学園一年目⑧
こんにちは。
明日は七草粥を食べます。
宜しくお願いします。
ベルノルトがその場所を通りかかったのは、たまたまで。
男がもたらした未知を知に変える種を速やかに芽吹かせんと、研究に必要な資料を揃えるため彼はめんどくさい書類を数日かけて書き上げて勇んで国立研究棟へ行った帰り。
教員の部屋や研究室は、中庭の向こう側にある。
普段は中の廊下を通るが、気が昂って落ち着かないので中庭を歩くことにした。
すると学園の有名人エレオノーラと誰かが中庭に接する渡り廊下で話をしている。
エレオノーラは気を許した相手としか話をしない、と評判だ。
無粋な輩は扇か言葉で、清々しいくらいピシャリとやられるのだ。
だから、「小気味良い現場が見られそうだ!」といそいそ高みの見物しにいったら。
話し相手が、物陰から突然現れた者に殴打されて崩れ落ちた───。
とっさにベルノルトの体が動いた。
昔鍛練したっきりのなまくらだが覚えているものだな、と自身が感心するくらい。
倒れた相手にさらに追撃しようとする者の脇腹を蹴った。
怯んだ隙に右手をとり、膝を腰に当てながら後ろから顔を抱えるように手を回す。
あとはしなやかに体を使い、首ごと頭を後ろに引き下げ襲撃者の体を地面に倒した。
そのまま無法者の胸に乗り上げて、ベルノルトは膝に体重をかけて関節や肺を圧迫する。
呻く者に容赦などしない。
職員がすぐにくるだろうからこのままだ、と彼は鼻で息を切る。
「エレオノーラ君は、無事だね?この暴漢は・・・」
真っ青になって座り込み、後頭部を殴られ倒れた話し相手の顔に手を触れるエレオノーラ。
彼女を仰ぎ見たとき、ベルノルトもまた血の気が引いた。
倒れていたのは、よりにもよって、ベルノルトのよく知る人物だったから。
なんだか小動物の鳴く声がする───。
目覚めた男は、身動ぎしたときに響いた首の痛みに顔をしかめた。
頭もずきずきする。
今の自分はどういう状況なのか、少しでも情報を得ないと。
自分は殴られ失神したのだ。
その後どうなったのか。
男は焦る気持ちを抑え込んだ。
目だけを動かし現状を探る。
エレオノーラは無事なのか。
誰が男を襲撃したのか。
男は学園貴族に恨みを買うような知名度は皆無。
知り合いもいない。
さらに今の姿の男を知るものは誰一人いないはず。
襲われる理由はエレオノーラ絡みだろう。
男は白いベッドに寝ている。
白い天井、淡い緑のカーテンがベッドの周りを囲む。
拘束はされていない。
何より男はこの部屋に見覚えがあった。
学園の医務室だ。
グンターの手伝いで備品を運んだことがある。
すぐ横には椅子を並べ足を組んで座るひと。
一瞬、見張りかと男の体が強張った。
男の動く気配を感じたのか、そのひとは足をおろす。
長い裾の衣擦れがしゃらしゃらと、石のすれる音を立てた。
そして身を乗り出して臥せる顔を覗き込んでいる。
「起きたかね?」
「ベルノルト先生・・・」
バチッと片目をつぶり、ベルノルトは口パクで男の名前を呼んだ。
本当の名前を。
「・・・良くお分かりで」
いつもの男のように皮肉な笑いをした。
が、思ったより弱々しい笑みになっていたらしい。
ベルノルトは眉を下げて少し泣きそうな顔をしていた。
「君は君だ。どんな姿でもね!」
でも髪型が崩れて初めて分かったんだ、とおどけて付け足すのが彼らしい。
男は口のはしを曲げて応えた。
「それで、エレオノーラ様は無事ですか?何が起きてどうなったんですか」
ちょっと困ったような迷うような、顎を触りながら逡巡の後、ベルノルトは切り出した。
「君の方が上手くまとめられるかな」
ベルノルトの様子から差し迫った事態ではないと理解した男は、痛むいろいろを我慢してまず上半身を起こす。
頭や首にひんやりした布をあて、包帯が巻かれていた。
幸い打撲と打ち身で済んだらしい。
「なんですか」
「彼女は君の秘密の友達だろう?」
男はベルノルトを二度見して、走り抜ける首の痛みに悶えた。
包帯に苦戦しながら髪を軽く整え直す(アデリナの恐怖研修が早速活きた!)
