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sweet 3

 副社長がバースデーケーキを購入して帰った数日後。

 いつものように仕事をしていた唯香は、直売所に入って来た客の姿を見て、凍り付いた。

 見慣れない男性だった。

 直売所に来る客は、ほとんどが近所に住む女性客。

 近所の奥様方だが、男性客もいない訳ではない。

 唯香が凍り付いたのは、それが見慣れない客だったからでも、男性だったからでもなく、彼が不審だったからだった。


 男性にしては長めの髪はボサボサに広がり、服装は上下黒ジャージの上にまさかの青いハンテン。

 眼鏡の下から覗く顔は、よく見るとそんなに歳がいっているようには見えないのに、情けなく背中を丸めて何やらブツブツと呟きながら商品を物色する姿は、正直不気味としか言いようがない。


「ち……智奈美さん、なんか変なお客樣なんですけど、こういう時はどうすればいいんでしょうか」

「変なお客様ぁ?」

 唯香が困惑しながら智奈美に相談すると、智奈美は直売所の方を睨み付けて唯香が言った客の姿を確認し、

「ああ、何だ」

 と明るい声で答えた。

「あの人は大丈夫大丈夫。久し振りなだけで、しばらく前まではよく来てた常連客だから」


「常連客さん……ですか?」

 先輩である智奈美の言葉を疑う訳ではないが、本当に大丈夫なんだろうか。

 唯香が緊張した面持ちで男性客の動きを目で追っていると、智奈美が立ち上がり、あろうことか男性客本人に声を掛けた。

立川たちかわさん、久し振りじゃない!」

 立川と呼ばれた男性客は、のそり、と気怠げな動きで顔を上げ、智奈美の姿を確認すると、

「ああ……久し振り、かな……。智奈美さんはいつも元気だね……」

 と言った。

「立川さんは今日も死にそうな顔ね」

 智奈美はころころと笑いながら答える。


「また、行き詰まってるの?」

「それはもう、この上なく深刻な状況だね………。今なら、ケーキがホールで食える気がする」

「ホールケーキは予約でしか扱ってないってば。あったとしても、1人でそんだけ食べたら胸焼けして余計に筆が進まなくなるわよ。可愛い彼女でも出来るまでは、ショートケーキにしときなさい。このケーキなんか、新作でオススメよ」

 明るい智奈美のペースで、ポンポンと交わされる会話を、唯香は信じられない気持ちで見守った。

 本当に立川という男性客と智奈美はお互い見知った間柄であるようだ。

 それどころか、直売所には常連客もそこそこいるが、智奈美がこんなにフランクに話す相手は、ほかにはいないような気さえする。

 それから、立川が話の流れからすると、全て1人で食べるつもりなのだろう数個のケーキを購入して帰って行くまで、唯香は2人の会話にまったく口を挟むことが出来なかった。


 立川が去った後で、唖然としている唯香に気付くと、智奈美は笑って言った。

「ごめんごめん。変なお客様ではあるよね。驚いた?」

「お客様にこんなこと言っちゃ駄目だとは思うんですけど……少し。すいません……あの……智奈美さんは、仲がいいように見えましたが……」

 唯香が正直に答えると、智奈美は

「うーんとね、知り合いの、知り合い?って言えばいいのかな。ちょっとって言うかかなり、世間からずれてはいるとは思うけど、一応素性を知ってるから」

 と、曖昧な言い方をした。


 まったくもって、どんな人なのか分からない。

 そもそも、平日のこんな時間に、直売所にケーキを大量に買いに来る男性客は、そうそういない。

「何をされてる方なんですか?」

 更に唯香が尋ねると、智奈美は言ってもいいのかなぁ……まぁいいか、と小さく呟いてから、

「小説家」

 と答えた。

立川穂高たちかわほだかって言うんだけど……唯ちゃん位の子は知らないかなぁ。十年位前にデビューした時には、そこそこ本の評判が良くて、地元の期待の星みたいに言われて、この辺の色んな本屋で結構本が平積みにされてたんだけどね」


