4.サイリファの朝
このアスタガイアという世界が、私にとってまだゲームの中の存在だった頃。
毎日時間を作って〈ファンキス〉をプレイして、アーサー達のレベルを上げて色んなイベントをクリアして、とにかく楽しい日々を過ごしていた。
それがある日突然セーブデータが消えてしまって、私はとてもショックを受けた。
心に傷は残っていたけど、私はどうしても彼らともう一度旅がしたくてたまらなかった。
新しいセーブデータの彼らは、私が二百六十五時間を共にした「彼ら」ではないと知りながら──
──そして私は、聖霊になった。
イメージすればいつもみたいにメニュー画面が開く。マップも見える。ステータスだって確認出来る。
だけど、いつも出来たはずなのに出来ないこともあった。
プレイデータのセーブに、ゲームからのログアウト。そして、アーサー達の信頼度と恋愛値の目視だ。
他にもおかしなことは沢山あった。
あるはずのイベントが消えたり、出現しないはずのキャラが突然襲ってきたことも。
私が知らない会話だって発生したし、何よりこの世界がおかしいと思ったことがある。
マルクスさんが放った炎の魔法が、相手の髪や衣服を焦がした。ゲームではこんな演出はなかったのに、まるで〈ファンキス〉が現実にでもなったかのようだった。
そして今朝、アーサーとマルクスさんは不思議な夢を見たと言っていた。
あの二百六十五時間の、私達がゲームだったこの世界で旅していた頃の夢。
二人はそれを切っ掛けに、全てを思い出したのだ──
サイリファの宿屋を出ると、何故だか今日は人通りが多いように感じた。
「何だ? 朝からやけに賑やかじゃねぇか」
何かあったのかな?
ひとまず私はこの街のマップを脳裏で開いてみる。
すると、宿屋から出てしばらく大通りをまっすぐ進んだあたりにマーカーが大量に集まっていた。
マーカーの色は緑。NPC──多分この街の人達がどこかに集中しているんだと思う。
前にここに来た時は、ほとんど街を見て回らないままデータが消えちゃったからね。マーカーが大集合しているこの開けたエリアには、何があるんだろう。
「気配を辿ってみたら、この街のほぼ全員が同じ場所に集まってるみたいなの。理由まではわからないけど……」
「朝市か何かでしょうか?」
ルフレンくんが首を傾げて言う。
「それにしては人々の顔が妙に明るいな。それ程までに買い物が楽しみだという事ではなさそうだが」
マルクスさんの言う通り、私達の目の前を横切っていく老若男女の群れは、誰もが何かに胸を踊らせている様子だった。
人が大勢集まるなら、先代勇者について何か知っている人が居るかもしれない。マルクスさんがそう言うと、アーサーを先頭に私達も人々の流れに混ざって進む。
大通りを北へ歩いて行くと、途中で大きな建物が見えてきた。
白い壁によく映える群青色の屋根を、細かな模様が彫られた何本もの太い柱で支えている。
その建物の前は大きな広場のようになっていて、この人混みだと参拝客で賑わう初詣さながらの密集具合に感じる。この広場で何かがあるんだね。
「すげぇ混んでんな……」
「先生、僕……前が全然見えません……!」
「ティジェロの背丈では埋れてしまうのも無理はないな」
「ルフレンくん、はぐれないように気を付けてね」
「は、はい……」
まあ、万が一はぐれても青マーカーを探せばすぐ見付けられるけどね。
ルフレンくんが周りの人に流されかけていて、私とマルクスさんが彼を気に掛けながら広場の奥へと進んでいく。
アーサーは何も気にせず進んでいて、もういつも通りすぎて怒る気力も出て来ない。
四人で建物の近くまで行くと、列の手前に簡易ステージらしきものが見えた。そこで人々の移動も落ち着いてきて、私達も丁度良い場所をキープする。
あそこで誰かがスピーチでもするのかな? 有名人が来るっていうんだったら、この混雑にも納得しちゃうよね。
しばらくして、建物の中から人が出て来た。
いかにも偉い雰囲気のおじさん達と、その護衛らしき槍を持った人達。その中の小太りのおじさんがステージに立った。
『……えー、サイリファの皆さん。おはようございます』
わっ、声大きい! ていうか、話す声が拡声器を通したみたいに聴こえてるよ!
「拡声魔法だ。民衆への演説などでよく用いられる魔法だ」
小声でそう説明してくれたマルクスさん。
拡声魔法か。そんな魔法もあるんだね。私も練習したら使えるようになるのかな?
『ご存知の方も多いでしょうが、改めましてご挨拶を。私は水の神ウォーテルが僕の一人、水神教会大司教ファリバンと申します』
水神教会? え、じゃああの白い建物ってもしかして教会だったの?
言われてみればあの大司教ファリバンと名乗った人は、青いローブを着ていた。この人の話を聞く為に皆集まっていたんだ。
あのままセーブデータが消えてなかったら、このイベントも普通に見れてたのかなぁ。
『本日はあの名高い聖剣の勇者の末裔、レガート・ジャルバート氏から重大なお話があるとのことで、この場を設けさせていただきました』
……え、勇者の末裔?
こんなタイミングでご本人見付けちゃうの?
今までの聞き込みとかに割いた時間は何だったの……?
大司教に紹介されたレガートさんっていう人が本当に勇者の血を引く人物なら、過去に世界がどんな危機に晒されていたのか知っているかもしれない。
勇者の子孫の居場所を知る人どころか、こんな所で本人に会えるとは思わなかった。でもこれからまた探す手間が省けたと思えば……良かったよ、うん。多分。
何かアーサーが凄い微妙な顔してるけど。
大きな歓声と割れんばかりの拍手と共に壇上に上がったのは、逞しい身体つきの中年男性だった。
普段からよく鍛えられているであろう筋肉が、今日の為に用意された上品な服の上からでもよくわかる。
「ん……?」
「アイツ……」
私の両隣からそんな声が漏れた。
「どっかで見た気がすんだよなぁ……」




