第八話 「掃除はこまめにやりましょう」
原案:アグァ・イスラ(水島 牡丹)様
魔女の家に着きました。ピエトロと魔女アリスと王子様の三人です。王子様はそのKYっぷりを発揮したものの、何とか生きて目的地にたどり着くことができました。
魔女のお家があるのは森の奥深く。ですがそのお家の周りは木々が切り拓かれて日当たりも良く、草花が咲き小鳥も舞っています。おどろおどろしく、ギャアギャアとけたたましく獣や鳥の鳴き声が響くような一般的なイメージとは違っていました。それだけでも王子様はほっと一息です。
森の入り口をまるで地獄の一丁目のように感じたことを、ちょっと悪いな、とも思っていました。確かにここは空気も新鮮で、湿気がひどすぎることも、また逆に乾ききっていることもなく、本当に自然にあふれる豊かな森。
こんな素敵な環境でどうしてこんな…… 環境で悪になった? 違うね! こいつは生まれついての ウォッホン! オホン! オホホーーーンっ! えーっと。
王子様は、初めての民家、初めての庶民風の家、初めての平民の家へのお泊りです。王子様は戸惑っていました。何とかこの誘拐犯とフレンドリーな関係を築こうと、ストックホルム症候群的な思考のもと、好意的に受け入れる努力を始めています。
見る物触る物すべてが新鮮でした。なんだかんだで普段と違う物に対する好奇心は抑えがたく、結構すんなり受け入れられたみたいです。ですがここは魔女のお家。あらゆるものがスタンダードからかけ離れていると言ってもいいでしょう。のっけからハードルが高くてすみません。
恐怖心は拭い去れてはいませんでしたが、上機嫌な魔女アリスの姿に少々安心しているようでした。
そして一つの事に気付きました。
「そうか、民たちの家とは、こういう変わった匂いがするものなのだな」
王子様、また、変なことを言い出しました。いや、確かに人の家の匂いは気になります。でもそれは開口一番にするものじゃあありません。時にはその一言を不快に思う人だっているんです。
フォローするようにピエトロが答えます。
「普通の家ではこんな怪しい匂いはしないからね、王子様。うちだけの、”特有”の匂いだから」
ピエトロが前足で指し示した方には、火にかけられた鍋がありました。弱火でクツクツと煮たてられ、グプグプとねばっこい泡が立っています。見るからに毒々しい。吐瀉物以下の匂いがプンプンするぜ。色も真っ黒になったその中身が何か、それはずっとここに住んでいた、ピエトロにさえも分かりません。
「あら、王子様。それ、一年は前から煮ている煮物の匂いよ。食べます?」
にっこりと魔女アリスは笑って、オタマで一年前以上も経つ超熟成煮物を、平然と掻き混ぜました。今の精神状況だと王子様はまず間違いなく、「はい」と言ってしまいます。慌ててピエトロが王子様を制し、魔女に進言します。
「ご主人、王子を一瞬で亡き者にしたくないなら食べさせない方がいいよ」
「そ、そうね、さすがに冗談が過ぎたかしら」
さすがに食べる物じゃあない、という常識があったようで、ピエトロも安心しました。ですが。
「さぁ、ピエトロ、あなたのご飯よ」
器に盛られた真っ黒な超熟成煮物を出され、ピエトロは視線を逸らしました。しかしこのままだとまず間違いなく口の中に強制的に流し込まれてしまう事でしょう。慌てて、ひそひそと話題を変更します。
「ご、ご主人、せめて掃除をしようよ。王子様のことが好きなんでしょ? 好きな男の前でいくらなんでもこれは、酷いよ。こんな泥棒が来た後みたいな惨状は」
見渡す限り、ゴミの山。足の踏み場もありません。
「それもそうね。あなたのキャットフードも一年前から消えたまま」
見つかったところで絶対、賞味期限切れです。
魔女は王子様に快適な生活を送ってもらう為、掃除を始めました。もちろん、魔法は使いませんでした。
魔女が悪戦苦闘する中、見かねてピエトロも手伝い始めます。王子も何やら貧乏民家に興味を持ったのか、一緒に手伝い始めました。
黙々と三人は掃除をしました。
一応は共同作業。魔女と王子様はいい感じです。ピエトロは思いました。このまま王子様が慣れてくれて魔女を制御してくれれば自分の負担はかなり減って楽になるな、と。徐々に王子様も魔女と普通に会話できるようになりました。
「ねえアリス、ここに吊るされている草は何なんだい?」
「え? ああ、それは眠り草ですの。普通に生えている時にはたくさん食べても効果はありませんけど、日に当てないように乾かして粉にするととてもよく効く睡眠薬なんですのよ」
