学園一年目③
おはようございます。よろしくお願いします。
王都は三つの壁に隔たれている。
ひとつは王城を囲うもの。
二つは王城の外側、貴族の住まうところと平民の住まいを分けるもの。
残りひとつは王都と外を区切るもの。
住み分けと防衛のため厚く頑丈な石壁に、それぞれの内外に行き来できる門が造られている。
そこには王都の安寧を守るべく官兵が配置されている。
学園は貴族居住域内にある。
寮もそうだ。
ベルノルトを言葉巧みに誘導しながら研究室を片付けさせた男は、次の日の早朝いつも以上に簡素な服に身を包み、背負いカバンを持って寮を出た。
男は学園の正面ではなく裏側に向かって歩いていく。
そこには厨房の搬入口があって、寮生の朝食と学園生の昼食準備が慌ただしく始まっていた。
寮の裏口と厨房の搬入口は比較的近く、一部外にむき出しの廊下で繋がっている。
主に寮生へ食事を運ぶためのもので、教職員のみ使用を許された道だ。
男は寮の正面玄関からぐるりとまわってそこに来ている。
「おはよう!書き付け、いつものとこだから!」
たくさんのフォークとスプーンを詰めた篭をふたつ腕に下げて、職員制服を着た女の子が男に話し掛けながらパタパタと通りすぎた。
他の職員も男に気づくと目で挨拶を交わす。
グンターは園舎の保全点検に行っているようだ。
入ってすぐの壁に留められた何かの裏紙に職員名と品物が書かれている。
皆の欲しい日用品や嗜好品を休みで町に行く者がまとめて買ってくるのだ。
男は今日平民街へ行くと言ってあったので職員が書き留めてくれたのだろう。
学園生は貴族なので普通は買い物を頼んだりなんて短足石竜子が逆立ちするくらい無い話だ。
ただし職員より貧相な身なりで、なぜか平民話も通じる男は、勤労意欲の高い、つまりもう仲間とみなされていた。
男は紙を剥がしざっと目を通す。
全部買っても手持ちのお金で足りそうだと概算する最後、注文じゃなさそうな一文が目に入った。
『姫は白いリボンを好む』
ぶはっ。
あわてて腕で鼻口を隠して奥の厨房を窺う。
皆忙しそうに動き回っているが、時折男は生ぬるい視線を感じた。
はぁ、と男は息をついてガリガリ頭を掻いた。
『お姫様』で通じる人物は学園で1人だけ。
公爵家令嬢のエレオノーラだ。
彼女は入学当初上手くいってなかった。
王国の第一王子の婚約者で学園最年少の12歳で入学したものの、講義についていけず周囲の貴族のやっかみや冷やかしにあっていた。
物置部屋で彼女が泣いていると早々に職員達は気づいた。
しかし学園生への接触は基本的に認められていない。
ただ職員七つ秘技は伊達ではない。
壁に耳あり、廊下の角に目あり。
足音は空を駆けるが如く。
遺憾なくエレオノーラへの見守りが始まる。
エレオノーラは頑張っていた。
幼く拙く、でも必死にしがみついていた。
顔を真っ赤にして歯を食い縛り貴族の中傷に耐え、講義中は一言一句聞き逃さない鬼気迫る様。
何度でも教員の元に通い、空いた時間は図書室にこもる。
そして、心と体がはち切れる寸前に隠れてひとり涙する。
学園の教員はもちろん職員だって、がんばる学園生が大好きなのだ。
力及ばず失意の中学園を去る者を涙を飲んで見送るなんて、したくないのだ。
なんとかしてあげたいのに、できない歯痒さ・・・。
(王子は)なにやっとんじゃあ!
