Date1 ~『実験』~
雨に濡れたグラウンド。
割れた窓ガラス、ひび割れた校舎。
校内に溢れるばかりの同級生と、先輩達の倒れた背中。
廊下に鳴り響く踵の音。赤く染まった校内に、その黒い全身は一際目立つ。
俺は隠れていた。二階の一番奥……美術室の角の机の下。備品のカッターを数本握り締め、段々と近くなる音に警戒を強める。それと同時に、一層と恐怖が高まっていく。
カツ、カツ、カツ。
––––大丈夫だ、俺はできる。俺にはできる。
そんな強がりが、安定剤を飲むように自分を支えなくちゃ、俺にはこの恐怖を抑えることができなかった。
カツ、カツ、カツ。
音は近い。もうすぐにアイツはここに来る。そうしたら、見つかってしまったら俺は、この命を失ってしまう? 十五年の間実らせてきたこの心を、この身体を、この魂を。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ––––––––。
ダメだ、抑えきれない。抑えようとすればする程に、この恐怖は限界のない風船のように膨らんでいく。
扉の窓に、人影が映った。……来る。来てしまう。
「ハァ、……ハァ。––––っ、ハー」
ゆっくりと、右に握るカッターの刃を出していく。銀色に光る一枚が最大限まで伸ばされ、同じように左手のカッターの刃も出し、強く握る。
片膝をつき、腰を少し上げる。
扉の引き戸に手のかかる音がした。少ししてから、扉は重そうな音と一緒にゆっくり開いていく。
「…………」
俺はアイツに気付かれないように、気配を消すために息を潜める。
アイツは俺を見つけるために、気配をさぐるために息を抑える。
こうして出来上がる沈黙。それは、恐怖と殺意が混ざってできる異業の産物。
そして俺が動こうとして、上履きを履いた足を動かそうとした、その時。
《………………》
俺の目の前に、少女の顔が現れた。茶色よりも薄いだろうオレンジ色の髪。緑色の緩いカーブをした眼鏡をかけた、それは現実に『少女』と呼べる顔面。
俺のいるこの場所が、この状況が違えばまだ、その顔を見た時に一目惚れをしたかもしれない。むしろ可愛い。嫁になれ今すぐに。
だがそんな煩悩は、すぐに消え去った。いや、消された……という方が正しいかもしれない。
俺の左胸に、ナイフが突き刺さっていた。当然真っ赤な鮮血で、左胸を中心に制服は赤く染まって行く。そんな見た目の変化はとは相反して、不思議と痛みは感じなかった。まるで刺さっているはずのナイフが俺を通り抜けているかのようなそんな感覚だけ左胸に感じた。
「お前は……。お前は誰だ?」
妙な感覚を胸に覚えながら、痛みを感じない事をいいことに、俺は尋ねた。
「…………」
俺の質問に対する回答はない。口を固く結んだ様子が、ほぼ0距離の俺には分かった。
そして少女に気を取られてい俺は、
背後まで来ていたアイツの気配に気づかず、後ろを振り向いた時には既に間に合わず、そのまま俺はアイツの持つハンドガンは俺の脳天を撃ち抜かれていた。
コレにも痛みは感じないんだろう、そう余裕を持った俺に、この世のモノとは思えない程の激痛が襲う。
––––なんだよコレ!? 痛いっ、痛いツラい! 死んぢまう!!
