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学園三年目④

こんばんはか早すぎるおはようございますか。


よろしくお願いします。

寮の個室が二つは入りそうな広さ。

濃い艶のある家具はどっしりとしていて、天井まで届く同質の木材で組まれた本棚はぐるりと部屋の三面を囲み、年代別の国別に本がキチッと納められていた。


本の為にあるこの部屋に窓はない。

火気厳禁で灯りは魔術具だ。

国の魔術棟で開発され学園に試験導入すると決まってから、部屋の主がいち早く設置させたのだ。


毛足の長い絨毯に隠された床には、ベルノルト特製の「防炎」と「調湿」を組み合わせた魔方陣が彫り込まれている。

最近、彼から魔方陣を改良したので取り替えたいとこの部屋の主にしょっちゅう連絡が来る。


ここの主はベルノルトがうざったいので無視しているようだ。


「バルツァー先生、昨年は二つも講義を認めてくださり、ありがとうございました。新年度は神代・古代からの変遷を受講しますので、宜しくお願いします」


バルツァーの書籍を整えた男がにこやかに振り返る。

バルツァーはちらりと目を向けただけで反対側の本棚に手を伸ばした。


「・・・匂うな」


「え?・・・あぁ、後でお茶をお入れしたら添えようと思って用意しました焼き菓子です。実は私が作ったんですよ」


男は腕に抱える本を物置用の簡易な机に丁寧に置くと手袋を片方外し、持参していた手籠の布を持ち上げた。

楕円に平べったく焼かれた菓子がぎっしり詰められている。


バルツァーは、貴族の端くれだろう男が菓子作りなど空耳か?と斜め下と男をゆっくり一度ずつ見た。


時間をかけようやく「甘いものは好かぬ」と返事をする。


男は意に介さず、「そういえばバルツァー先生は食べ物の好みもレヴィル王に似ていらっしゃいますよね。先生の、王の人物像を記した本は実におもしろかった」と手籠に布を被せ手袋をはめ、再び本棚の整理を始めた。


バルツァーはふん、と鼻をならした。

皆彼を著名な歴史家だと敬う。

しかし大半は彼の本を読みもせずに「あの本は素晴らしい」と言ってくる輩なのだ。


そういう表だけの賛辞をバルツァーは嫌う。

なにせ、彼が題材としてよく扱う『レヴィル王』は、世評の『レヴィル王』と真逆なのだから。


レヴィル王とは、レーヴェンタール王国が建国する前に在った国の、最後の王だ。

彼は国庫を私欲で枯渇させ荒廃させた末に、攻め込んできたガンダル国軍に首を獲られた愚王と世の中に知られている。


だからバルツァーの本をきちんと読み込んだ者は、彼へ困った顔を見せる。

歴史の大家(バルツァー)歴史上の人物(レヴィル王)を甚だしく脚色しているように映るのだろう。


しかし、世界がレヴィルを誤解しているのだ。

だって彼は───。


歴史の深淵を追うバルツァーだから細かな齟齬を見つけ、ほどいて紡ぎ辿り着く真実。

しかしバルツァーひとりが叫んでも周知の虚実を覆せはしない。

だがバルツァーは彼のためにいくらでも本を作ると決めている。


「彼は隠された賢王かもしれませんね」


手袋をはめた手で本の背帯に僅かに触れて何気なく男はつぶやく。

それを拾ったバルツァーは鋭い眼光を男へ飛ばした。


「軽々しい言葉をぬかすな」


彼にしては感情的な、棘のある声音に男は顔をあげ、首をバルツァーへ向けた。


「・・・お茶をお入れしましょうか?疲れたときは甘いものが効きます」


手籠を持ち部屋の中央に置かれた茶器の元へ向かう。

床の魔方陣が多少の湿気でも調えるので、書籍に届かない場所ならば飲料を許されていた。


「菓子はいらぬ」


「私は両方いただきます」


手袋を外して、ちゃっかり二人分茶を支度した男は、バルツァーの茶器をささっと置くと遠慮なくガリガリ菓子を頬張った。

音は固そうで屑の落ちそうな具合だが、男の手元や太股回りに欠片ひとつこぼれていない。

大きめな一枚を咀嚼し、くいっと茶で喉の奥に流し込んだ。


「この菓子は、国立図書館で見付けた古い料理本に載っていたんですよ。料理本というか調理法を記した個人的なものですか。その中でこの菓子の今は食用に使われていない材料に興味を引かれまして。あと、著者の料理人がまたおもしろいんですよ。この時代には珍しく南国からの移民で、高貴な人物に仕えていたようなんです」


