るようになる。
ちゃんと様子を見て、司書が手隙のときに。
「今確認できている最古の楽器は何ですか」
「国内で使われる材木の材質検証はどのようなものですか」
「魔素と魔力の違いは、原論で今も統一されていますか」
あら可愛らしい、という質問の域を越え始めたのはいつだったか。
「デルトの十説における逆説飽和ができているか試すので、きいてください」
もはや学園在学時以来の難題。
陰で参考書や教科書を読み直す職員が数多生み出され、また質問に即答できず「は、半刻待って。ちょっと急な腹痛が・・・」と地下資料室で古書の修繕や解読を行う書籍管理人たちの元に駆け込む者もいたが、プロの意地と大人のプライドと、子どもからの尊敬の眼差しを守りきるあたり、司書らは流石だった。
余談だが、司書日誌に『今日のお題』という欄が追加された。
少年から問われた深すぎる質問が記録されたそれに、夜な夜な、職員の驚嘆と無事回答できた健闘を讃えるいくつもの咽びが聞こえたという。
なんにせよ、司書と書籍管理人は『本好き』であり、礼節を持って毎日本にかじりつく少年を喜ばしく受け入れるようになった。
余り紙と筆記具を書き取り用に無料で貸し与えて、少年が彼らの目の届くところにいるように(つまり何かあればすぐ駆けつけられるように)定位置を決めてしまうくらいに。
少年に関心を持ったのは図書館職員だけではない。
図書館に頻繁に通えるほど、時間と金に余裕のある者─────貴族の有閑な御隠居達だ。
彼らは息子たちに爵位を譲り、趣味に没頭したり時折気の合う者と社交したりと、のんびり余生を過ごしている。
その中の、読書や学問に好みを見出だした者たち。
長らく図書館に通っているが、子どもが毎日訪れるなんて初めてのことだった。
司書たちに聞けば平民であるという。
背筋の伸びた姿勢に丁寧な本の扱い。
それとなく後ろを通りかかれば、大人も手をつけない難書を静かに指と目で追っている。
机に置かれた紙には子どもが書き綴ったのか整った文字が並んでいた。
己の孫より落ち着いていて、よくできている。
暇を持て余した爺たちに少年が可愛がられるのは時間の問題だった。
図らずとも最良の教師を得た少年は、乾いた大地が水を吸うように知識を修めていく。
そして考えるのは─────。
「お金の儲け方?」
図書館の一角、本来、数人が読書する広く重厚な机で、痩せた少年を身なりよい爺達が囲んでいる。
少年の質問にひとりの爺が逆に問いかけた。
「お前は金持ちになりたいのか?」
海千山千の知略を戦わせてきた鋭い視線が少年に刺さる。
「お金が無ければ私の目的が成せないだけで、・・・まあ、結果金持ちになるのでしょうか」
少年の答えに爺たちはそれぞれシワ深く唇を上げる。
大変満足げだ。
また別の爺がいう。
「ならば己の利を活かすとよい。それは人それぞれだ。腕っぷし、生まれ、性格、容姿端麗も力になる。お前の利は何だ?」
「私は─────」
少年が図書館に通い詰めて一年。
答えを得た瞬間だった。
13になった少年は、当時まだ町の小店だったドーレス商会の前に立つ。
少年の出自に見当を付けていた爺たちには止められたが、譲らなかった。
少年の利を活かして、やってやるのだ。
店先で仕入れ先らしきおやじと何やら話している優しげな顔立ちの青年が、店主のファビアンだ。
話が済んでファビアンひとりになったところを狙って少年は眼前に飛び出した。
「私を雇ってください!」
本日の受付司書A「なあ、お前。魔法理論(昨日のお題)とってたか?」
本日の受付司書B「なにソレ美味しいの? じゃあ周辺三国の言語(一昨日のお題)とってたか?」
本日の受付司書C「今日は急な持病で走るか!」