お師匠がよく作っていました。でも本当の用途は睡眠薬ではなくて別の事。今のところはそれを王子様に使う予定はありません。王子様は次々にいろんなものを探し当てていきます。
「アリス、この本は……?」
「まあ! 探してた魔法陣の本! そんなところにあったのね!」
魔女の仕事道具のはずなのに……
「なんでこんなところにガラスの壺が……?」
「ああ! そのフラスコも! 中身はまだ居ます?」
「いや、からっぽだけど……」
「からっぽ? たいへんだわ! ピエトロ、小人が逃げちゃった!」
「何言ってるのご主人、このまえ小人はやっつけたよ。忘れちゃった?」
何を捕まえてるんだ、お前は。いや、作ったのか? しかもやっつけたって何だよ、凶暴なのかよ。
「アリス、これはどうみても……」
「あらら、分解清掃して組み立て途中のままだったわ。すぐにやっちゃいますわ」
そう言って一般家庭(あるいは魔女の家)では普通お目にかからなさそうな黒光りするそれを、ざざっと流れるような慣れた手つきで完成させて、奥の部屋に片づけに行きました。
そんな和やかな(?)、まったり雰囲気のまま三人が掃除していた時。またしても王子様が妙なものを見つけました。今度はお家の離れにある、お風呂場と思しきところです。
「ん? これは……」
ずるずると、洗濯物の山から王子は箱を取り出しました。あかんよ、王子様。曲がりなりにもレディのお宅で洗濯物をごそごそするとか。普通は通報されるよ。
取り出されたものはなんと、キャットフードの箱でした。
「やった、キャットフードだ!」
いやいやいやいや、おかしいでしょう。なぜにこんなところにキャットフードが!
王子様はピエトロと一緒に喜びました。ピエトロなんて涙目です。危うく今後のご飯があの超熟成煮物になるところだったのですから。KYな王子様も先程超熟成煮物を出されたピエトロの身を案じる面があったらしく、ピエトロに催促されるまでも無く賞味期限を確かめてくれました。二人の間に妙な友情が生まれていました。
「大丈夫だよ、ピエトロ。食べられるよ。ギリギリ賞味期限内だ」
ピエトロがほっと胸を撫で下ろした瞬間、洗濯物の山の中とは別に、無造作に積み上げられたぼろきれや落ち葉の下に白いものを見つけました。
何だろう。ピエトロも知りません。一人で上手に毛づくろいができて、いつも艶やかできれいな黒い毛並みを整えているピエトロは、とくに嫌な臭いもしないので、めったに洗われる事はありません。むしろほんのり甘く、落ち着くような香りがするくらいです。なのでこのお風呂場の近くに来ることなんてほとんどなくて、こんな風に散らばる物があるなんて知りませんでした。王子様とピエトロは、顔を見合わせました。二人で、そろそろとそれに近づいていきました。二人をとてもとても嫌な予感が包みます。
何やらそれは…… 骨、のような……
ピエトロは決死の覚悟で、その白い物を発掘していきました。王子様は青ざめています。
「じ、人骨だ……」
王子様とピエトロは震えだしました。王子様が泣きそうになりながら、言いました。
「先程の、鍋の中身はまさか……」
その王子様の言葉にピエトロが首を振ります。
「いやいやいや、いくらご主人が残酷でも、そこまでじゃないよ。そんな震えなくても大丈夫さ。例えそうだとしても、ご主人は王子を食べたりしないはずだから」
「あら、王子様こんなところにいらしたのね。探しましたわ」
良いタイミングでご主人が二人の方へとやってきました。
すかさずピエトロが問いました。
「ご、ご主人。掃除してたらいけないものを見つけちゃったんだけど? これは、何処の仏さんな訳? 鍋とかに入れたりしてないよね? あの鍋、真っ黒で何処か赤かったけど、この人じゃないよね? そもそもこの人、誰さッ!」
とても早口です。それに対して魔女アリスは淡々と、知らなかったの? とでも言わんばかりに平然と答えます。
「あらやだ、ピエトロ。これ、お師匠よ? それにピエトロ、あなた一年前からずっとキャットフードの代わりに食べてたの、知らなかったの? お師匠をおいしいおいしいって食べてたじゃないの」
「……っ」
本当なのでしょうか。ご主人の口から例えウソでも「嘘」という一言を聞きたかったのですが、願いは天に届きませんでした。ピエトロは、あまりに酷い現実に一人で泣きながら、一つ一つお骨を集めてお師匠を埋葬しました。
ピエトロは自炊に目覚めました。自分のご飯は自分で作る。それが自分の身を守る唯一の手段でした。
王子様はピエトロに激しく同情しました。
原案:アグァ・イスラ(水島 牡丹)様