と、陰で壁パンチとともに吼えた職員は少なくない。
孤立無援のエレオノーラを今学園で大っぴらに守れるのは唯ひとり。
婚約者のアードルフだけだ。
なのに形だけの婚約なのだと見せつける無関心さで王子アードルフは入学してから一切エレオノーラに関わらない。
挨拶の返答すらしない徹底っぷりは、周りのエレオノーラへの風当たりをキツくした。
エレオノーラの周囲にイライラもんもんと職員が気を揉む中、グンターの機転で男がエレオノーラと接触する。
そして、職員の思惑に男は乗っかった。
十中八九、男の趣味を見越したんだろうと察したから。
男は気晴らしを提供して、対人のあしらいが未熟な彼女に王族になっても通用するであろう言動を教える。
ついでのおまけで最適な参考書も選んで勧めてみた。
交差しないはずの者が引き合い、皆の利害は一致したのだ。
職員達は見守り対象にとって毒になりようのない人選を。
男は近い将来必要になる金蔓候補を。
エレオノーラはその時必要としている助言を。
つまりはそれだけなのだ。
だけど、一部職員の頭には道ならぬ恋の花が咲き乱れているようだと男は苦笑いする。
今も折々に秘密の邂逅が続いているから誤解されるのだろう。
もうエレオノーラも落ち着いているし辞めてもよい関係だが、男としては口の固い観客をなくすのは惜しい気もするのだった。
相手は第一王子の婚約者である。
まともな頭があれば手を出そうとは思わない。
今でさえ職員の黙秘が崩れたらアウトなのだ。
エレオノーラは公爵家に幽閉か貴族籍の剥奪。
男は縁故の薄い僻地の貧乏貴族なので、どうですかと言わんばかりに大々的に罪を罰せられるだろう。
男の断罪はコケにされた王家の威信を取り戻す道具になるのだ。
もちろん公爵家も一緒になって。
もし万が一手を出して事が明るみに出たら受ける処罰は、一つ。
男はぶるりと背を揺らし首を撫でる。
喜んで身分は捨てても首は落としたくない。
ただ恋ではなく政ならばありうる手段だと、そんなことを男は考える。
王子の敵、大きくみて国家の敵、もしくは公爵家に疵をつけたい者ならば────。
───実に色気のないことだ、と男は実際にいくつか案を考えてしまっておいてげんなりした。
そして再び裏紙に目をやる。
贈り物といえば、扇。
エレオノーラは男の渡した扇を手に、無邪気に頬を赤らめていた。
代わりの扇はいくらでも用意できるだろうに、長い間それを使っているようだった。
思い出して笑む男の脳裏に、領地で最後に見た弟の顔が浮かんだ。
あの時弟は6歳で、もう6年経った。
笑って送り出してくれた弟はエレオノーラと同じ12歳。
手紙のやり取りだけだけど元気にしているだろうか。
背も伸びているだろうなあ。
男は郷愁にじんわりと胸が締まる。
会いには行けないけれど仕送りにまた体に善いものを見繕おう、と考えてから自身の靴先をジッとみる。
さっきから頭にチラチラ顔が浮かぶのだ。
違うことを考えていても。
男は目を細める。
────多分、弟と重ねてしまっているんだ、と燻るまま早々に結論付けた。
うん、まあ、・・・リボンくらいならいいか、と息を吐き出して頭を上げた。
エレオノーラと弟は違う。
男は弟が大事だ。
しかし無視できないほどには彼女に情が湧いている、そういうことなのだ。
「うん、うん。まだ12歳だもんな」と小難しい顔でひとり頷きながら男は厨房をあとにした。
貴族としては質素すぎる姿の男は、学園に入る手続きのため平民街から貴族街に行く門に初めて訪れたとき「貴族街に飛び込みで売り込みに来た平民」だと間違われて追いたてられた。
次に用事があり平民街に行った帰りは貴族屋敷のお使い侍従だと思われていた。
だから彼の身分証である学園の在籍証を見せるたびに驚かれたものだ。
貴族が平民よりボロい服装だとか、ひとりでしかも徒歩で門を出入りするだとか前例がないので、至極当然の反応なのだが。
今は門に詰める兵達に顔を覚えられて、世にも珍しい苦学生として応援されているらしい。
貴族の街門に詰める兵は大体が三男以下の貴族だ。
家を継ぐわけでなく、長男の替えにもならない。
己の身ひとつで生きなければならない世知辛さを、僻地から立身出世を夢見て都に出てきた極貧貴族(と思われている)男に重ねているようだ。
着るもの食べるものを切り詰めて学園に学び、ゆくゆくは城で高官勤め、もしくは騎士を目指し・・・。
「がんばれよ!俺たちの希望っ!」
兵達は自分たちの叶えられなかった夢を男に託す。
「・・・いつもどうもー」
男は真っ赤に熟れたモモルを熱い思いとともに笑顔で受けとる。
彼らとの温度差にはもう慣れた。
見守り職員A「講義以外の木偶(*王子)との接触を極力減らす、これを提案いたします!」
見守り職員BCD・・・(以下略)「異議なし!!姫に無能は要らん!排除だ!」