4.いのち
鋭い牙と大きな爪、ギラつく瞳に滴る唾液。
エクスカリバーの鞘が保管されている隠し部屋に到着した私達を待ち構えていたのは、獰猛な狼の魔物、ブラッディーウルフ……のはずだったのだが。
「何も……居ない?」
私の記憶に間違いが無ければ、ここでブラッディーウルフとの戦闘イベントが起こるはずなのだが、ボス戦用のステージである広めの部屋の何処にも魔物は一匹も居ない。
やっぱり変だ。魔物が一匹も出て来ないし、ボス戦も発生しないなんて……!
一度電源を切ってやり直すべきだと思い、私はメニュー画面をイメージしてセーブ画面を開く。
VRゲームはこのように頭の中で思い浮かぶことによって、脳を使い操作が出来るのだ。
私はいつものように画面からログアウトを選ぼうとしたのだが、何度選択してもエラー音が鳴ってしまう。
試しにセーブも選んでみたがこれも同じで使えない。
VRマシンの故障なの? ていうか、このままじゃゲームを終われないじゃない!
焦った私は何度も同じ事を試してみたが結果は変わらず。
ふと気が付くとアーサーは鞘が入っている宝箱を見つけ出していた。
「おい虫女、この中に鞘が入ってんのか?」
「あ、はい。その中にあるはずです」
「ボケッとしてんじゃねえよウスノロが! ……ん?」
本来ならあの宝箱はボス戦終了後に見付かるものなのだが、そのボスが出現しない今の状況ではそれは関係無いらしい。
アーサーは急いで宝箱を開けたのだが、何やら様子がおかしかった。
「どうかしたのか、レオール」
「……ぇ」
「すまないが、もう一度言ってくれ。聞こえなかったのでな」
「……って、ねぇ……鞘が入ってねぇぞコラァァ!!」
「ひぅっ!」
怒りに任せて空っぽの宝箱を思い切り床に叩きつけたアーサーは、重い鎧の金属音を奏でながら私に近付いてきた。
「てめぇ……あの宝箱に鞘が入ってるっつったよなぁ! ああ!?」
「そ、そんなっ、何で!? こんなはずは……」
あり得ないはずなのに。
「おいレオール! リンカを怖がらせて何になる!」
今にも斬りかかってきそうな剣幕のアーサーの前に、マルクスさんが立ち塞がる。
それでもアーサーは容赦無くエクスカリバーを彼に向けた。
「退けマルクス! この俺を欺きやがったソイツを叩き斬ってやる!」
「止めるんだレオール! 彼女の助力が無ければ俺達の旅は成功しない! 剣を下ろせ!」
「ハッ!どうせその虫女が死んだところで、また次の虫が出て来るんだろ? どうしてもソイツを生かさなきゃならねぇ理由はねえぜ」
こんなイベント、〈ファンキス〉にあっただろうか。
原作、漫画、アニメ、更に小説の〈ファンキス〉でもこんなイベントは記憶に無い。
どうしてさっきからおかしな事ばかり起きてるの? まるで、私が知らない異世界に来てしまったかのような……
兎に角、今はこの状況をどうにかしないとまずい。
〈FANTASY OF SWEET KISS〉ではフレンドリーファイアが起きる。つまり、味方への誤射などによるダメージ判定がある。
〈ファンキス〉のパーティメンバーであり攻略対象であるアーサーとマルクスさん、そして私を含む5人の間では攻撃を誤って仲間に当てて殺してしまう場合があるのだ。
あらかじめセーブしておいたデータをロードし直せば無かった事に出来るが、万が一パーティに致命傷を負わせてしまうと一定時間内に蘇生魔法、もしくは蘇生アイテムなどで回復させなければ二度と蘇らないシステムなのだ。
このままアーサー達を放置しておくと、信頼度の低い彼らが戦闘を開始しフレンドリーファイアをしてしまう危険がある。
蘇生アイテムも無く、剣士のアーサーと攻撃魔法専門の魔導士マルクスさんしか居ないこの状況では、どちらかが倒れてしまった場合ほぼ確実に命を落としてしまうだろう。
それだけは何としても避けなければ!
「貴様という男は……その様に、命を粗末に扱うな! レオール、貴様はよく理解しているはずだ! 人の……あらゆるものの命の重みを!」
「ハッ……バカ言ってんじゃねえよ! 命の重みだと? ああ、よくわかってるよ……俺が産まれたせいで死んでいったヤツが大勢居た! だけどなぁ……ソイツらの命が消えた程度で、この世界には何の影響もねぇんだよ!」
「レオールッ……!」
(何、この会話……こんなの聴いた事が無い……)
「ソイツらの命は、俺の命より軽かった! だから死んだんだ! 命なんてのはな、所詮力ある者の前では脆く崩れ去るだけなんだよ!」
アーサーの叫びが部屋中に響き渡った。
そして、暫くの沈黙の後彼はエクスカリバーを構えて鋭い眼光を放った。
「……もう一度だけ言う。そこを退け」
「断ると言ったら、貴様は俺ごと彼女を斬るのか?」
「当たり前だろ」
二人から発せられる妙な気……これは殺気なのだろうか。
今まで様々な敵と戦ってきたが、身を貫かれるようなビリビリとした感覚は味わった事が無い。
現実でも、ゲームでもだ。
「さあ答えろマルクス! 退くのか! 退かないのか!?」
正に一触即発、といった緊迫した雰囲気に似付かわしくないクスクスとした笑い声が微かに聞こえた。
笑っているのはマルクスでも無い。アーサーでも無い。声のする方向は荷物や置物が並べられた高い棚の上だった。
異変に気付いた私達はすぐに目を向ける。するとそこには人間が座っていた。
「……っふふ、ぷふっ! あーもうだめぇ! ボクもう我慢出来なぁい!」
結構な高さがある棚の上から飛び降りた彼は見事床に着地し、散々笑いを堪えていたのか眼には涙が溜まっていた。
「……っ、何者だ!」
「あーもう傑作だねぇ! ボクこんなに笑ったの久し振りかもぉ~? ホントはキミ達を殺し合わせて赤髪のキミを生け捕りにしてお持ち帰りしなきゃいけなかったのに我慢出来なかったぁ……あーあ、イメラんに怒られちゃうよぅ」
ラベンダー色のふわふわの髪に眼鏡の奥の赤い眼と、スラリと背の高い常に笑った顔。そして特徴的な喋り方。
私には見覚えがあった。〈FANTASY OF SWEET KISS〉でワースト3に入る不人気キャラクターで、ごく一部のプレイヤーから異常に愛されているという彼。
「ナス野郎、ソナタ……!」




