線路
満月には一つ物足りない夕暮れ後。私はA駅のホームに立っていた。
暫く遠くまで出掛けていて、今やっと帰路につく所だ。それまでも移動ばかりで精神的にも若干疲れているが、車酔いよりは多少マシだからひたすらに我慢だ。
私がホームに立った時、特急電車が来るとのアナウンスがあった。その30秒後に一本の電車が通過する。かなりのスピードが出ていたため風が強く、ほんの一瞬の間は息が出来なかった。完全に通過した直後は、突風と虚しさだけを残していった。
ホームに立って約7分後、目的の電車が到着した。こんな日曜の夜なのに、席が埋まっているほどの乗客がいたのは驚いた。ローカル線であっても、利用する人はこんなにもいたのか、と改めて感じた。
さて、電車に乗り込むとドアが閉まり、ゆっくりとホームから離れていく。ここから2時間ほどの列車の旅だ。とは言っても、旅は先ほどまで散々してきたし、外は完全に暗くなった訳で、最早、電車の揺れに耐える旅になるだろう。
駅を出発した直後は、まだ街の灯りが見えていたが、ものの数分もすればただ漆黒の闇に数えるほどの星の灯りのみとなった。流石は田舎だ、暗さの度合いが違う。一体どこを走っているのかさっぱりだ。二駅も過ぎたあたりから、見た限りだと無人駅かほとんどになっていた。それでも駅の周辺には家々が建ち、田舎ならではの不便な環境を指し示していた。それでも、人々は乗り降りを繰り返している。
ある駅に着いたとき、たまたま行き先が逆方向の電車が目の前に到着した。その電車の中は、こちらとは違って乗客はまばらだった。当然の事だが、私が乗ったA駅は田舎と言えど街の中心地だ、こちらの乗客は必然と多くなり、あちらは少なくなる。
しばらくすると、一際明るいS駅へ着く。どうやらこの辺りは人口の多い街なのだろう。この駅を過ぎると乗客は一気に減った。その乗客も寝ているか、スマートフォンやタブレットをいじっている人に分けられる。今どきのよく見られる光景だ。そんな中でも、駅のホームを見るのが、意外と面白かったりする。停車駅の半分はホームと電車の床との高さが合っておらず、場所によってはホームに雑草が生えていたりする。それだけ長い間使われているということなのだろう。
1時間と15分後、最初の乗り換え駅であるO駅に到着した。様々な路線が入り乱れるこの駅は、それ故に大きな駅となっている。そのためか、周辺の建物は比較的大きいものが多い。10分もすれば乗り換えの電車が到着し、私はそれに乗り込んだ。このローカル線は回りに住宅街やマンションがあるものの、先のローカル線と同様な雰囲気がした。
個人的に電車の旅というものは、走行時のモーター音とその揺れだと思う。全速力で駅間を走る姿は、まさに人を運ぶ動脈だ。その動脈を支える線路と車輪の振動が足の裏に伝わる。車内に目を向ければ、今まさにカーブに差し掛かっているが、まるで無限回廊の中にいる感覚には、何かノスタルジーな印象が残る。これが私なりの電車での旅だと思うのだ。
やっと二つ目の乗り換え駅のK駅に到着した。この駅では私鉄への乗り換えのため、一回改札を出て乗り換えなければいけない。とは言っても、このくらいは普通のことだ。乗り換えのホームに降りると、意外と人はいなかった。こちらの電車は他と比べて乗客がいないのはおかしいとは思ったが、まぁ夜も更けているから、人の少なさは特に問題ないだろう。そこそこ荷物のある私にとって、席に余裕があるのは非常にありがたい話だ。この電車に乗ってしまえば、あと10分もしないうちに目的地だ。
K駅を出発すると、住宅街の中を走っているようなのだが、やたらと暗かった。街灯以外の明かりが見えない。不安になるような闇。そんな雰囲気だった。私自身、乗る電車を間違えたかと思ってしまった。しかしよく考えてみれば、いつもこのくらいだったかもしれないと思い始めた。どちらにせよ、あと少しで私は家に帰ることができるのだ。気にするものでもない。
そして目的の駅、T駅に到着した。合計して2時間と8分の旅だった。大きな手荷物を背負うと目の前のドアが開く。私はホームに降り立った。私以外に降りたのは、2人だけだった。それ以外の人間は駅員も含め、誰も居なかった。しかし私はそれを気にする事はなかった。いち早く帰ろうと改札に向かう足は、自然と早くなる。階段を上がった私は、胸ポケットに入れていたICカードを取り出し、改札にかざす。その一瞬、ほんの一瞬だが後ろを振り向いた私は、一緒に降りた2人が何か伝えたそうな眼を私に向けているのを見た。何を言いたかったのかは定かではないが、私はその意味に気づかず、改札を通った…。
「…昨夜、S県のK駅で電車が脱線する事故がありました。この事故で会社員のMさん、フリーターのFさん、エンジニアのRさんが死亡、重軽傷者は数十人に上っています。また構内のホームが損傷し、現在K駅とH駅の間で運転の見合わせが続いています。またK駅とW駅の間でも本数を減らして運行を行うとのことです」