孤独と異端・1
「何と言う事だ。皆、まとめてすっかり全部、後宮から追い出してやる! 流罪だ、島流しだ、一生ずっとだ!」
ギリギリギリと言う激しく歯噛みする音を、初めて目の前で聞いた。激怒の余り、自分が何を話しておられるのか、正邦様は意識なさって無いように見えた。
「でも、それでは余りに多くの人を敵に回す事になります」
私の言葉で、いつもの状態に戻られたように思えたが、今度はお目に深い絶望感と悲しみの色が現れた。この方は「ずっと底なしの泥沼の中に沈み込んでいるような感覚の中で生きて来た」と、時折おっしゃる。
自分勝手で欲深で、国の未来も王への忠誠も二の次三の次と言う連中を、どうにか纏めて、傾いたこの国の統治機構をどうにか維持すると言うのは、確かに神経が疲れるだろう。ましてや『家族』であるべき存在も信じる事が出来ないと思い知った時、その孤独感はどれほどに深いだろう。
だが、この国の国王は、信頼しきれない廷臣を使いこなし、信頼しきれない複数の妻達と平和的に共存する事が求められているのだ。
私は正邦様を抱きしめた。体のサイズを思うと、多少の無理は有るが、ともかくも抱きしめた。
「ありがとう。スルギ……」
御目からは涙が溢れ、言葉が言葉にできない、あるいは言葉にはしたくないのかも知れなかった。
「無理に何かおっしゃる必要も、無理に涙を堪えられる必要もないのです」
この方の大切な思い出の中で、私が共有できる物はまだ、ほんのわずかだ。
「スルギには全てを話せる」とおっしゃるお気持ちが真実であっても、亡くした妻と息子に向けた強い想いの中に、今の私が踏み込んではいけないと思う。
私は生きてここにいて、これからも一緒に生きて、お役に立ちたい。そう願っている事だけが伝わればよいのだ。過剰な言葉は、時に人を傷つけもするのだから。
わっ……と言う感じの激しい声が一瞬上がり、正邦様は号泣なさった。この方一人で背負ってきた物の重さと、深い深い孤独感に、おもわずたじろいでしまいそうになった。でも、一心に抱きしめる。それ以外、今の私に出来る事は何も無かったから。
「随分、派手に濡らしてしまったな」
呼吸が落ち着かれ、どうにか涙が止まった。
「何か、お飲みになりますか?」
「いや。もう少し、こうしていてくれ」
「ええ」
「母親にすがって泣きじゃくる馬鹿息子のようだな」
「どんなに賢い方でも、泣きたい時は泣く方が良いのです」
「壁に向かって一人で泣けば良いのに、つい、スルギにすがってしまった」
「その『つい』が、とても嬉しいのです。さすがに……壁よりは多少はマシだと思って良いですよね?」
「自分以外の女との間の息子の事にいつまでもこだわってと……そんな風には思わないのか?」
「自分の子供が殺されたのなら、なぜどうしてそうなったのか、知りたいのは当たり前だと思います」
「当たり前か」
「ええ。当たり前です。大事な子供なんですもの」
正邦様は澄み切った笑みを浮かべて、私の目をじっと覗き込んだ。
「どうか、これからもスルギは私の前では正直でいて欲しい。どちらかが息を引き取るまで、互いに嘘の無い間柄でいたいのだ。この願いは適えてもらえそうか?」
「ええ、無論です」
「頼りにしているぞ」
「頑張ります」
「では、もうちょっと頑張ってくれ」
気がつくと、互いに何も着ていなかった。
ちょっと驚いたが、確かにこうして肌を合わせるのが、一番距離感が少ないのだ。
「驚かせたか? 何もろくに出来ないくせに女の着物を脱がせるのだけはやけに手早い、などと思ってないか?」
この方は、変な所を気になさる。
「手早いのは、いつもの事ですし、確かに少し驚きましたが、でも、これが一番互いが近い状態でしょうか」
「そうか、いつもの事か。スルギに甘えさせて欲しいと思っていたら、つい、こうなった」
それからどの程度の時間が経ったものか、私達は互いに互いを抱きしめあって、呼吸が落ち着くのを待った。
「いつもとは、かなり違ったな」
「なんだか、凄かったです」
「凄かった、確かにそうだなあ……」
「二人で一緒に何処か別世界に抜けて出たみたいな……」
「うむ。そうだ。そのような感じだ」
「何だか嬉しそうでいらっしゃる」
「うむ。きっと子が出来た」
「まあ、そうでしょうか?」
「うむ。きっと息子だ」
沈家は処罰を被った。
正邦様は議政府と六曹の主なメンバーと個別に面談なさった末に、結論を出されたのだった。
「徹底して処罰すべきです!」
そんなことを言うやつに限って、かつて沈守己にヘイコラしていたり、利権のお零れを頂戴していたりする。そうした輩には、そいつの不正、沈家から貰った金品や、口利きしてもらった親族の官職の件に関する証拠を正邦様は突きつけられた。
「御温情を」
当然、そうした処分を望む者もいた。正邦様はお考えの処分についてよくよく説明なさって、同意を取り付けられた。
沈守己は死罪となった。
息子の内、知宣は半年の流罪の後、実父の家を再興する形で継いだ。政治に直接はタッチできない王族の身分に繰り入れられたのだ。沈家の資産の半分は没収されたが、残り半分は徳宣と武宣で分割相続とさせた。
元の邸は寡婦となった正室と実子の武宣夫妻が住まう事となった。武宣には実子の朴銀龍の存在を伝えたが「大状元様の御意向にお任せします」との事だった。成長した銀龍が望めば事実を伝えるが、あくまで朴姓を名乗らせると言う事に落ち着いたようだ。柳執事は武宣夫妻に仕える事を望み、認められた。
徳宣には自身の官位官職に見合った邸が与えられた。特に「実母が年老いたならば、気兼ねなく引き取るが良い」という言葉を添えられたのは、徳宣の実母である女将さんは、私の恩人だかららしい。
「スルギちゃんが気を使ってくれたのは、凄く有り難かったけれど、足腰の立つうちは働くわ」
とまあ、女将さんは相変わらずだったが、それでも天下晴れて親子だと名乗れるのは真実嬉しいようだった。
「余りに甘いのではないか?」と言う声は、蜘蛛の巣の様に複雑に絡んだ利権の頂上に守己が居ただけであり、厳密に処罰をすれば議政府と六曹の主な面々は、皆有罪だと朝議の席で正邦様がおおせになると、止んだ。
予定通り新中宮は中宮殿に入った。
さらにしばらくして私はまた「病気が再発した」として、産休に入った。今度は自分の邸で出産する予定だ。