バルツァーが眉間にシワを寄せていても男のひとり雑談は止まらない。


「半分日記になっていて、日常のことから主人への愚痴とか好き嫌いとかいろいろと書かれてるんです。この菓子はその主人の好物だったようなんですよ。噛み締めるとほのかに甘味を感じるだけで・・・まあ、甘くないですね。お試しになりますか?」


「いらぬ」


バルツァーは料理に興味はない。

もちろん、菓子も同じ。

用意されたら口にする。

気にするのは体に毒かどうかだけだ。


男の不可解な会話を怪訝に思いながらも、バルツァーは彼に訊いてみたいことを優先した。


「其方はレヴィル王をどうみた?」


男ならば、バルツァーの本をあらかた読んでいるだけでなく、その他の読了した書籍も数知れない。

それは男の書いた濃い論文から判ることだ。

だからバルツァーは男のあんな簡素ではない言葉が聞きたかった。


またきょとりとした男は飲食していた席を立つと、天井までそびえる本棚近くに置かれた読書用の優雅な椅子へ腰をおろした。


どっしりと背中を預け、腹の前で手を組む。

灯りの加減で顔に影が差し目の光だけがやけにぎらりとしている。


睨んでいるのではない、見据えられている。


バルツァーは男の雰囲気が変わったことを感じた。

椅子に身を置いた途端、男の周囲が重く、張り詰めた空気に包まれたのだ。


「バルツァーよ、賢王とは如何なる者だ」


低くよく通る声は圧を含み、有無を言わせない何かがあった。

バルツァーはびりりと背筋が震えた。

芯のある瞳が暗がりから彼を射抜く。


「そうよの、訊くまでもない。

国を繁栄に導く者。

戦いに負けぬ者。

それとも平穏を永く続ける者か。


────国を滅ぼす我は当て嵌まらぬな」


光る瞳は細められ、くくく、と喉奥で笑う音がした。

バルツァーは息を呑んだ。


あそこに座るのはバルツァーの知る男ではない。


雰囲気が全く異なるのだ。

高圧的であり、知的。

気品すら感じる。


何者かが居て、その何者かを知っているような気がしてならないのだ。

目が離せなかった。


「しかし、ガンダルに我が国はやらぬ。

────我が首が欲しいというならくれてやるぞ。


だかな、やるのは我が首だけだ。民はやらぬ。

国土は踏みにじられようとも、我が民は挫けぬ。

我等の根の強さを思い知るのは奴等の方よ。


・・・バルツァーよ、好機を捉えて再び国を興すのだ。

国庫は(はした)金だけ残しあとは有志にばらまけ」


後を任せたぞ、バルツァー。


バルツァーは口元の動きを読んだ。

読めるくらい凝視していたのだ。


「────レヴィル、王陛下・・・っ」


思わず椅子を鳴らして立ち上がった。

調べに調べて、か細い軌跡を辿って見えてきたそのままの彼の人物がそこに居た。

バルツァーの視界が霞む。


今は名すら消された小国の、最後の王は。


当時大国ガンダルの侵略に遭ったのだ。


まともに戦えば被害は甚大で、降伏しても根こそぎ略奪に遭うのが目に見える。

どうにもならない国力の差があった。


小国は少ない軍をいくつも配置し退かせつつ交代で大軍を王城へ引き付けた。

そして粘ったくせにあっさりと王城への突入を許し、レヴィル王は玉座で首を討たれた。


国庫を納める倉庫はほぼ空で、国を支えた者達もほんの数名が残るのみ。

それらは城門で最小の自軍と共に大軍に抗い討ち死にした。

また王妃は王の隣で自死していた。

しかし、王の子を含め王族は所在不明。

小国の多数の軍も行方をくらませた。


ガンダルはその後、各地で起きるゲリラ戦に悩まされる。

小国の民はガンダルに従順でいて、その根底に祖国への思いを燻らせていた。

