第二話 「前と周りをよく見ましょう」
魔法使いの女の子は刃物を突きつけられた王子様をみて、この作戦は成功だ、と直感しました。
人間は一定以上のストレス下に置かれた場合、それを共有する人間を肯定的に見る傾向があると言われます。また恐怖で支配された状況では、被害者は反抗するよりも加害者に対して協力、信頼、好意でもって対応しようと無意識に心理が働くとも言われます。その相手がもし異性だったらなおのこと。
「この胸の高鳴りは、もしや恋?」的な発想が飛び出します。ある意味魔法な思考です。そう考えると、今魔力の一切を使っていないと言うのに王子様に魔法をかけつつあるこの女の子は、生粋の魔法使いです。
彼女はこう考えました。
王子様はこう思っているに違いない。
「一つ間違えようものなら、柱に括られた自分の周りに香草の変わりにたくさんの薪を用意され、気が付いたならミディアム・レアーにおいしく焼かれてしまいかねないこの中世の雰囲気漂うお城の中で、こんな形で脅迫を受けるとは思わなかった。
この状況はまさにDead or Alive。
いやむしろ返答によってはDeath or Die。
この長い人生の中でも極限の二択。こいつはなかなかに厳しいフラグだぜ。
だけど、この胸の高鳴りは…… なに?
今までこんな風に人を見たことなんて無かった。
僕の前では誰もがいつも畏まって、必ず一歩退いていた。
彼女は何て堂々としているのだろう。
僕に臆することもなく、僕の命を盗ろうとしている。
だと言うのに、そんな凶行をしていると感じさせない……
ああ、何てかわいらしい微笑みなんだ。
この人になら、一生をささげても構わない……」
……と。
まさにお花畑。彼女の頭の中には一面の季節はずれな美しい花々が咲き誇っています。そしてそんなおめでたい彼女の後ろには、赤や黄色やピンクや白の花弁を持った数々の花々が花開いているのが見えてくるような気がします。本当に魔法な思考でした。
王子様の背中に出刃包丁を突きつけ、変なにやけ面を晒していた彼女をとは対照的に、王子様の顔は血の気が引いて言葉が出ない様子です。
魔女がかけた心理の魔法は今のところまだ十分に効果を示していませんでした。びくびくと怯えて歩く王子様は自分の部屋の机に蹴躓いてしまいました。同時に机の上の花瓶が落っこちて、がしゃーん! と大きな音を立てました。普段ならそんなミスをしない魔女の女の子も今は心ここに在らず。花瓶が割れたことにも気付いていません。
いくら争いがなく平和ボケした国とは言え、さすがにお城の衛兵達も侵入者の痕跡に気付き、城内のあちこちで賊の捜索を始めていました。大きな音が立った王子様のお部屋に一人の衛兵さんが慌てた様子で入ってきました。そしてその現場を目撃します。大きな声を出して集合を呼び掛けます。わらわらと城中の兵隊さんが、王子様の大きな部屋いっぱいになるくらい駆けつけました。
大の大人が、まだまだ子供にしか見えない女の子相手に鎧を着込んで、出刃包丁なんかよりもはるかに大きくて鋭い、人を殺すための道具を突きつけます。
殺されそうになった女の子が否応なしに人質を取った構図でした。……こうなった経緯を知らなければ。
お花畑の中心に立ったにやけ面の魔女は自分の周囲に全然気付いていません。大ピンチです。まだ心理の魔法がかかる前だった王子様はほっと、安心した顔を浮かべています。
突然衛兵達が吹き飛びました。皆が振り返り驚きます。
そこには人よりも大きな姿をした豹のような生き物が居たのです。そして、
「……主人に何を向けている? 下がれ、下郎が」
何とそれは人の言葉を発したのです。