痛みに悶える俺を見下ろすアイツと少女。二人の視線を感じながら、
俺の意識は段々と薄く遠のいていく……。
目を瞑った時、少女とも少年とも思えない声が、風穴の空いた俺の頭に響いた。
「あ––––みね、か––––」
意識が離れる瞬間、左胸に刺さったナイフは引き抜かれ、赤い体液が宙を跳ねた。
○☆○☆○☆○☆○☆○☆○☆○☆○☆○☆○
目が覚めると、そこは灰色の何もない狭い部屋。その片隅に置かれたベッドの上で、俺は起きた。
(夢、か……。随分とリアルに痛かったな)
夢の中で撃たれた頭と、刺された左胸に優しく触れる。もうあの激痛は感じない。
体を起こした時、それでも重いと思ったのは気のせいだったかもしれない。寝ぼけてんのかね。
「それで……」
そんな状態だけどまず、聞かなくちゃいけない事がある。
俺は正面の壁に寄りかかる眼鏡野郎に声をかけた。
「色々と、説明してくれよ。日番谷」
「……あぁ」
日番谷は左手でフレームに触れた。レンズの先にある日番谷の目は、悲壮感の溢れ、疲れきっていた。よく見れば顔は少し痩けているかもしれない。
壁を離れて、俺の方にゆっくり歩いてきた。ベッドの端に座っている俺の正面の、窓際に背中を預けてから、深いため息をついた。
「黒垣君……。とりあえず、謝らせてくれ。一週間前、君に僕のことを心配してくれたこと。君を巻き込んだこと。僕が君に、全てを話さなかったこと」
俺の視界から、窓際に寄りかかる日番谷の姿が消えた。一瞬訳が分からなくなったが、俺の足元に、俺の視界の下に日番谷が映った。その姿は、腰を折り、頭を下げ額を冷たいタイルの床にくっ付けていた。
「おい、止めろって。そこまでしなくていいだろ」
流石に焦った。ベッドから降りて日番谷の肩に手をかけるも、こいつが中々に力がこもっていて動かない。
「いや、この程度で済む事ではないんだ。この程度では……!」
「お、おい……」
「それに僕には……、僕は君のことを巻き込んだというのに、それなのに君にまだ話せないことがあるんだっ……!!」
罪を犯した自分を悔やみ、憎んでいるような悲痛な声で日番谷は言った。
「おい、ホントちょっと落ち着けよ。ていうか俺は一週間も寝てたっことになるのかオイ」
「あぁ。そうだ。君は一週間ずっと眠っていた。もう起きないのかと思っていたぐらいだ」
マジかよ。
「君は眠ってしまう前のことを覚えているかい?」
「ん? あぁ。確か、お前の話を聞くために図書室行こうとしたら変な奴がグラウンドにいて、気づいたらお前がいなくなってて、追いかけて行って、そしたらその変な奴に……何か聞かれて。俺は……」
そうだ、俺はあの男に何かを質問された。問われた。雨に濡れたグラウンドの中心で、あの男は両腕を広げて、誘うように俺に言ったんだ。
––––黒垣正紀に問う。
––––お前は、"力"が欲しくはないか?
あの時俺は……。
あの時日番谷が吹っ飛ばされたのを見た俺は、知り合いの二人がなんであぁなったのか分からなくて、あの時日番谷が俺の方に走ってきた訳も分からなくて。
分からなかったから、何も理解できなかったから俺は、自分の友人が何の理由もなく怪我させられた事にムカついて、そしたら頭に血が上って、その後で男に質問された時に俺は。
––––俺は、俺は"力"が欲しい……!!
確かに俺は、そう言ったんだ。あの男の青い瞳を睨みつけて言った。
「俺は、アイツの質問に頷いたんだ。俺は"力"が欲しいって、そう答えた。そしたらあいつは俺に近づいてきて、俺の頭に手を乗せてきて。それからは……何も。目が覚めたら、このベッドの中だった」
「……そうか」
俺が一週間前のことを話すと、日番谷はようやく頭を上げた。その目は変わらず悲壮感や絶望感で溢れていたが、さっきよりは全然大丈夫そうだった。さっきまでは何かこう、今にも飛び降りそうなオーラだったから。
「黒垣君、部屋を出ないか? 現場を知るには、それが一番早いんだ」
「あぁ、分かった」
立ち上がった日番谷に手を差し伸べられたので、その手を握り返して立ち上がる。トイレに寄って、洗面台で顔を洗って、そこで俺が今着ている物に気がついた。制服ではない、葬式で埋葬される人が着ているような白いあの服を着ていた。……日番谷の野郎、マジで俺のこと死んだんだと思ったんだな。いや、でもこのチョイスはちょっと。もっと友人の生命力信じようぜ?
