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新しい風・3

「どうもあれだな、計算が分かって読み書きの出来る使える人間が少なすぎるよ」


 科挙とは無関係に読み書きをできた方が何をするにも有利だという認識は、まだこの国では一般的では無い。読み書きが出来ても科挙の落第生で計算は不得意だったりして、ヤンホ兄さんが思うような「商いを一生の自分の仕事」だと思っている読み書きの出来る人間が少なすぎる。


「でもまあ、この国の状態しか知らなければ、商いを一生の仕事にしたいと思う人間は、どうしたって少ないのも無理は無いか」


 そう言う兄さん自身、士大夫の息子で、最初は「食うために」「仕方なく」商売の道に入ったのだ。

 そもそもこの国には店舗と言う物が存在しなかった。皆市場で筵や布やら広げ籠や瓶を並べ、物々交換に近い状態で物はどうにか流通していた。それを革命的に変化させたのが、ヤンホ兄さんの店だ。元のアイデアは私が出しはしたが、それを着実に大きな商売にしたのは、兄さんの手腕だ。


「市場やお店の若い衆を育てているだけじゃ、数が間に合わないかしら?」

「うん。清や倭に有るような宿場の旅籠を作ると、旅人にも、その旅籠を作った場所の人たちにも便利で、良いのではないかなんて思うんだが、人材も金もまだまだでさ」


 この国の街道は、それこそ滅んだインカ程も整備されていない。馬も私が頂いた外国種交じりの体格の大きなものはごく稀で、そんな馬は殆ど都の位の高い士大夫か王の厩にしかいない。大半が貧弱な駄馬だ。そんな駄馬が街道ごとの駅站に役人専用に三頭とか五頭もいれば上出来なのだ。民間の輸送に使えるものでは無い。


 車輪を使う荷馬車も荷車も存在しない。日本の平安貴族が乗っていた牛車レベルの車輪ですら今は自前で作り出せない社会なのだ。

 それでも私が苦労して、西洋の馬車を何台か輸入して、それを研究させる事にした。更に清国で大量に荷車を発注して、それを牛に引かせ、八道を行き来する民間用の定期便を仕立て上げた。


 何箇所も架橋工事が必要だったが、そこは浮橋方式で乗り切った。pontoonポンツーンと呼ばれる登場して間もない西洋の工兵が作るようになっていた橋のやり方をほぼそのまま取り入れた。平底舟をこちらから向こう岸へズラッと並べた上に板を渡して、即席の橋とする方法だ。この国に登場するのはあちらの歴史なら百年以上後になる。


「船を並べて橋にしちまうなんて、考えもしなかった」


 ヤンホ兄さんだけでなく、各地の地方官からも宮中の連中からも、褒めては貰ったが、維持費も何もまだメドが立っていない。架け替えも視野に入れておきたいが、まずは地方の経済を活性化する弾みになればよいと割り切った。


「確かに、液状のものは普通は瓶か壺に入れるんで、重いよな」


 私とヤンホ兄さんが共同出資で作っている焼酎類は、西洋から買い入れたワイン樽を再利用して運んでいる。樽を牛に引かせる荷車で運ぶので、各地に出荷するのも、これまでよりは格段に素早い。それまでは背中に瓶を背負って人間が運ぶと言うのが当たり前だったのだ。大量に運びたい場合は船以外方法が無い。


「兄さん、いま海上交易の方に資金をつぎ込みすぎだと思うわ。暴風雨で一隻でも沈めば、危険よ」

「分かってはいるんだが、交易はうまみが大きいからな」

「今までは、たまたま船の行き来が上手く行っているから、そう思うかも知れないけれど、せいぜい持っている資金の三分の一に止めるべきだと思うわよ」

「北の国境でやる陸上交易は、船ほど大量に物資を運べない。うまみも少なくなる」

「軽くて人気の有る商品を開発しないと駄目だねえ。でも、酒も売りようで、北でも儲かるんじゃない?」

「味は良いけどさ」

「樽で寝かせる時間を延ばしたものを、この国特産の白磁の細首の壺につめて、封印をして高い値段で売るのはどう? 前から考えていたんだけどね。その細口壺の胴体にに目の細かい籠をかぶせると、割れるのを防げるし、見た目にも優雅でしょう? そこらでぐびぐび飲むのとは違う、皇帝の宮殿か、西洋の王侯の城で飲まれるような高級な酒って事ね」


 兄さんが興味を示したので、試作品を見せて、封を開け味わってもらう。


「これ、瓶の中身の量が少ないのもかえって良いのかもな。それにしても美味いが、強い酒だ」


 焼酎を蒸留後、松の炭で濾して、さらに西洋のワイン樽で寝かせた。この炭で濾すと言う方法はまだこの世界では知られていないはずだ。透明度を確認するために輸入品のガラスのグラスに入れて見せた。ここまで透明度の高い酒は、まだ世界的にも珍しいはずなのだ。ヤンホ兄さんは大層感動してくれた。


「ほら、こうして入れ物に入れるとすっきり澄み切った酒なのが良く分かるでしょう?」


 兄さんは北での交易にこの商品を出してみる事にしたようだ。丁寧に梱包して、車で運ぶらしい。


「この酒の名前は?」


 美しい白磁の口から注がれる酒だ。月の滴、ムーンドロップス、そんな名前が良いと感じた。


「そうね月露ウォルロとでもしましょうか」


 軽くて儲かる商品と、後は会社組織の立ち上げ、私の考えを兄さんに伝えると、兄さんは頷いた。


「軽い商品だが、螺鈿はどうだろう? 何か気が利いた小物にでも仕上げると良いかも知れないな」


 光沢を持つ貝殻の内側を切り出して、漆地や木地の彫刻した表面にはめ込む工芸品が螺鈿らでんだ。


「螺鈿をかつて輸出していた倭国は鎖国したから、今西洋人は特に喜ぶかもね。そうそう。西洋の貴婦人が手元において楽しむとか、装身具にするとか、そんなものが良くは無い?」

「ああ、なるほどな。小さくて金が取れる商品、って事だよな。その会社って、英吉利人どもが言うカンパニーとか言う奴か?」

「そう。まあ、領土を何処かで広げることまで考えないけれど、国のために金儲けをする仕組みを作っておきたいのよ。そして、これまで科挙を受けられなかった人たちが、生きがいを持って働けるような仕組みを作りたい」

「王様の御名前は貸していただけそうか?」


 この国ではろくな民族資本が無いだけに、王室御用の名は信用度を上げるのに必須なのだ。


「それはたやすいけど、でも、儲からないショボイ物では、御迷惑をかける。ちゃんと儲けが出るように、仕組みを考えてみるよ」 


 東インド会社は無理にしても、亀山社中か海援隊みたいな組織は出来るだろう。

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