気の長い話・1
「禿山がこれ以上増えるのを何とかせねばいけません」
確かにスルギの言うように、この国には治山治水と言う概念すら存在しない。倭国にはそれが強くあり、それが水質の良さ、土砂流出の抑制に繋がっていたのだ。
スルギと話すとやるべき課題は次々見えてくるが、派閥抗争ばかりやり、陰で足の引っ張り合いをしている廷臣をどうにか纏めてまつりごとを行うのもなかなかに困難を感じる。
たとえば、数日前話に出た庶子の差別問題だが「生まれてきた子供ばかりを責め、それを生み出した親、特に父親の罪が何も問われないのはおかしいと思う」と定例の朝議で意見すると、「左様でございます」とは言うのだ。だが具体的な提案も何も出てこない。
私の知る限り、高級官僚の大半が側室を持ち、庶子がいる。それらの息子達は血統を繋ぐ保障の役割を果たす以外、何の期待もされていない、飼い殺し状態だ。娘は生まれながらの召使で、家族ですらない。こんな馬鹿なことをやっている国は、我が国だけのようなのに、悪習は改まらない。朱子学の教えに適っていると信じている。
「庶子に父親を『父上』と呼ぶ事を禁じる事のどこが一体、聖人の教えなのか、訳がわからん」
「正室の怒りを買い、家庭が乱れます」
「そもそも夫が側室を設けた時点で、正室は不愉快であろう。だから百歩譲って正室は『奥方様』と呼べばよい。だが、父親は実の父なのだ。『旦那様』は理に反しているし、人の情としても許しがたい」
今日から早速、各々の庶子に自分を『父上』と呼ばせよと命じた。どこまで実効性が有るか知らないが、時折話題にしてみようと思った。
「先ごろ来の清との大きな戦で、有用な人材が多数命を落とした。その欠けを補う人材が必要だが、庶子に科挙を受ける許しを与えてはどうか? 文官は志望者が多いが、雑科の人材がいかにも不足している。正しい統計に基づき、きちんとした国家の運営をなす上でも、実学を志す才能ある若者が欲しい所だ」
すると、国家運営に統計が必要と言う考えの無かった廷臣達は驚いたようだ。
「どこで例年幾らの収穫が見込め、どういった条件が揃うと凶作となるか、あるいは非常時に備えて用意すべき備蓄はどの程度必要か正確に政治を行うものが知ることが、民を飢えから救うには不可欠であろうが」
「ごもっともでございます」と平伏した連中の一体何人が、真に私の言葉の意味を理解しただろう?
文科は一足飛びには難しかろうから、まずは雑科を受けさせる事にした。
「近いうちに医者を志すものが学ぶ学校を開く。算術や通訳を学ぶ学校も計画中だ。領議政には賛同してもらったが、皆はどうだ?」
「結構かと存じます」
これで私の目の前から姿を消すと、派閥抗争の話ばかりするのだから、何とかしたいのだが、困ったものだ。
自分達の気に入れば「当代様は聖君であられる」と言い、気に入らなければ「暗君」だの「暴君」だの言うのだ。国家の運営など二の次三の次で、自分達の派閥に利益を取り込むことしかほぼ考えていないのだ。本当に、終わりの見えない馬鹿げた堂々巡りだ。頭が痛い。
「無理に割り込んでも、同じ事の繰り返しでしょう。あの連中はどの派閥を贔屓したとかしないとか、それ以外何も考えていないような気がします」
スルギは新しい方法と自らの才覚で、従来の廷臣たちが握っている利権を脅かす事無く、富をつくり、それを国のために使っている。確かに、他人を表立って非難するより、そのほうが建設的だし、商売の才覚があれば、あるいは商売をして卑しいと言われても気にならなければ、もっとも効率的かもしれない。
