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気の長い話・4

 思えばスルギと出会う以前、幼馴染の最初の中宮を失くした後は、ずっと底なしの泥沼の中に沈み込んでいるような感覚の中で生きて来た。考えてみればこの国の王は、常に派閥争いに振り回されてきたのだ。

 私は一応全部の派閥と等距離を保ち、公平に扱う事を志向して来たが、それは逆に言って、自分の『身内』と呼べる存在が無いと言う事でもある。だが、それが間違っているとは思わない。とりあえず実行可能な次善の策だと思っている。

 派閥争いがいかに愚かしいか、皆に納得させる事が出来れば、それが最良だが……どうやら難しそうだ。


 最初の中宮は宮廷内のドロドロして虚しい人間関係の中で、唯一の例外的な存在であり、『身内』と言えた。

 互いにまだ少年と少女であった頃は、行儀良く布団を並べて大人しく眠る日が大半だった。中宮に自分は恋をしていたと当時は信じて疑わなかったが、あれはそんな激しい感情ではなかった。もっと穏やかな家族的なものだった。

 それとも……穏やかで淡いものであっても、あれもまた、やはり恋であったのだろうか? いずれにしろ、中宮が当時唯一の私の『身内』であったのは間違い無い。


 だからだろう。最初の中宮が亡くなった時に湧き出て来た強烈な感情は、身の置き所が無い程の喪失感だった。


 当時、大王大妃様は厳しく私を戒められた。人の目の有る所で、いつまでも嘆くなと。

 だがそれは私にはひどく難しかった。

 大王大妃様は王である私を間違いなく支えて下さったのだが、孫として甘えられるような方では無い。亡き中宮のように自分自身の感情を吐露できる『身内』であった事は無かったのだ。


 最初から他の女たちは、その大王大妃様よりも更に遠い存在だった。身を守るための……言わば道具でしか無かったのだ。亡き中宮に敬意を払う女なら、どうにか我慢できるが、驕慢であったり、無神経であったり、邪であったりする女は、我慢ならない。それでもなお、私はどの女にも公平に娘が生まれるように気を配った。政治勢力の不均衡を恐れたからだ。


 それだけに、亡き中宮が命がけで残してくれた王子を……成弘ソンホンを失った時の怒りは大きかった。そして何とも思っていない女の腹から生まれても王子ならば、世子になるというのは……絶対に避けたかった。世子の母となった女は後宮に君臨し、その女の一族は多大な恩恵を被り、勢力を拡大するのだ……実に耐え難い。


「自分が本当に愛した女にしか息子を産ませたくない」


 そう強く願ったせいだろうか、男女の産み分けの仕方を私は夢の啓示で受け取った。どうやら前世の記憶の一部であったらしい。おかげで、成弘の死後、王子を産んだのはスルギだけだ。


 こうして、スルギと一つの床に体温を分け合うようにして共に眠るようになってから、それまで欲しくてたまらなかった、人としての当たり前の幸せがようやく手に入ったのだと実感する。


「スルギや、成明の弟はいつこしらえる?」

 耳元でささやいてやると、抱きしめている体の温度が一瞬上がったようだった。口づけの応酬がひとしきり済むと、私は胸元の紐をほどいた。

「武科殿試との兼ね合いを、どういたしましょう」

「そうだなあ、やはり受けてほしいから、それまでのお預けか……いっそ日取りを早めてやるか」

「まあ……早めてしまわれるのですか?」

「いっその事、来月あたり、どうだ? 女官たちがお前の騎撃毬での雄姿が『素敵』だと噂していたぞ」

「見た目は様になっていても、上位三人に食い込めますかどうか」

「騎撃毬は運の要素も大きい。戦では軍を率いる者が強運か否かで、勝敗が大きく変化する。だから、この騎撃毬は古来から重視されてきたのだと思うぞ。スルギは強運だ。私の運もスルギの強運に引きずられるように、次第に良くなってきているように思う。それも、スルギが常日頃からあまたの人のために尽くし、己は利を貪ったりしないからだと思うぞ。お前はよく稼ぐが、大半をこの国のために使ってしまうのだからな。天意に適わぬわけが無かろう」


 スルギと私の出会いは何者かによって定められた物かもしれない。だが、私はこの出会いに感謝している。そして、可能な限り傍にいたい。


 互いの気持ちが高まり、かわす目と目に熱が籠ったその瞬間に、急な来訪者をつげる鐘が鳴った。スルギがに重要な客、あるいは重要な報告を持ってきた者がやって着た折に、執事に鳴らすように命じているものだ。


「何でしょうか、様子を見て参りましょう」


 すると、部屋の外から執事が呼ばわった。普段は侍女なり忍和の役目だ。どうやら重大事らしい。


「恐れながら申し上げます。本日より家族ともどもこのお邸に引き取りましたナミルで御座いますが、何やらただならぬことを耳に致しましたそうです。居間に待たせておりますが、いかが致しますか?」

「判った。話を聞きに行くよ。少し酒を出してやっておくれ」


 スルギは私に暖かい服を着せた後、自分はさっさと男衣装を身に纏った。先ほどまでの艶めかしさは、何処かに雲散霧消してしまった。少々残念に思う。


 ナミルは出された酒に手も付けず、硬い表情で我々を迎えた。


「何か大変な事を耳にしたって?」

「はい。明るいうちに下見を致しまして、右議政様の御寝所と書斎を見つけておきました。その後、日が暮れてから、改めて忍び込み、屋根裏に身を潜めて待っておりました」


 しばらくして右議政と思われる邸の主人らしきひげの白い人物の所に、息子らしい人物がやって来て、一緒に酒を飲み始めたらしい。宮中の噂から話が始まった様だ。


「その息子らしき人が『先の王子毒殺の一件などは、うかつに記録になど残されぬ方が良いのでは有りますまいか』と言ったんです」


 その男が父上と呼んでいた白ヒゲの人物は、どうやら長年詳細な日記を付けてきたらしい。


「その日記は代々のその邸の御主人が書いてきたものらしくて、『人に言えないような我が家の事情』も色々中には書かれちゃってるみたいですよ」

「代々の日記と言うと、相当な量だろうね」

「日記のための特別な蔵があるみたいです」

「その日記の蔵がどこにあるか、見当はつくかい?」

「見当はつきましたが、錠前を外す支度も無かったので、一旦引き上げてきたと言うわけです」

「道具などは、大抵のものは有ると思うから、遠慮なく執事に申し出てくれ。ご苦労だった。さあ、お飲み」


 スルギはナミルに酒を勧めた。


「成る程なあ。気にかかる事件、その王子毒殺が有った年だが……抜き取ってもらったら、急いで書き写し、また元に戻すと良いかも知れんな」

「確かに、それはばれにくいでしょうが……ナミル、幾度も通えそうか? 右議政の邸に」

「王子様に何だかけしからん事をした様ですね。王様には言わば、息子さんの敵だ」

「そうだ。息子の敵なのだ。ずっと右議政が怪しいと言う噂は有ったのだ。だが証拠が無かった」

「ようがす。オイラも男です。お引きけいたしやしたからには、キッチリやらせていただきます」

「では、私が書き写しましょう。一番それが早いと思いますから」


 確かにスルギの筆写の速さと正確さは神業だから、それが一番確実だろう。


「写し終わったら、日記を返し、また別の日記を持ち出して貰うとするか」


 ひょっとすると、沈一門の陰謀がすっかり明らかになるのかも知れなかった。

誤字、一箇所直しました。

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