「黒垣君、これ、君の制服なんだが……」
お、ちょうどいい所に現れた。
「おぉ、サンキュ」
でもツッコミはしないでおくか。心配してくれてたみたいだしな。それなら、礼はしなくちゃな。俺なりに。
「つか日番谷さ」
そう思った俺は、スラックスを履いてワイシャツの袖に腕を通した所で声をかけた。
「お前その頭、今度はあれか? モンブランかよ?」
「えっ……?」
それからしばらく、いつもの阿呆な会話で俺らは盛り上がった。
部屋を出て分かった。俺が眠っていたのは、学校の保健室だったみたいだ。
ただ、俺の学校の保健室ではなかった。どこか違う学校のみたいで、教室の並びも、廊下の道も、塗装も、窓から見えるグラウンドの景色も、全部違った。
日番谷に案内してもらうように5分ぐらい歩いて、ようやく校舎の外に出た。そこで久しぶりに日の光を浴びながら階段を登り、何やらドームのような建物の前に着いた。
「ここだよ」
俺たちは校舎(っぽい所)から出てきたのだから、その近くにある建物となるとここは体育館なのか。にしてはデカすぎる気がする。
「日番谷、ここは? 随分デカいけど」
「簡単に言えば『体育館』さ。中に入れば、全部が分かるよ」
「はぁ」
何か濁らせた? 隠すようなことでもあるのか?
俺を先導するように中に入って行く日番谷の後ろを歩きながら、話すと言って直接は何も言ってこない日番谷に疑問を覚えた。
長い廊下の途中にあった自販機でサイダーを買って、一週間ぶりにその炭酸の刺激を味わいながら日番谷の後ろを歩く。
廊下を右に曲がってそのまま進んでいくと、奥の方から光見えた。天井の照明からこぼれる明かりがここまで届いたんだろう。
「やっと着いたのか?」
「あぁ。もうすぐさ」
光に近づくように進んで行くと、中の様子が少しだけ見えた。誰か知らない奴ら二人が、ぶつかり合ったり離れたり。歓声のような野次も飛んでいる。
「ボクシング……?」
それにしては激しすぎる拳のぶつかり合う音。いや、足も出ている。なんだ、ただの喧嘩か?
隣にいた日番谷が右に曲がった。どこ行くんだよこっちじゃねぇの? とか思いつつついて行く。幅は広めの急な階段を登ると、そこは随分と人がいて騒いでいた。
「なんだこりゃ……。どんだけいるんだよ」
「ふむ。ざっと900人ぐらいじゃあないかな」
「はぁっ!? ホントどんだけだよ」
「そんだけ、さ。ほら、君も座るといいよ」
ポーンポーンと手をたたきながら俺を促す日番谷に素直に倣い、俺も椅子に座った。サッカードームの椅子に座っているみたいだ。本当に体育館かよココ。
「黒垣君。状況を教えるのは話すより見た方が早いんだ。だから、下でやっているアレをしっかり見ていて欲しい」
「はぁ……」
言われた通りに下で戦う二人を眺める。
互いに距離を取りながら、片方が攻めたらもう片方はその攻撃を受け流しす。だがその避けた拳は、わずかにかすっただけなのに頬に切り傷ができていた。
もう片方(こいつらはAとBって呼ぶか)はカウンター狙いの動きに出る。左で拳を放ったAには、脇の方に隙ができていた。そこを見逃さなかったBは左足を軸にして右足で宙を巻き込みAの脇に蹴り込む。
大きいダメージは受けなかったものの軽く怯む。Bのカウンターは威力を捨ててAを怯ませることを狙ったんだろう。態勢を直したBは連続で両方の拳を顔、腹、股間(え、鬼畜?)に繰り出した。
三箇所への連撃はAに確実なダメージを与え、蓄積していく(特に股間へのダメージはが恐ろしく溜まっていく)。この連撃は三分ほど続いた(股間にも)。
「おい日番谷。なんだアレ」
見ているこっちにも痛みが伝わってきそうな程の股間への打撃。日番谷はコレを俺に見せて何を思わせたいんだ? 痛いよ、見ている俺が痛いんだよ、むしろお前もそうだろう?