次に枕元に置かれた飾り眼鏡を鼻に乗せて。
そして男はカーテンを開いて────────目を丸くした。
「伏せっ!伏せなさい!!」
「姫っ、ですが」
「お黙りなさい!この駄犬っ!」
「しかし、奴は姫に無体を───」
「まだ言うの?!他愛のない話をしていただけではないの!膝をつくことは許しませんっ。伏せ!!」
顔を怒りで染めて仁王立ちに、床を指して扇を突きつけるエレオノーラと。
服の上からも分かる鍛え上げられた肉体の若者が両手両足を開いた腕立て伏せの、体を下げた状態で居た。
彼が己を襲った犯人か、と男は脳内で誰何する。
床の彼は以前から名が知られている。
エレオノーラをからかった筆頭にして、扇で叩かれた第一号。
武術系の講義を履修する学園生、伯爵家子息ブルーノ・カペル。
彼は彼らへ対等に物申したエレオノーラの勇姿に堕ちた。
「これぞ生涯仕える唯一無二の我が姫!」
とかなんとか騎士(まだ候補)道に目覚めて、付きまといを始めたのだ。
自称護衛だ。
「迷惑なのです!毎日毎日毎日毎日毎日、挨拶を交わしただけの相手を脅すだけでなく、今日は会話した相手に暴力をふるうなどと・・・」
「私は姫を守るために・・・!奴は姫に近付きすぎです!邪な思惑を抱えてるに違いありませんっ」
ブルーノは下げた体をキープしたまま顔を上げて器用に言い放っている。
ブレない筋肉と体幹が凄い。
一方のエレオノーラはうんざり感が体から漏れている。
「あなたの頭の中が一番邪なのではなくて?!」
小動物だと思ったのはエレオノーラの声だったらしい。
男は、己が倒れてここに運び込まれてからずっとこうだったのか?と呆気に取られた。
怒りすぎてエレオノーラの声が高くなっている。
これじゃあ威圧にならないな、可愛らしいだけだ。と、男はぽりぽり頭を掻く。
こほん、と咳払いして「お話し中、失礼」と割り込んだ。
はっ、と男を見たエレオノーラの顔に安堵が走る。
直ぐに怒りの表情に戻ったが、彼女の目が男に物言いたげだ。
「医務官の話では大丈夫とのことですが、体に違和感はありませんか?」
「はい。気にかけていただきありがとうございます。レーヴェンタールの挨拶はいささか熱烈ですね」
然り気無く床のブルーノに背を向けてエレオノーラに悪戯っぽく笑いかけた。
一瞬虚をつかれた彼女は、扇で口元を隠してむくれている。
話を合わせろ、という男の意図が通じたらしい。
不服なようだが。
「姫に馴れ馴れしく話しかけるなッ!分を弁えろ!」
ブルーノはブレずに吠え立てた。
「・・・申し訳ありません。コレはあなた様に無礼を働いた者です。反省を促しているのですがこの有り様ですわ。罰は如何様にも」
視線を明後日の方角に逸らして、エレオノーラは疲れた息をついた。
「エレオノーラ様が謝ることではないでしょう」
「そうだ!貴様が悪いのだ!」
即噛みついてくるブルーノに半笑いで体を向けた男は「カペル伯爵のご子息、ブルーノ様。初めまして、アンニョロ・アッポンダンツァと申します」と深々と頭を下げた。
ブルーノは姿勢を保ったまま歯を剥いて男を威嚇している。
己の名前が知られているということはどうでもいいらしい。
「私は廊下でエレオノーラ様と世間話をしておりました。その際、何か貴方様のお気に障ることをいたしましたか?」
「貴様!貴様が図書室で姫に付きまとっている奴だろう!目障りなのだ、今後は姫に近寄るなッ」
図書室の?────参考書を紹介している件が知れ渡っている?
反論しそうなエレオノーラを手で制して、男はとぼけた顔で首をひねる。
「図書室ですか?エレオノーラ様と語らえるならどの場所でも宜しいですが────それは本当に私で?」
男とアンニョロは同一だが、風体は。
「私を愚弄する気か!あんな時間まで姫と共に学園に居残り、手入れされていないぼさぼさ髪と貧相な服の・・・・ん?」
言っていて違和感を覚えたブルーノは、居ると初めて気づいたようにアンニョロを凝視した。
整った髪に嫌味のない飾り眼鏡、体に合わせて仕立てられたのであろう服は今流行りのもの。
それもセンスよく纏められ、姿勢よい男に良く似合っていた。
いわゆる貴族の模範的装い。
聞いた寝癖もないしボロ服でもない。
「誰だ貴様ッ!」
「アンニョロ・アッポンダンツァ様はエバー国の貴族ですわ。レーヴェンタールに遊学に来られています」
「アンニョロ君は優秀だよ?」
「・・・、以後お見知りおきを」
いつの間にか男の後ろに来て会話に加わるベルノルトは訳知り顔でうんうん頷いている。
流れるような三人による再度の紹介を、ブルーノはぽかんと見上げていた。
エレオノーラ「まだアンニョロで通しますか」
男「やっぱりもうちょっと派手な名前が良かったですねー」
エレオノーラ「え?」
男「え?」




