気の長い話・7
「でも、それが真実でも、生母が同じならば兄弟の血縁関係は有る筈じゃないですか」
洪善道が言う。そこで、知宣は最初の正室腹で実父は王族である事、徳宣の母は正室と瓜二つの異母妹の妓生で、表向きは正室腹扱いになっている事、貴人は二番目の王族出身の正室腹で、武宣は最初の正室に仕えていた女が生んだもので、武宣の母を最近三度目の正室に直したこと、などなど、沈家のややこしい事情を韓明文が手際良く説明した。すると……奇妙な事に、洪善道の顔つきが心なしか険しくなったように思われた。
「ふむ。なんだか、出生の秘密が関わって居るのかして、徳宣と貴人の間には今も確執が有るのかしら」
「そうですね。徳宣殿は自分の子を孕んだ女を殺害したのは、貴人様の手の物だと信じているようです」
そうか、韓明文はかなり徳宣とも近頃は話をするのであったな……
「徳宣の中のよそよそしい気持が『他の兄弟達と血のつながりが無い』発言になったものだろうか。こちらが何も知らぬうちから、わざわざそのような家の事情を打ち明けるとは……」
「王様……」
洪善道は、顔が真っ青だった。
「お人払いを願います」
「どうした? 」
いつも明るい彼にしては、実に奇妙だ。スルギも驚いたのだろう。
「では、私達は薬房の方におります。終わりましたら、洪殿が呼びに来て下さい」
すぐに洪善道を残して、皆、居なくなった。
「何だ? 皆に聞かせたくない話とは」
「私の体にも、そのような……炎のような痣がございます」
「失礼いたします」と言う掛け声と共に、袴を勢いよく捲り上げ、左太腿の赤い痣を私に見せた。沈貴人が中宮であった頃に見たものと、非常に似ていた。
洪善道は「御無礼いたしました」と言って衣文を整えてから、再び話し始めた。
「かつて士大夫の家ばかりを襲い、その家の夫人を凌辱する賊が、都で暴れておりました。父は役目柄、夜不在である事も多く、そうした隙を狙われて、我が家も襲われました……その十か月程後に生まれましたのが、私です」
「それを知ったのは、いつだ」
「王様から直接の密命を頂くようになって以降の事です……ですが考えてみますと、兄も姉も、そして両親も……時折、気遣うような哀れむような視線で私を凝視する事が御座いました」
「ふうむ。官吏となるまで知らなかったとは、洪家の皆は、度量が広く情けが深いのだな」
「父に確認はしておりませんが、おおよそ間違いはなかろうかと」
「そうか。漢城府判尹は、たしか漢城府勤め一筋であったか?」
「さようでございます」
「では、明日にでも洪判尹に話を聞こう。事情を知っていて、なお実の子として育てた理由というのも知りたいからな……ああ、そうした事情が有っても、お前を将来、成明の身近に配するのは予定通りだからな」
号泣と言って良い程の泣き声が、しばらく続いた。
本人に何の罪科が無くとも、生まれと言う物は、この国において重いくびきなのだ。
「涙をぬぐってから、皆を呼びに行けよ」
返事をして、また、泣き方が酷くなったのは、少々戸惑った。
だが、皆を呼んで戻った後の善道は、打って変わったように明るい顔つきだった。
「すみません。私は……話の内容が聞こえてしまいました」
皆が帰った後、スルギはすまなそうに私に言った。そうだ。スルギは地獄耳だった。だが、何も困らないが。
「聞かなかったふりをしておいてくれれば、それで良い」
翌日、私は漢城府判尹・洪仁謙と二人きりで面会した。
「息子から事情は聞いておるか?」
「はっ、おおよその所は」
「漢城府勤めが長いそちなら、その賊の人となりや素性も存じて居るのか?」
「細かな所まではわかりませんが……」
男、善道と貴人の実の父親であるらしき賊だが、その男はどこかの百姓の妻が、旅の士大夫に凌辱されて生まれたものらしい。恥ずべき事にこの国には、身分の低い者の意志も道徳も婦道も踏みにじっても、意に介さない者が多すぎる。その男は体の炎のような痣の故か、気性が激しく、すぐに悪の道に染まり、若いうちから賊の頭になったようだ。
「一度捉え、獄につなぎましたが、放火され、逃げられました」
獄につないでいる間、責め立てたが、むしろどこそこの奥方を手籠めにしただの、孕ませたのと、自慢げであったという。
「さよう、まだ若かった私自身が直接聞き取っただけでも、被害を受けた奥方は五十名を超えていたようです」
身分の恨みが強いらしく、凌辱するのは必ずその押し入った邸の正妻なのだという。
「善道の母は、先妻の従姉妹でございまして、幼いころから私を御兄様と呼び『大きくなったら御兄様のお嫁さんにしてください』と申しておりました。そのころは先妻が健在でしたから、無理だと申しますと『では、側女にしてください』と言われてしまいまして、困りました」
先の正妻が息を引き取る時の遺言と、洪判尹自身が憎からず思っていた事も有って、後妻に迎えたらしい。
「奴めは、そうした折を狙っておりましたのでしょう」
火賊が出たとの報に基づき、邸を空け捕縛に向かった所、新婚の若い妻がいる留守宅に押し入られたのだ。
「帰宅いたしますと、家じゅうが火の消えたようで、陰鬱な雰囲気でした。自害すると言う妻を、先妻の残した子供らが必死で押さえておりました」
それ以降、子供らは後妻を大切に扱い、後妻もそれによく応えた。使用人も皆、その夜の事は触れるものが居なかったと言う。
「日に日に大きくなる腹を見て、薬で流そうか私も妻も迷いましたが……決意が出来ませんで……生まれたのが善道でございます。顔を見ましたら、この子は血は繋がらずとも、息子だと思い定める事が出来ました」
「生まれてきた子に罪はございませんから」と晴れやかに言う洪判尹を見て、善道とは血の繋がりは無くとも、父子なのだと納得させられた。