「ふむ。股間への連撃か。考えたねぇ」
「いやいや感心するか普通? 冷静でいるなよココはつっこむ所だろう!?」
というより俺が日番谷につっこんだ。
まぁまぁ、冗談だよと嘘っぽいことを言いつつ、冷静な所は崩さず日番谷は言葉をつないだ。
「アレは、彼なりに考えた戦い方なんだと思うよ。まぁ君に見せたいモノではないけれどね」
「あぁ……やっぱ違うんだ」
良かった。流石にこんなの見せられてもどう感想を言えばいいのか悩んでたんだよね。
「ふむ。でもこの試合のおかげで、君の気分も大分ほぐれたように見えるし、無駄ではなかったね」
フッ。
俺を見て笑う日番谷の顔には、部屋で見た暗い表情は消えていた。謎の現状に緊張している俺を見抜いて、さり気なく、気持ちを和らげようとしてくれた。
「なんだよ、そういうのなら先に言えよな」
「おや、そんな顔を背けることはないじゃないか。君は面白い奴だなぁ」
「お前に言われたくないわモンブラン野郎!」
閑話休題。
「さて、始まるよ。ここからが君に見せたいモノさ」
「今度はあんな痛々しくないんだろうな」
「ふむ。大丈夫だと思うよ? というより、彼の試合において、そんな下らない行為のできる相手なんて、そうそういないだろうさ」
彼、というのがよく分からないが、俺にとって、現状を理解するためのキーパーソンがいる。日番谷はそいつの試合を俺に見せたいらしい。
「ほら、彼が来るよ」
言葉に促され、試合を行う下の階に目を向ける。中央には既に一人の生徒が立っている。というよりアレは……
「––––てオイ! あれ純太じゃんか!」
何でアイツがいるんだ? 何でお前準備体操とかしてんだよ、屈伸すんなよオイ。お前震えてないか? おい、お前運動苦手だったろ、今すぐ帰れよ! なにしてんだバカ!
俺は日番谷に掴みかかった。落ち着いていられるか!
「おい日番谷、あれどういうことだよ。俺に見せたかったのって純太のことか?」
いいや。そう一言が返される。
「違うよ、彼、だ。あんなに覇気も威圧感もない人間じゃない。––––ほら」
そして、俺を見ないまま日番谷は言う。その態度が腹に立ったが、俺は堪えた。今は冷静に状況を知らなければいけないんだ。
ただ、もしさっきみたいな試合が行われるとすれば。純太に、俺の友人に何か起こるんだとしたら、俺は下に降りて、純太を助けに行く。
確信はないが、嫌な予感がする。
だから、今は冷静にこの場を見極める。
そして俺が腹の虫を抑え、落ち着けと言い聞かせているうちに、純太の向こう側、おそらく純太の相手になるヤツが奥から出てきた。
そいつは……薄いオレンジ色の髪をした、緑の眼鏡をかけた女だった。
俺の、あの夢の中にでてきた、あの女とよく似た、いやあの女本人かもしれない。とにかく似ている。
黒いブレザーを羽織り、何故かスラックスを履いている。前を向き、堂々として歩いている様からは、ある種の威圧感のようなものを感じた。
そしてゆっくりと、純太の前に立ち塞がるかのように止まる。
「あいつ……」
「彼が。彼が君に見せたかった人さ」
今度は俺のことを見て言う日番谷は、唇を歪めるようにして笑った。
「赤峰和哉。彼が、この島で行われている『実験』の中で最も成果を見せている最強の『実験台』さ」
そして『実験』はまた、始まった。
サイレンが鳴ると共に、純太が動き出した。あの女の顔に向けて、右のストレートを突き出す。
コレが決まるだけでも十分なダメージは与えられると思うが、何せ純太の拳は震えている。そんなままでストレートを出しても、大したダメージを与えられるとは思わない。
女は動かなかった。避けず、そのまま純太のストレートの直撃を受けた。
その瞬間に、周りの観客(って言っても知らない奴ばかりの学生達)が歓声を上げる。さっきは純太とあの女が出てきたことに驚いていたから頭に入っていなかったが、さっきからこの観客達は凄い勢いで試合に野次を飛ばしている。異様だ。
そのバカうるさい周りの声のせいで音は聞き取れなかったが、女のかけていた眼鏡が床に落ちた。本当に純太のストレートを受けた……らしい。
(でもあの眼鏡、レンズは割れてないしフレームも歪んでいるのか? そうは見えないけど。まさか……わざと受けたなんてこと、さすがにないよな?)
