sweet 9
「そんなことが、あったんですね」
智奈美の話を一通り聞いた後、唯香はふと、ある疑問を抱いた。
「でも、最近はまた、立川さん来ていただけるようになったんですよね。それは、どうしてなんでしょうか」
すると智奈美は笑って答えた。
「それは、唯ちゃんのお陰だと思うわよ」
「私、ですか?」
立川に初めて会ったのは直売所なのに、唯香のお陰とはどういうことなのか。
唯香が分からずにいると、智奈美は言った。
「唯ちゃんが直売係になってから、立川さんが初めて来る、少し前に副社長が直売所に来たでしょう。日高さんのことがあったから、あの人も今度は大丈夫なのか、気にはしていたみたいなのよ。でも、唯ちゃんは入社以来、いつも一生懸命やってくれてたし、副社長にも今度は大丈夫だからって伝えてたの。副社長も何度かお客として直売所に来て、大丈夫だと思って、立川さんにも大丈夫とか何とか言ったんじゃないかしら」
「……考えすぎじゃないですか?」
唯香が信じられずに言うと、智奈美は
「まぁ、立川さんや副社長に確認した訳じゃないし、私の想像だけどね。日高さんが異動になったことは知らされていたと思うし、時間が経ったから、偶然来てみただけなのかもしれない。元々甘い物は大好きな人だから」
と答えた。
「でもね、立川さんは、唯ちゃんのことは多分気に入っていると思うのよ。日高さんのいた頃は、とにかく直売所で小説の話が出る度に嫌な顔をしてた。今は、自然に話してるし、笑ってるもの。日高さんと立川さんが付き合うなんて想像出来ないけど、相手が唯ちゃんなら、上手く行くと思うし、応援するのになぁ、私」
最後は茶化すように言われて、唯香は真っ赤になった。
「突然何を言うんですか!私と立川さんはただのお客様と直売所の従業員です!歳も大分違いますし、全然そんな対象じゃないですよ!」
智奈美はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。
そんなんじゃない、と唯香は思った。
でも、日高が立川に振られたのだと知って、ホッとしたのは何故だっただろう。
智奈美に立川は自分を気に入っていると思うと言われて、嬉しく思ったのは?
「唯ちゃん、シフォンケーキね、小さなサイズを試験的に販売することになったんだよ」
その数日後、パートの吉田がいつもと同じように納品にやって来て、唯香に教えてくれた。
「唯ちゃんじゃないけど、少し小さなサイズがあった方が買いやすいって意見がほかのお客様からもあったみたいで。今までのサイズの評判もいいみたいだし、ミニサイズを試験販売してみて、評判が良かったら正式販売になるかもって。これなら、唯ちゃんも買いやすいんじゃない?」
「そうですね……」
ミニサイズのシフォンケーキは全体的に通常サイズより一回り小さなサイズで、2、3人でも食べられそうな大きさだった。
唯香は、自分でも買いやすいかもしれないと思ったのと同時に、立川もシフォンケーキを気にしていたことを思い出した。
立川も、このことを知ったら、買って食べてみたいと思うのではないか。
そう考えてから、唯香はふるふると頭を振って、その考えを打ち消そうとした。
智奈美と夕食を食べに出掛け、立川とのことを茶化されてから、何だか立川のことばかりを考えてしまっている。
このままでは、今度立川が直売所に来た時には、変に意識してしまいそうだ。
すると、珍しく立川が何日か直売所に来ない日が続いた。
今会ったら意識してしまって困ると思っていたのに、今度はなかなか会えないと、それはそれで気になってしまう。
立川が直売所に来なくなってついに2週間が経過したある日、唯香は意を決して直売所でミニサイズのシフォンケーキを購入すると、会社帰りに立川の家へと自転車を走らせた。
迷惑がられるかもしれない、と思うと不安だけれど、嫌な顔をされたらケーキを置いてすぐに帰ろう。
ああでも、これをきっかけに直売所に来てくれなくなったら嫌だなぁ。
色んな考えが頭の中を巡ったが、もう、それ以外の選択肢を見付けられなかった。
立川の家の側まで来た時、唯香は家の方から何やら言い争う声が聞こえて来るのに気付いた。
そして、その声の主が立川と、あの日高であるとわかると、唯香は慌てて自転車を降り、立川の家へと走った。
「立川さん、私、まだあなたのことが好きなんです。私に何か駄目なところがあるんなら言って下さい。何だってしますから……!」
立川の家の玄関先で、日高は涙を流しながら、立川に懇願していた。
「……僕は、あなたとはお付き合いできないと言ったはずだよ。今になって何故ここに来たのかは知らないけど……とにかく、気持ちには答えられない。悪いけど、帰ってくれないか」
立川は、苦い顔ではっきりと言った。
緊迫した状況に、唯香は慌てて2人の近くまで入って来たものの、声を掛けられずにいた。
けれどそのうち、立川が唯香に気付き、続いて日高も気付いてしまった。
「君、どうして……」
信じられないという表情になって、立川が呟いた。
「あの……私、立川さんに渡したいものが……あって」
最悪だ、と唯香は思った。
最悪のタイミングで来てしまった。
やっぱり、突然訪ねて行こうなんてするべきじゃなかったんだ。
「そういうこと……なんですか?」
日高は、唯香が立川と約束があったと思ったようだった。
「やっぱり、あの子と付き合ってるんですか?何で?私よりもあんな子がいいんですか?あの子なんかより、絶対私の方が立川さんのこと分かってます。ずっとファンだったんです。両親が離婚した私には、立川さんの小説がずっと支えでした。私ならあなたのことを、ずっと支えてあげられる」
日高は時折唯香を睨み付けながら、大声でまくし立てるように言った。
立川は眉間に皺を寄せ、厳しい表情でそれを見ていたが、最後に口を開くと言った。
「日高さん、あなたが見ているのは、僕じゃない。小説家、立川穂高の虚像だよ。……僕個人じゃなく、僕の書いた小説から得た僕のイメージや僕のプロフィールから理想像を作り出して、それに恋をしていただけだ。僕を本当に見ていた訳じゃない。……本当はね」
立川がそんな反論をするとは思っていなかったのだろう。
日高は目を見開き、その場に座り込んだ。
そして、それから立川が続けた言葉に、唯香は言葉を失った。
「彼女は、君とは違う。彼女は僕のことを最初は知らなかったけど、出会ってから自分で僕の本を買って、『夕日』以外の作品を評価してくれた。家族が会社を経営していることを知ると目の色を変える人もたくさん見て来たけど、それを知っても態度を変えなかった。お店で彼女の姿を見て、明るく笑顔で接客されると、元気が出た。……でも、勘違いしないでくれ、これは僕の片思いだ。だけど、そういう訳だから、日高さんの気持ちに答えるつもりはない。……帰ってくれ」