第二十話 「二重、三重に用意をしましょう」
それは半壊した魔女の家の窓際にありました。
それの底には一羽の白い鳥が落ちていました。
その鳥の胸には赤い痕がついていました。
微動だにしませんでした。
遠くから声が響きます。それは地面を伝わるように、静かに、しかし確かにそれのもとに届いていました。
白い鳥が中心に倒れていた鳥かごの底が怪しげに光ると、ぼわぼわと煙のようなものが立ち上がり、白い鳥に吸い込まれていきました。
全部吸い込まれると倒れていた白い鳩は目をあけて身体を起こし、ぷるぷるっと身を震わせました。再び羽を大きく広げると、柵の一部が壊れた鳥かごから空に向かって飛び立ちました。
主がいなくなった鳥かごの底にはなにやら模様が描かれていました。それはかつて小さな黒い子猫が横たえられたものと同じ模様でした。
「あとはいきなり使えるかどうか、ね……」
呪文を唱え終わった魔女アリスはすっかり取り囲まれていました。武器はもうありません。
ですが死なばもろとも、の発想はありません。当然です。王子様とのラブラブ生活が目前に控えているのですから。ですが誰がどう見ても死亡フラグが立ちまくっています。なのにその瞳は生きて帰る気まんまんです。
「さて、チェックメイトね。何か言っておくことは?」
余裕しゃくしゃくの聖女様が最期の一言を許しました。
魔女アリスは大きな声で明るく言います。
「王子様、この後どこへ行きましょう。家も半壊してしまいましたし、ふたりで住む家を考えないといけませんわ」
眉間にしわをこれでもか!というほど寄せた聖女様が右手を上げました。
「どこまでもナメくさったガキね、本当に……」
もうすでに跡形もありませんが、イメージがさらに壊れます。
迫りくる死の恐怖に小生意気な魔女が命乞いをすることを期待していましたが、こんな状況でも魔女アリスはいつもの彼女のままでした。もちろん、命乞いをしたところでそれを聞き入れるつもりもありません。
その時、空から白いものが一人の女の子を取り囲む軍勢の中にすっと降りてきました。それが魔女アリスの肩に止まります。
魔女がにっと口元をあげました。ぼそぼそ、と何か呟いたようでしたが、聖女様からは見えませんでしたし、何と言ったかも聞こえませんでした。
「行けッ!」
聖女様が右手を下ろすのと同時に円周を縮めるように一斉に襲い掛かりました。その時一瞬強く何かが光りました。聖女様が思わず閉じた目を開けたときにはそこにはもう何も居ませんでした。
聖女様がその青くてきれいな愛らしい目をこすってもう一度見ましたが、誰も居ません。聖女様の軍隊も目標を見失って、うー、とか、おぁー、とか呻き声を上げながらうろうろとさまよい歩いていました。信じられない光景でした。色んな意味で。
「きゃあっ!」
突風が吹き、小さくて軽い聖女様は飛ばされてしまいました。地面に転がった聖女様は見ました。空にそれはそれは大きな、白い羽を持つ鳥が羽ばたいているところを。
「さあ、これで五分…… いえ逆転ね」
滑空する巨大な鳥の翼の付け根の辺りからひょこっと魔女アリスが顔を出しました。
「いい気になってられるのもここまで。今度はこっちの番よ、行きなさい!」
新しい使い魔に命じます。主人を背に乗せたまま飛び回ります。その翼は風を生み、飛び去る際にも衝撃波を残しました。聖女様自慢の不死の軍団も枯葉のように舞い散って、後一歩で壊滅寸前です。
ザコゾンビの相手は僕に任せ、魔女アリスは聖女様の前に降り立ちました。
「決着は直接わたしの手でつけないとね。ねぇ、アンタもそうでしょう?」
「……」
聖女様も身構えました。使い魔の力は、主の力そのものです。生み出されたばかりの使い魔がこれほどまでの力を持つことに、少なからず聖女様は警戒心を覚えました。魔女アリスは魔法よりも武器に頼った戦いを得意としていましたが、その実彼女の中にある魔力は膨大で計り知れません。
魔女アリスも油断しません。例え傀儡がなくとも、相手は聖なる御力を自在に操る強大な法術の使い手です。単騎でも一国が傅くほどの相手に、彼女も自分の力のすべてを合わせて挑む所存です。
半壊したお家から武器を一つ呼び出しました。
それは刃の大きな槍でした。それに魔法の力を込めていきます。
聖女様は身に纏う白いローブにありったけの聖なる御力を集めました。
張り裂けそうな緊張感の漂う空気の中、魔女アリスが先に動きました。
手にしていた槍を放すと、それは宙に浮きました。魔法のほうきに乗るように、魔女アリスがそれに腰掛けた次の瞬間、凄まじい速度で槍ごと聖女様に突っ込んでいきました。まるで巨大な弓で放たれた矢のようです。聖女様が呼び寄せていた何体かの兵を紙細工かのように簡単に貫き、後一歩で聖女様の喉元というところ。
「待ってくれ、アリス!!」
ぴた、と止まりました。
声のした方を見ると、森の中からさっきまで隠れていた王子様が出てきて、二人の方へ歩いてくるのが見えました。