一瞬の出来事に神経を集中し、次の動きを見守る。
動いたのは、純太だった。
「んなっ!?」
動いた、いや違う。吹っ飛ばされた。そういうのが正しいかもしれない。
まるで強い風に押されたかのように、純太が体育館の中央から入口まで、瞬く間に叩きつけられた。正直、目で追いつけない早さだった。
『……っっ!』
「純太っ!」
血を吐き出す姿に耐えられないまま、俺は叫んだ。でも当然歓声に混れて掻き消されるだけで、純太には届かない。走り出そうと足を動かそうとした時には、日番谷が俺の足を強く掴み、俺を見つめて首を横に振った。その口は、「待て」という動きを見せている。
その時、ーーゴウっ! と、純太を吹き飛ばした時と似た風が吹いた。風は、あの女を中心に吹いている。
『––––––––』
女の口が開くが、そこから何が言われているのかは分からない。自分を中心に起きている風に掻き消されている。
そして、風は小さい円のように縮んでいきながら、女の両手に変化を施していた。掌の中に集まっていく風は、段々と灰色の光となって形を作っていく。まるでアニメのワンシーンを見ているみたいだ。
光の形は変わっていく。球体はある程度の厚さと太さを保ちながら伸び、凸凹した形に変わっていく。だんだんとその長めの灰色のボディが姿を見せる。所々に黒の装飾を飾ったその身体は、派手でなく質素でもない簡素な作りだった。
銃。どう見ても銃。
何も持っていなかった女が、突然吹いた風の、光の玉の中から出してきた。あの二丁の銃。今は女の手に握られている。
女がその腕を上げた時、握られた銃の口は……女の正面、つまり体育館の壁に向けられていた。
つまり。
それはつまり、さっきの風に飛ばされた純太が叩きつけられた壁に、純太に向けられている。
「––––んな!!」
女の唇が三日月を描く。銃を握るその指は、引き金を押すようにゆっくり力が込められていく。
俺の足はもう動いている。今度は日番谷も止めなかった。日番谷がどんな顔をしていたかは知らないが、今はそんなことはどうでもいい。俺にこの視界の、これから起こるであろう最悪の事態にしか意識がいかない。
目の前の観客を押しやって、踏むようにして前に進む。人のぶ厚い壁掻き分けるようにしても、壁のその厚さ変わらない。邪魔だ、邪魔なんだよ!どいつもこいつも!
俺が壁を抜けて手すりを飛び越えて降りる。まだ女の指はまだ、引き金を引ききっていない。
––––まだ間に合う!!
そう思って足をデタラメな力で走り出す。
それと同時に、また風が吹いた。今度はさっきよりも更に強い風だ。俺が足を前に踏み込んでも、逆に吹っ飛ばされそうになる。
ダメだ、このままじゃ……。
「っっクソ!!」
そして、とうとう女の指は引き金を引く。
風は一層強まり、俺は床に上靴を擦りながら場に留まろうと足に力をこめる。だがその抵抗は虚しく、何とか場に留まるだけで、前に進むことはできない。
激しい音と共に銃口は光出す。
そして一本の光線を爆発させるように、銃弾を前に繰り出した。




