気の長い話・6
予定外、いや、ある程度予想はしていたが……沈徳宣が第二席で及第か……。
最後の難関と思われた騎撃毬も無事にこなし、スルギは武科殿試でも第一席で及第した。筆記試験も有るが、文科殿試の状元には容易すぎるものだった。それにしても、沈徳宣の「王様の忠臣となりとうございます」という言葉は、いったいどこまで本気にして良いのだろう?
騎撃毬の際は、スルギを他の攻撃から護り、攻撃を補佐する様な動きを幾度かして見せた。おかげでスルギは思うさま玉を打ちこめたのであった。
武科殿試が済んで数日後、私は韓明文と洪善道を常御所に呼んだ。
「日記を分析する限り、右議政は知宣殿を何事につけても、第一の相談相手と考えておいでのようです。徳宣殿は予定されている遺産の分与は、殆ど庶子としての扱いです。大半は知宣殿が相続なさる予定のようです」
資産や財務に詳しい洪善道は、目の付け所が違う。
「廃妃となった貴人様は、何か出生にとんでもない秘密がお有りなのは確かなようです。『悪夢』とか『秘事』とか言う言葉が意味する物は、具体的に何を指すのかまだわかりません。貴人様がお生まれになった年、さらにその前年の日記を分析しませんと……沈家の秘密の全貌は見えて来ないと考えます」
更に古い記録が必要だという韓明文の言葉は、納得できた。
「あれの邸で三人で上手く調べを続けられそうか?」
もう一人は、言わずと知れたナミルだ。
「三人で過去にさかのぼっての調べは十分できますが……一つ、難題が出て参りました」
「恐れながら、御耳を拝借」
急に二人は声を潜めた。
「今年の記録が問題なのか?」
「はい。特に王様が一番気にかけておいでの件は、今年の記録も見ませんと正確な事は……」
「お生まれになった王子様に、何か仕掛けようと策を固めている可能性もございます」
「わかった。続きは例の場所で」
そこへ判内侍府事の来訪を取り次ぐ声がした。すぐに通させる。
「ひょっとして、重大な御相談でしたか?」
「うむ。判内侍府事も重要な事柄の報告か?」
「さようでございます」
かつて沈家と組んだ事も有ったが、私が即位してからは誓って無いと言い切った。
「大妃様にはいかようにお詫びしようとも、仕切れぬほどの事を致しました。既に罪を背負って地獄に赴いた仲間も大勢おります」
「で、罪の償いをしたい……といった所か?」
「先ほど久方ぶりに大妃様のお呼びが有り、伺いました。死ぬ気で償いをすれば、恨み続けるのは止めてやろうとおおせでした。恨む気持ちは人を幸せには決してしない故、ともおっしゃいました」
判内侍府事は、涙を浮かべていた。若い官吏二人は驚いた表情を浮かべた。
「ふうむ。その涙は本物だと、信じてやる事にしよう」
「歳を取りますと、つい、涙もろくなりまして、はい。ありがとうございます」
あとの相談は、スルギの邸に集合してから行う事とした。それぞれの本来の仕事を済ませてから、皆、人目につかぬようにバラバラに、邸に入っているが、それでも何事かを右議政に悟られている可能性は高い。
「どうも沈徳宣の思惑が読めん」
「案外、言葉通りではないでしょうか?」
スルギは額面通り受け止めても良いかもしれないと、感じているようだ。私は……そこまでは信じられない。
日記の文章を分析した洪善道の言葉から考えれば、沈家の中で、徳宣は相当冷遇されている事にはなる。
跡取りと定められた知宣は実子ではなく、自分こそが実は長男なのだと言う思いを徳宣が持っているとしたら、父を恨んでいる可能性は有る。恨んでいるというほどではなくても、屈折した怒りを抱いている可能性が強い。
スルギの筆写速度が一番早いのだが、一人でやるのは限界が有る。この所は韓明文か洪善道が邸にやって来たら、引き継ぐ事になっている。だが、二人ともキリの良い所まで筆写すると帰宅するので、結局スルギの筆写量が一番多くなってしまうのだが……。
「速度は落ちますが、二人でやれば、そこそこ行けましょうか」
「徳宣に関する記述は無いのか?」
「余りにひねりのない表記ですが『次子』が徳宣であるとすると、ここに気になる記述を見つけました。随分昔ですが、右議政の留守中に、沈家に賊が押し入った事が有ったようです。その際にですね『次子』が脅迫に屈して、奥方の寝所を教えたと有ります。その後、言語道断な事が有ったが、家の内外での口外を禁じた。そのように読み取れます」
日付を見ると、沈貴人の出生に先立つこと、ほぼ十か月……と言ったところか?
「この内容……沈貴人の出生と結びつけるのは、考えすぎだろうか?」
「えっ?……いや……」
スルギは記載事項を見つけただけで、そこまで考えていなかったのだろう。実に気まずそうな顔つきになった。
そうこうする内に、韓明文が宮中側の通用門から、洪善道が表門から、それぞれ時刻をずらしてやって来た。更に日が落ちてすぐに判内侍府事もやってきた。私は先ほどの項目を示し、皆にどう思うか意見を聞いた。
「王様のお考えの通りではないでしょうか?」
判内侍府事は非常に難しい顔をして、黙っている。
「判内侍府事、どうした」
「当時、沈家に押し入った賊だと名乗る者が、沈貴人様が中宮として入内なさってすぐに、私の邸にやって来たことが御座いました……」
その後、かなり長い沈黙が有った。
「人払いをするか?」
「いえ……申し上げます」
大きく息を吸ってから、絞り出すようにこう言った。
「自分は中宮として入内した方の実父にあたるかもしれない。自分の体にある炎を思わせる様な特別な形の痣が、その方にも有れば、自分との血のつながりの証になる。そのように申しました……私はそれ以上聞くに堪えませんでしたので、男を刺殺しました」
男の言葉が真実でも虚偽でも王家のためにならないとの判断が、そうした行動をとらせたのは想像に難くない。
「して、その痣は男の体に認められたのか?」
「はい。右の太腿に確かに御座いました」
沈貴人の左の太腿には奇妙な形の痣が有った。数えるほどしか見た記憶がないが、炎のような形の赤みがかった痣であったと思う。
「右議政の奥方は押し入った賊に凌辱され身籠った。右議政はそれを知っていたのだな。そして生まれた女の子を実子として育てて、入内させた……だが、その不幸のきっかけとなったのは……徳宣の言葉だと受け止められていた、と言った所なのだろか」
だとすれば……徳宣は奥方に不幸をもたらした疫病神の様に扱われた可能性も有る。
「徳宣殿が以前、当時の中宮様、只今の貴人様は他の兄弟達と血のつながりが無いとか、余りにお気の毒だから事情の説明は出来ない、とか言いましたが、そうした訳が有ったのですか」
韓明文は納得していた。だが、悲惨な真実に、やり切れないと言う表情になった。
「ですが、あの徳宣も今のようなスレカラシではなく、まだ幼い子供であった訳ですよね。刃物を突きつけられて脅迫されて、思わず本当の事を言ってしまった……ただ、それだけなのでしょうが……」
スルギは暗い表情で、ため息をついた。