またガンダルが肥大化するのを恐れた周辺諸国が点在する反抗軍に援助していたようだ。

ついに小国の王城奪還に成功した反抗軍は切望していた国の再建を果たした。


ガンダルとの取り決めで元の国名を使えなかったが、代わりに亡き王を感じさせる名を立てた。


レーヴェンタール、と。


公式には反抗軍を率いた大将軍が新たな王となったとある。

しかしバルツァーの調べでは、王となったのは小国の王族の生き残りではないかとみている。


その後もガンダルとレーヴェンタールは小競り合いを続ける。

レーヴェンタールは徐々に国域を広げるが、争いの中でいつしか小国の名は消され、またその歴史を改竄された。


国を獲れなかったガンダルの腹いせだとバルツァーはにらんでいる。


「陛下っ、・・・・」


己の命までも囮にし大国を欺いた小国の王。

繋いだはずの国の名は消され、名誉も墜とされた。

真実を知るのは今やこの老輩だけではなかろうか────。


バルツァーの抱えるいくつもの思いは、言葉にならなかった。


長い長い沈黙ののち、暗がりからゆらりと立ち上がったのは、申し訳なさそうに頭を掻く男で。


「私の答えは、合ってますか」


と、遠慮がちだが背筋を伸ばして。

彼はひとつ、まばたきをした。





何事もなく、バルツァーは座り茶を口に運ぶ。

冷たくなった茶を。


「その、料理人か」


バルツァーの単語を男は正しく受け取る。


「はい。陛下の抱える料理人でした」


「何故分かる?根拠は?」


「記された内容もですが、冊子の背帯の紋様に略紋が隠されていたのが決定的ですね」


バルツァーと男の目があった。


「先生の著書にありましたよね?レヴィル王の略紋を新たに発見したと解説されたものが」


一年と少し前に、確かにバルツァーはそういった本を出していた。

しかしその本を渡し読ませた記憶はない。


────本の整頓を申し出てきたときか、と時期が符合しバルツァーは合点がいった。

だがじっくり読む間は無かったはずなのにと戦慄を覚える。


「略紋が新しい発見ですから、まだ隠れたこういう(・・・・)古書があるかもしれませんね。私が読んだ本は司書の方がたまたま見せて下さった物で、普段は地下の古文書部屋にあるそうです」


すっくとバルツァーは立ち上がる。


「あ、図書館は本の集中修繕期間に入るそうでしばらく休館ですよ」


ぴく、とバルツァーの肩が揺れた。

男はまたガリガリ菓子を口に入れた。


「・・・っ、その菓子!」


バルツァーがやや目を見開いた。


料理人の主が好んだ菓子。

()が。


「レヴィル王はなんでこんな素朴な焼き菓子が好きだったんでしょうねー。あ、練り込んであるのは私の領地に群生してる草なんですよ。アレが食べられるなんてびっくりです」


いらぬと言った手前、やっぱり食べたいとは言えないバルツァーは、見て分かるくらいぷるぷると肩を揺らしていた。


恋い焦がれるに近い想いを持って追い求めたレヴィル王の好んだ菓子。

ごつごつして茶色い粒々のついた塊がとてつもなく特別な物に見える。


バルツァーの熱い視線は焼き菓子に注がれていた。


「たくさん焼いてしまったので、先生も消費をお手伝いしていただけませんか?」


「・・・・・・承ろう」


視線は菓子から外さないくせに、それは勿体振った返事であった。


男はほくそ笑むのを堪えて「実は先生にお願いしたいことがあります」と、紙束を手籠の底から取り出したのだった。






男が置いていった菓子を、ひとり食べるバルツァー。

レヴィル王と同じ時を生きていたなら、よい主従になりそうです。

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