波乱・3
「まあ、それでしたら申貴人の所に、お泊りになるべきだったのでは」
「そうかもしれない。申貴人はもうすぐ都を離れるのだし。国王としてはそうするべきだが、やはりお前と同じ床でしか私の気持ちが休まらない。他所では眠れないのだ」
スルギは中宮と昌嬪には良い印象を持っていないらしい。別に憎しみを持っているわけでも無さそうだが「困った人達」とは考えているようだ。張昭容は本人は「気の毒な人」で、娘の順恵翁主は「仲良し」と言ったあたりか? 朴淑儀本人は「良く存じ上げない」が、父や兄弟達の人柄と能力は高く買っているらしい。
「申貴人にお話になりましたの? 成明と私の事を」
「王子が生まれて成明と名づけた事、生母は大王大妃様・大妃様からも東宮の生母にふさわしいと認められている事、後宮の他の女には、中宮も含めてだが、秘密である事を伝えた」
「母親がどこの誰かは、おっしゃらなかったのですか?」
「訊ねられなかった。だから言わなかったが、察しているやもしれん」
申貴人の生んだ二人の翁主が、夕食時に「私達も順恵翁主のように大状元のお弟子になりたいのです」と申し出て来た話をすると、「それは無論構いませんが貴人はどうお考えのようでしたか?」と気にしている。
「申貴人は、私の正体を見抜いておいでのように思います」
「あの人はそう言う人だ。良く人を見ている。一番苦しく大変であった時期に、王である私がろくに手助けもしてやれなかったのを、恨んではいない様だが、最初からあてにならん男と思われていた節も有る。実際即位後間も無い私は、無力で無能な王ではあったが……」
一言の不平も不満も漏らさず、毒を盛られた話も全くしてくれ無かったのは、無理も無いのだが、実によそよそしい気分にさせられた。そうした感情は、いつしか申貴人自身を遠い他所の人間のように感じさせてしまうようになった。
「初めて、毒を盛られた件について話したよ。スルギに教えられたように、豆類を意識して取るようにしていたら、ゆっくりと解毒効果が現れたらしく、最近は以前よりずっと体が楽なそうな。是非、二人の娘を大状元の弟子にしたい、ともな」
「でも、それが一番大切なお話、でも御座いませんでしょう?」
「ああ。そうだ。中宮のなり手がいなくなったら、引き受けてもらうかも知れないと言っておいた」
「では沈中宮は?」
「近い内に廃妃、だろうな。まあ、後宮には止めるが。昌嬪も降格は免れまい」
既に二人の間で呪詛の応酬と、毒薬のやり取りが有るのだから……
「あっけなかったな」
スルギは闇でもしっかり見えると言う目を見開いて、私の顔を見つめた。
「判内侍府事と忍和が、何かしでかしましたか? 時折木や屋根に登って様子を伺うと、二人が何やら一緒にゴソゴソやっている風ですので」
「木はともかく、時折屋根にも登るのか?」
「忍びの術に関しては、私は韓殿の弟子です。内侍府の屋根は馴染みの場所です」
思わず苦笑するしかなかった。全く、何と言う女だ。
「あれら二人に任せたのだ。誰の命も取ってはならないという条件を付けてな」
忍和の申し出について話すと、スルギは少しばかりあきれたらしい。
「随分前から、ゴソゴソやってましたよ。もう最後の詰めと言う段階になって、やっと申し出たんですね。まあ、あの兄妹が成明のために何かやっているとは思いましたが、やっぱりその手の陰謀でしたか」
スルギは陰謀で邪魔者の力を削ぐのは、やはり反対らしい。
「忍和は邪魔者を宮中の外に放り出したいのに、主のお前の考えに背きたくないから、手ぬるい処分で我慢するらしい」と言うと、不快そうな顔つきになった。
だが、忍和にも判内侍府事にも、その件に関しては何も訊ねなかったようだ。
兄妹の陰謀の甲斐が有って、スルギの邪魔になりそうな困った二人の降格処分が決定したのは、申貴人が保養のために旅立って間もない頃だった。
「毒はともかく、呪詛なんて何の効果も有るとも思えません。呪詛の所為で罪を重くするなんて、やめませんか?」
「呪詛は誰かを呪う気持ちの表明だ。針を打たれた呪詛の人形は見るもの全ての心に毒をまき散らかし、疑心暗鬼へと導く。有る意味、毒よりも罪は重いのだぞ」
スルギは賢いが、閉ざされた場所でずっと暮らしている女達の感情までは、恐らく良く分からないのだ。やはり、中宮になるのはイヤなのだろうなと、まじまじとスルギの顔を見つめてしまった。