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sweet 8

 智奈美が唯香に夕食を食べに行こうと誘ったのは、その翌日のことだった。

 智奈美はいつもなら仕事が終わると子供を迎えに保育園に走って行くので、唯香を夕食に誘うということは、彼女の夫に子供の迎えを頼んだということだ。

 唯香は1度家に戻り、自転車を置いた後で、智奈美の車に乗せられ、2人で智奈美が時々家族で訪れるのだという和風創作料理店の、個室に入った。

 店に入っていくつかの料理を注文し、料理が運ばれてくるのを待っている間に、智奈美は話を切り出した。


「前に、何で立川さんがしばらく直売所に来なかったのかって唯香ちゃんが聞いた時、私は偶然じゃないかって言ったけど。さすがにそれを信じた訳じゃないでしょう?」

 智奈美は言った。

「はい」

 正直に唯香が答えると、智奈美は大きな溜め息をついた。


「……立川さんが直売所にしばらく来なかったのは、日高さんとのことがあったからよ」

 智奈美が言った時、唯香は、ああ、やっぱり、と思った。

 智奈美が日高に取った態度は、立川との問題が影響してのことだったのだろう。


 そうこうしているうちに、少しずつ料理が運ばれて来た。

 智奈美は、手際よく唯香に料理を取り分け、自らもそれを頬張りながら、日高と立川との間にあったことを話してくれた。


「直売係は副社長が数年前に始めた部署で、それまではここでは商品の販売はしていなくて、矢島製菓の商品が欲しい人は、うちが商品を卸しているお店に行って買ってもらうしかなかったの。副社長が直売係を新設して、工場の中に売り場を作って。私は元々本部の総務にいて、子供を産んで復帰するところだったけど、本部はその時人が足りていたし、副社長も私なら何かあっても言いやすいと思ったんでしょうね。こちらに入ってくれと言われたの。最初は私と係長だけで対応していたけど、もう1人、女の子を増やそうって話になって。新卒の子の中から、日高さんが直売係に選ばれたの」

「何で、日高さんだったんですか?」

 唯香は智奈美に尋ねた。

 日高と話したことは、昨日がほぼ初めてに近かったが、1度会っただけでも、威圧的な態度で、唯香には正直なところあまり接客向きとは思えなかった。

 唯香の考えが智奈美にも伝わったのかもしれない。

 智奈美は苦笑して答えた。


「副社長、採用の面接の時に、直売係に向いているかどうかを判断するために、事務の募集で来た女の子達みんなに、他の子と違う、新しい仕事をやってみたいかどうか聞いたんですって。で、一番反応のよかった日高さんに白羽の矢を立てたみたい。……まったく、見る目がないったら」

「日高さんは、直売係に配属されたのが不満だったって、以前智奈美さん仰ってましたよね」

 唯香が言うと、智奈美は頷いた。

 その頃のことを思い出しているのか、嫌そうな顔になって智奈美は続ける。


「そりゃ、副社長の手前、あの人がたまに様子を見に来ると、そりゃあ愛想よくしてたわよ。でも、私の前ではよく『智奈美さんよくこんな仕事で満足してますね』とか、『社員の自分にここで働かせるんじゃなく、アルバイトを雇えばいいじゃないか』とか、好き勝手言ってた。……アルバイトじゃなくわざわざ正社員の私達を抜擢して会社がこの部署を作った意図を少しは考えろっていつも思ってたわ。……まぁ、本部からはうちの部署がバカにされてることは、知ってるけどね」

 本部で働く同期からは、唯香も当初同情されたものだ。

 でも、唯香は今本部で働きたいとは思わなかったし、直売係の仕事に対する不満もなかった。

 直売係で来客と話をするのは好きだし、矢島製菓のお菓子も常時見ているので、商品にも詳しくなった。


「接客はちゃんとされてたんですか?」

 そんな人がちゃんと、直売係の1番の仕事である接客が出来ていたんだろうか。

 唯香が疑問に思って尋ねると、智奈美は、

「渋々ね。……だから、今はほとんど唯ちゃんに任せてるようなものだけど、その頃はあんまり酷いと敢えて私が応対したりして。副社長にも、さすがにストレートに文句は言わなかったけど、あの子は向いていないかもしれない、とは何度か言ったわ。係長は女の子にあまり文句は言いたくないみたいだったし、副社長にも何も言ってなかったみたいだから、向こうもあんまり深く考えてなかったと思うけど。……そんな時、立川さんがお店に来たの」


 唯香に、立川のことが好きだ、と日高は言った。

「日高さんと立川さんの間に、何があったんですか?」

 唯香が尋ねると、智奈美はあっさりと答えた。

「端的に言うと、日高さんが直売所にお客様として来た立川さんを一方的に好きになって、告白してフラれた、それだけよ」

「あ……っ、そうなんですか……なんだ」

 唯香は正直ホッとした。

 立川と日高が、恋人同士だったのだろうかと疑っていたのだ。


「日高さんは元々小説家、立川穂高のファンで、立川さんの顔を知っていたのよ。私が紹介する前に彼のことに気付いて、いつもなら積極的にお客様の応対なんてしないのに、立川さんが来た時だけは愛想よく出て行ったりして。立川さんも、最初のうちは当たり障りのないように話したりしてたみたいだけど、次第に彼女が休憩に入る時間を私に聞いて、彼女のいない時を狙って来たりして」

「何でですか?立川さん、ファンだった日高さんを避けるようなこと……」

 唯香は不思議に思って尋ねた。

 立川は唯香が彼の本を読んだことを伝えたら、わざわざ新しい本を貸してくれた。

 貸してくれた本を、唯香はまだ大事に、自分の部屋に置いている。

 穏やかな立川と気の強そうな日高は性格的には合わないかもしれないが、立川がファンを避けるようなことをするとは思えなかった。


「それは私も、立川さんに彼女が休憩中に直売所に来たいと言われた時に思ったわ。だから、彼に聞いてみたのよ。そうしたら彼、日高さんは本当に僕のファンなのか分からない、って答えたの」

「ファンなのか分からない、ですか?」

 唯香のように、立川と会うまで彼の名前も知らなかった人間にも優しくしてくれた彼が、紹介されなくても彼の顔を見ただけで彼が小説家の立川穂高だと気付いた日高のことをそんな風に言ったとは、唯香はにわかに信じられなかった。


 智奈美は、不意に唯香に尋ねた。

「立川さん、自分のデビュー作にコンプレックスがあるの、知ってた?」

 そう言えば、と唯香は思った。

 唯香が彼のデビュー作ではなく、比較的最近書かれた本を気に入ったと答えた時、立川は嬉しそうだった。


「立川さんのデビュー作が、発表当時も今も高く評価されているのは確かなのよ。でも、いつもデビュー作を褒められるから、立川さんはいつも、いつまで経ってもデビュー作を超えられないような気持ちでいるみたいなの。勿論、デビュー作だけが秀作なら、彼にそんなに仕事が来る訳がないと思うし、全然そんなことはないんだけどね。でも、日高さんはとにかくデビュー作の『夕日』が好きだったの」

 唯香は少し納得した。

 自分がコンプレックスだと思っているものを、ずっと話題に出されたら。

 その人と話をしたくないと思うかもしれない。


「日高さんも、段々避けられているのに気付いたんでしょうね。なかなか会えないことに痺れを切らして、いつの間にか知っていた立川さんの自宅に押しかけて、告白したそうよ。立川さんは勿論断って、それをきっかけにしばらく直売所に来なくなった。日高さんは余計に仕事に身が入らなくなって、私は副社長に全てを話して、彼女を本部に異動させたの」

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