また先ごろ、新しい本を書いて、物議をかもしている最中だが、非難と言うよりは、驚きあきれ、あるいは驚嘆しているのだろう。無論絶賛するものもいるが、それらは現在利権を得ていない非主流派、あるいは学者の連中だ。
「義を明らかにして利を計らず」と言う董仲舒の言葉を引いて始まっているが、スルギは儒学の正当性など実はどうでも良いと思っているようだ。たまたま自分の見解に一致したから利用したに過ぎない。
「この国では何だって儒教の皮を被っていないと、弾き出されてしまいますからね」
「私以外の誰かに、そのような言葉は聞かせるなよ。それこそこの国の人間は、何でも儒教に引き寄せて見てしまうのだから。この果てし無い、もう二百年以上繰り返された派閥争いをそろそろ終わりにしたいものだが、急には難しかろうな」
「会社が上手く機能してくれるようになれば、少しは違ってくると思うのですが」
「商いで国を、民を豊かにするという考え、皆には目新しいだろう。あの『道徳経済合一説』は、なかなか有意義な本だ。利益を求める商いでも道徳が必要だという考えは、賛同するものも多いだろう。何より商いを賤しいものと考えがちな人間にも認識を改めさせる事が出来ると思うぞ」
「ああ、あれは異世界の偉大な商人で国を発展させた人の説を、そのまま引いてきただけです。ずるいのです」
「ずるくてもこの国では初めてなのだから、構わないではないか。あの具体的な方策も、悪くないな。財政状況を内外に公開して無駄や贅沢を戒めるのは理にかなっている。街道や河川・港などの整備をする工事を国が起こして、貧しい民を雇い入れ収入を与えるのは、確かに良いかもしれん。街道筋の安全や用水の灌漑も同時に整うのだからな」
「ただ、灌漑の方はこの国の技術が稚拙すぎまして、もう少し研究の必要が有りそうです」
「ああ、水車が出来ないのだったな。木を曲げる技術が完全に廃れた所為だと言う事だったか?」
「ええ。蒸気と圧力でだんだんに木を曲げる方法ですが、この国の職人が育っておりません」
「清から報酬を払って職人を呼んで、この国の職人達に教えるのはどうだろうな?」
「ああ、そうできましょうか。職人たちの俸給も弾んでやりましょう。どうもこの国では職人の手間賃が不当に安いと思います。優れた品物を仕上げても、特に褒められるでもなし、豊かにもなりにくい今の状態が続けば、確かに皆職人になりたがらないのも仕方のない事です」
いつもスルギの頭はやるべき事でいっぱいだ。
「少しは私の事も気にかけてくれるのかな? 水車の半分も気にしてもらってないような気もする」
「ああ、ごめんなさい」
全く、正直だ。謀をめぐらすとなると細心で慎重で、なおかつ大胆なのに、私の前では全然遠慮しないで、思ったように話し、振る舞う。それで良い。そう言うスルギが見たいのも事実だ。
「良い、良い、スルギはまっすぐでひた向きで、それで良いのだ。だが、時々寂しくなるだけだよ」
「まあ、お寂しいのですか?」
「うむ。だからお前と一緒じゃないと、うまく眠れないのだ。やることは山積みだろうが、それでも人の一生は限りがある。あれもこれもと欲張らず、人に任せられるものは任せた方が良い。大切な体を損なってまで、働くな」
一番の気がかりは、その点だ。
「この分では、成明の弟をあと二人ばかりと思うているのに、考え直さなくてはならないのが耐え難い」
「そ、そうですか?」
「スルギの言う儒教にこり固まったこの国で生まれ育ったせいで、息子がもっとほしいと思ってしまう。もうほかの女に産ませるつもりも無いから……生むのはスルギだけなのだぞ。良いな?」
「……はい」
うら若い女らしく、こう言う時はちゃんと顔を赤らめるのも、実に好ましい。そう思う気持を言葉にするのは何やらためらわれて、そっと小さな体を抱き寄せた。