孤独と異端・4
「成明のための嬪宮を選ばねばいけないが、揀擇令を出す準備が必要だな」
この国の王世子は何と十歳前後で正妻を迎える。候補者を選ぶ間、結婚適齢期の女の子には結婚を禁止する。三十人の候補が決まった時点で、結婚禁止令は解除される。そこから三分の一程度に絞られ、更に選考を重ね、最終候補が選ばれる。こうした過程を揀擇と言うのだが、長々と全国に結婚禁止の命令を出すわけにもいかない。結婚したい人間は沢山いるだろうし……だから、事前にしっかり下調べをして、有力候補をリストアップするのだ。
「まだ、八歳ですが……めぼしい候補をあたっておかねばいけないでしょうか」
「二年がかりでふさわしい家、ふさわしい娘を探し出したい物だな」
「正邦様も最初の中宮様とは、そうやって御一緒になられたのですね」
そう。
最初の中宮様だけは普段の会話でも「様」をつける。正邦様にとって、亡くなったその方は、特別な方だから。その方との大切な思い出に、敬意を払わないといけないような気がするから。
「うむ。互いに幼くて、夫婦と言うより最初は話し相手とか遊び仲間と言う感じであったな」
幼馴染で……最初の異性……初めての子供の母……確かに、特別な存在だ。最初の中宮様が無事に生きておられたら、私はこの方の「妻」ではなかったかもしれない。そんな気がする。
「スルギ……一人の男としての私が望んだ女は、お前だけなのだ。お前が私の初恋の相手だと思っているのだが、判っているのだろうか?」
「何だか……最初にかき口説いて居られた時に、そのような事も仰ってました。話半分でも、十分嬉しいですが」
「半分などと……そのような事は無いのに」
ちょっと面白がっていらっしゃるような、ちょっと悲しんでおられるような、複雑な笑みを浮かべられた。
「正邦様のために沢山働いた自信は有りますが……むさ苦しいですし、いつもバタバタ落ち着きませんし……」
「スルギがむさ苦しかったら、世の中、不細工な女しか存在しない事になってしまう。あまり着る物や装身具に興味が無いのかと思っていたが、そうでも無いのか?」
「どうも、貧乏人根性のせいか、交易で取引される時は幾らぐらいかなどと、つい考えてしまいます。でも、わざわざ珍しい布を賜ったりすると、そこは、女ですから嬉しいのです。その……私のために選んで頂けたと言う、その事自体がとても嬉しいのです」
「毎晩色々話したい事が有って、身なりの話はつい、後回しになる……と思っていて良いのかな?」
「申し訳御座いません。細やかなお心遣いに、ちゃんとお礼を申し上げなかったのがいけなかったのですね」
そっと抱き寄せて下さって、優しく私の背中を撫でながら、こうおっしゃった。
「お前は私を助けようと、いつも懸命に働いてくれている。事実、お前で無ければ出来なかった仕事も多い。これからも恐らくそうなのであろうな。だが……美しいお前をふさわしく着飾らせて、私の腕の中に止めておきたい。そんな願いを捨てきれ無い。お前に着せる物を選んだり、装身具を誂えたりする時、あれこれ思い浮かべて見るのは、私の大きな楽しみなのだ」
今着ている金襴の縁の入った紫の唐衣も三人の王子の母にふさわしい落ち着きと、華やかさを兼ね備えた見事な品物だ。
「これも、良く似合うな。これまでとはまた違う、しっとりした美しさだ」
満足そうに微笑まれたので、私は幸せだった。互いに自然と口付けを交し合う。
「今日は、特別に用意したものが有るのだ。さあ、手を」
指にずっしり重い二本一組の指輪を嵌めていただいた。ぷっくりした丸い形が何とも愛らしい。
「常に嵌めていると言うわけには行かないだろうが、ずっと身近に持っていて欲しい」
「はい。でも……棺桶に入れて頂くのは私の方でありますように……」
「慣わしどおりであって欲しい物だが、それがスルギの望みなのか?」
「ええ」
この二本一組の指輪は身分の有る既婚婦人が持つ物で、夫が亡くなると一本をその棺に入れ、もう一本をチョゴリの結び目に付けて貞淑な未亡人として過ごす……そうした物なのだ。金銀か銅に七宝焼きで吉祥模様を刻み込んだ物が多いが、頂いた指輪はこの国では非常に珍しいルビーと真珠を金に象嵌して紅白の梅の花を現していた。この方の号が「梅里」とおっしゃるのに因んでいるのだろう。
「困った奴だ……ならばお前の喪が明けたらすぐに、私も後を追いたいものだ」
「成明が困りますね」
「弟達をちゃんと育てて、兄を助けるようにするのだな」
「はい。兄弟仲睦まじく、助け合って欲しい物です」
「スルギなら、できるだろう。きっと。この指輪は私がお前を誰よりも愛しいと思う気持ちの証であり、お前を誰よりも信じていると言う証でも有る」
「大切に致します。指に嵌めているのが適わない場合は、首から西洋の金の鎖で下げて置いて、それを着物で隠しておきましょう」
「肌身はなさず、持ってくれるのか。それは嬉しいな」
それから、瞬く間に忙しい毎日は過ぎた。
成明の結婚相手は十歳になるのを待って、正式に決定した。直後に私の養母・張貞順が亡くなった。もうずっと尼僧として暮らし続けていたせいだろうか、眠るように静かで穏やかな死に様だった。臨終を看取り、本人の希望するような仏式の葬儀を行う事が出来た。最後の親孝行が果たせたのだと思う。
「スルギや……お前はいつも働きすぎだから、ちゃんと母上の喪に服して、その間だけでも静かにしていなさい」
「そう致します」
「お前がそうやって嵌めてくれている指輪の一本を、ちゃんと私の棺に納めてくれるまで元気でいて貰わないと」
「イヤです。以前おっしゃって下さったように、私の葬儀は正邦様に取り仕切って頂きたいのです」
「わがままな奴だ」
「一人で残されるのが、イヤなのです」
「私が先立ったら、息子達に孝養を尽くさせ、楽隠居を決め込めば良いではないか?」
「正邦様がいらっしゃらないのに、生きていても何の甲斐も有りません」
息子たちは息子たちで、それぞれ自分の人生を生きてゆくだろう。私はそれに干渉したくない。国の行く末についても私に出来る限りの事をしようとは思うが、それはあくまで、正邦様がこの国の王でいらっしゃる間だけの事。得手勝手でもわがままでも、この方がいらっしゃらないこの国に、それ以上永らえるつもりも無い。
正邦様は、じっと私の目を御覧になってから、透き通るような笑みを浮かべておっしゃった。
「判った。それがスルギの心からの願いならば、適うと良いな」
「もう一つ、願いが増えました」
「なんだ?」
「生まれ変わっても、こうして睦まじく共寝出来る様な夫婦でいられますように」
抱きしめてくださる手の力が、一層強くなった。
二本ペアの「カラクジ」と呼ばれる指輪ですが(空籤じゃあ断じてありませんよ)、李氏朝鮮時代の女性はどの指にしていたんでしょう? 以前、テレビで重ね付けしている指の映像を見た記憶はあるのですが……確実な事がどうもわかりません。御存知の方がおいででしたら、是非是非、情報をお願い致します。