 残念ながら、唯香は彼の名前に聞き覚えはなかった。

 が、彼の名前の綺麗な響きと、先程見た不審者のような姿とのギャップが、彼の初対面の印象として、唯香の心に強く残った。



 2度目の対面は、唯香にとって更に大きな衝撃だった。

 立川が来店して数日後、直売所に、今度はラフではあるけれどもさっぱりと清潔感のある格好をした男性客が訪れた。

 また初めてのお客様だと、唯香がそわそわと立ち上がると、同じく来店に気付いた智奈美から信じられない言葉が発せられたのだ。


「ああ、綺麗な立川さんだ」


「えっ……⁉︎立川さんって、まさかこの間のお客様ですか⁉︎」

 そんな筈がないだろう。どう見ても別人だ。

 嘘だと言って欲しいと願う唯香に、智奈美は、

「そう。この間の、小説家で青いハンテン着てた立川さん」

 と答え、先日と同じように彼に声を掛けると、今度は唯香を紹介した。


「立川さん、この間は聞いても覚えられなさそうだったから紹介しなかったんだけど、こちら、今年入社の辻谷唯香さん。唯ちゃん、こちらが、この間も話した通り、小説家で常連客の立川穂高さん」

 智奈美の言葉に続き、どうすればいいのか分からず戸惑う唯香より前に、先に反応したのは立川の方だった。

「ああ……そうか。この間はごめんね。立川です」

「……あっ、こちらこそご挨拶せずすいません。辻谷唯香です」

 年上の、先日はあんな出で立ちだったので気付かなかったけれど、整った容姿の男の人に頭を下げられ、唯香も慌ててぺこりと頭を下げる。

 今の立川……智奈美の言葉を借りるなら『綺麗な立川』は、先日はボサボサに伸びていた髪も短く、さっぱりと整えられており、無精髭も綺麗になっていた。

 背中もピンと伸びているし、にこやかに微笑む顔も爽やかで好印象で、この間の不審者のような様子は微塵もない。


「あの……甘いもの、お好きなんですね」

 唯香は何だかドキドキしてしまい、何か話して誤魔化そうと尋ねた。

 すると立川は、

「甘いものは好きだね。……でも、いつもこの間のような量を食べている訳じゃないよ」

 と答えた。

 それにしても、仕事に行き詰まっていた、という時の彼と今の彼は、本当に別人のようだ。

 唯香は改めて、立川という人は変わった人だと思った。



「いらっしゃいま……せ」

 智奈美曰く、綺麗な立川に挨拶をして少し経った頃。

 唯香は、また来客の姿を見て固まった。

 3度目の対面。

 今度は青いハンテン姿の立川が、フラフラと入って来る所だった。


 ……よりにもよって、私が1人の時に来なくてもいいのに。

 唯香は心の中で溜め息を吐いた。

 今日は係長は朝から本部の方で会議があるらしく不在で、智奈美は唯香と入れ替わりでお昼休憩に入ったところだった。


 つまり、今直売所にいるのは唯香と立川だけ。

 先日は智奈美が対応してくれたが、必然的に今回は唯香が接客しなければならない。

 綺麗な立川には挨拶をしたし、本当はちゃんとした人なのだと思うのだけれど……それでも、正直、この状態の立川には、やっぱり進んで接客したいとは思えなかった。


 駄目だ駄目だ。

 この人は、智奈美さんとも知り合いの、ちゃんとしたお客様なんだから。

 唯香は、意を決して立川の方を見た。

 立川は背中を丸め、屈むようにして店内に並ぶ商品を見て回っていた。

 初めて見た時と同じ、正直不審としか思えない姿だ。

 しかも、今回は前回よりも立川の顔色が悪いように、唯香は感じた。

 確か、前にこの状態の立川が来店した時、智奈美はまた仕事に行き詰まったのかと言っていた気がする。

 立川は小説家だという。

 その彼が仕事に行き詰まっているとなると……もしかすると、ちゃんと寝ていないのかも知れない。


