気の長い話・5
「それにしても、具体的な人名や地名は上手い事、伏せられてるんですね。賢いと言うか、悪賢いと言うか、慎重だなあ」
スルギはここ数日日記の筆写に専念している。神業的な素早さで既に二冊分の写しが出来たが、私の長男・成弘の殺害に関する記述があるのか否か、最初のうちは判らなかった。
数日してまた報告が有った。
「予め、地名は八道それぞれに、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の儒教における八徳を当てるようです。都の周辺は『仁』のようです。そして宮殿は『紫禁』ですね」
日記用に定めた暗号がだんだんと読み解けて来たようだ。
スルギは大王大妃様と大妃様のへの御挨拶を兼ねた毎朝の脈診と、娘達への学問所の授業以外は全てを休んだ。騎撃毬まで休んだのは感心しないが、体が疲労すると筆写の能率が落ちるようだから、致し方ない。そうこうする内に筆写した沈家の日記は二十冊にもなっていた。
「ここです。『決行ス。家人ニ一切ノ口外ヲ禁ズ』と有ります」
決行ス、とは……凶行に及んだ、そうとしか思えない。実行犯ではないが、計画し命令を下したのは右議政なのだろう。
「どうやら、以前から沈家の勢力圏内に無い女性が出産した王子は、殺害する予定であったようです」
「邪魔者は消す……そう言う事か……廃妃にしたあれを、入内させるためにか?」
「そのようですね。入内させれられなくてかどうかは判然としませんが『好機を逸した』『密かに道を開く』と言う言葉が幾度も登場します。そして、沈家のおかげで行商人から小売り商、さらに御用商人の仲間入りを果たした男がどうも張盛のようです」
スルギが言うには、これまでの状態では本当の意味でこの国の価値有る特産物は限られており、利潤がもっとも大きいのは薬用人参であったと言う事だ。沈家が張盛に薬用人参の独占販売権を与えようと画策している気配は、随分以前から有ったが、私は取り上げずに来たのだ。
「もっとも利潤の大きな品物の管理は国の手で行うべきで、一商人に許すべきではない」と言う私の言葉には、右議政も話を持ち出せなかったのだろう。
「ヤンホ兄さん達の事業展開で、張盛は商売のうまみが減り、提供できる資金にも限りがあると言って来たようです。つまり、もっと儲けさせてくれないと賄賂の増額は無理だと言う事でしょう」
「スルギの正体は気がついているのだろうか?」
「私の事は『女宦官』と有ります。女で有ると知られていると見てよさそうです。私が宮中に入ってすぐから、みたいですね」
なんと、スルギが入宮して三日としない内に「女宦官、入ル。御意不詳」と有る。あの頃、女官長であった者が、恐らく情報を流したのだ。御意不詳とは私の思惑が読めないと言う意味合いで良いのだろうか?
「知っていたが、公言しなかった……のだな?」
「私の身上調査が上手くいかなかったようですね。『高貴ナ老女ト寡婦ノ寵愛』が恐ろしいとも有ります」
「大王大妃様と大妃様か? 随分な言い方だが」
スルギは苦笑している。
「さらに『王子出生ノ風聞有リ。生母ハ女宦官トモ官婢トモ』と有りますよ。これは成明が生まれてかなり経った昨年末の部分ですが。正邦様が『耳目ヲ奪ッタ』ために、不確かな推測しか出来ないと愚痴ってますね」
常御所周辺での盗み聞き対策を徹底したのが良かったのだろう。
「その後、領議政の朝議の席での質問も有ったからなあ。大王大妃様・大妃様に御承認頂いていると、正面切って皆に言ったわけだから……生母は官婢……ではないと思っただろうよ。ますます、スルギの素性が気になっているだろう。右議政は今でも『老宦官ト女宦官ヲ反目サシメルベシ』と考えているのだろうか?」
「ナミルが持ってきてくれたのは、昨年までの分ですからね……今年の分はどうやら、寝室のすぐ隣の書斎に有るようです。普段人がいない蔵と違い、少しでも書物の位置がずれたりしたら、すぐに気づかれるでしょう」
『老宦官』がスルギと私が共に思ったように判内侍府事を指すなら、右議政側からの擦り寄りの工作がどの程度有ったかを、判内侍府事にも聞いておく必要が有りそうだ。そして、最新の日記を読むのは危険が伴いそうなので、スルギが言うように、昨年までの日記を正確に読み解く方を先にすべきかも知れない。
「そこで、この日記の分析ですが、御信頼なさっている若手に任せてみませんか? 見る眼が変わると、また新たな事が読み取れてくるかも知れません。韓明文と洪善道あたりは、どうなんでしょうか?」
そう言われて初めて気がついたが、二人とも忠誠心に疑問は無いし、こうした文書の解析も上手くやれそうだ。
スルギが二人に分析を依頼しようと考えたのは、もうすぐ武科殿試だからだろう。私の独断で、夏前に時期を早めてしまったせいだ。
「今日、久しぶりに練習いたしましたら、体の節々が痛んで、閉口いたします。明日から鍛錬のやり直しです」
「すまんな。無理をさせて」
言われたように貼り薬を背中から腰にかけて貼ってやり、足を揉んでやる。
「誰かに見られたら大変ですね。『王様に対して、何と言う御無礼を』と言われても、弁解できません」
「私がやりたいのだから、そんな輩は気にする必要も無い。が、この貼り薬はなかなか臭うな」
「薬くさい女となんか、御一緒にお休みにはなりませんでしょう?」
「お前、本気か?」
「いえ、その……」
私の語気が真剣であったのに、少しスルギは驚いたようだった。
「腰を摩りながら、共寝しようと思ったのだが、迷惑か? 不都合だったろうか?」
「御手で摩って頂くと、とても心地良いのです。声を上げたいほど」
「ならば、上げればよい。二人きりではないか。体中、どこでも摩るぞ、喜んで」
「そ、そうですか? でしたら……」
そう言ったきり、顔を真っ赤にして、腰を丸く円を描くように揺らめかせている。恥ずかしいらしい。
「ならば、ここはどうだ? ん? 無理をさせる気は全く無いのだ……どうだ?」
「ああっ……」
「そうだ、そうやって遠慮などせず、声を出してくれれば良い」
形の良い耳朶を甘噛みしながら、一番感じやすい辺りを羽毛で触れるようにそっと摩る。艶めいた叫びが上がる。更に手の動きを様々に変え、スルギの快感を紡ぎ出す様にしてやる。
「もう、もう……」
焦れた声を上げるスルギの望みを満たす。幾度か上り詰め、スルギが突然に深い眠りに入ったのを確認すると、大きな貼り薬越しに、腰を摩ってやりながら、私も穏やかな眠りに入った。