 立川は何を買うのかを迷っている様子で、店内をグルグル回っていた。

 ただ、恐らく疲れているのだろう彼の足取りはフラフラと危なっかしい。

「……あの」

 唯香は思わず、立川に声を掛けていた。


「……少し、休んで行かれませんか?今、他にお客様もいらっしゃらないですし……インスタントですけど、コーヒーがありますから……その、お疲れみたいですし……」

 唯香はしどろもどろになりながら言った。

 直売所にイートインスペースはないが、包装などで客を待たせてしまう場合のために用意している椅子は数脚ある。

 インスタントコーヒーも来客用に用意があり、唯香が接客中に智奈美が出してくれることは何度かあった。

 唯香が自分から申し出たことは初めてだったが、今にも倒れそうな立川を見ていると、このまま帰してはいけないような気持ちになったのだ。

 立川は驚いた顔をしていたが、唯香に椅子を勧められると、

「じゃあ……お言葉に甘えて」

 と答えて、大人しく椅子に収まった。


 唯香が急いでコーヒーを入れて戻ると、立川は椅子に深く腰掛け、上を見上げて目を閉じていた。

 どうやら、相当疲れているようだ。


「……コーヒー入りました。何か、召し上がりますか?」

 控えめに唯香が声を掛けると、立川は目を開け、辺りを見回して、

「せっかくコーヒーを入れてもらったから……ショートケーキをもらってもいいかな。ごめん、お金は心配しなくても後で払うから……」

 と言った。


 普段直売所で購入した菓子を食べて行く客は想定していないので、ケーキ用の皿の用意がなかった。

 唯香はコーヒー用のソーサーを代用し、試食用に用意してあるプラスチック製のフォークを添えて立川にケーキを差し出した。

 立川は唯香からケーキを受け取ると、まずケーキを一口、次いでコーヒーを一口飲み、ふぅ、と大きな溜め息を吐いた。


「……ありがとう。甘い物が無性に食べたくなったから来たんだけど……コーヒーまで入れてもらえるとは思わなかった。……甘さが、身体に染みるね」

「疲れると甘い物が食べたくなるって言いますから……」

「……そうだねぇ……。頭も……疲れている、かな……ボンヤリしてしまって……ああ、本当に、甘さが染みる……」

 立川はゆっくりと味わうようにケーキを食べ進め、コーヒーを飲んだ。

 唯香は、その様子を静かに見守った。

 立川は仕事に疲れ、甘いお菓子に癒しを求めて来たのだろう。

 せっかくの休息時間。今はそっとして置いてあげた方がいいような気がした。


 最後の一口を食べ終わり、コーヒーを啜ると、立川は再度溜め息を吐き、唯香の方を見た。

「……本当にありがとう。仕事に行き詰まった時には、とにかく甘い物が欲しくなって、甘いお菓子を大量に買い込んで無理やり口の中に押し込んででもどうにかアイディアを絞りだそうとしていたけど……。当たり前だけど、こうして一息吐いて、ゆっくり味わう方がずっといいね。……帰ったら、仕事に前向きに向き合えそうだ」

 ハンテンにボサボサ頭のままではあるけれど、立川は直売所に入って来た時よりは、いくらか晴れやかな顔になったようだった。

「よかったです。……また、お仕事が終わったら、ゆっくりお買い物に来て下さい」

 唯香は、素直な気持ちで答えた。

 立川が入って来た時はさすがに身構えたけれど、噛みしめるようにケーキを食べる立川を見ていたら、やはり悪い人ではないんだなと思えて来た。

 立川は最初に言った通り、最後にちゃんとケーキの代金を支払うと、来た時よりは幾分しっかりした足取りで帰って行った。

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