波乱・2
中宮の後は、朴淑儀・張昭容と回る。朝既に話をした金昌嬪の所は寄らない。
「申貴人の所で翁主たちと共に夕食を取る事にするから、伝えておけ」
昔からいる忠実な老内侍に、使いをさせておいて、執務に取り組む。地方からの嘆願書も近頃は増えた。
「すぐに官吏の不正や非道な行いにはお調べが入り、賢明に御裁きになるという世評が立っております」
「そうならば結構な事だが、余が裁くのではなく、余が見込んだ者たちが頑張ってくれているのだがな」
「広く人材を求められ、身分の軽いものからもどんどん引き立てておやりになるので、近頃は若手が活気づいております」
領議政・左議政・右議政の三公のほか、六曹の判書を集めて地方官の任免の件について話し合う。
「救荒作物はどの程度役立っているかな?」
「例年なら餓死者が報告される冬越えの時期ですが、今年は甘藷を導入できた地域では餓死者が出ませんでした」
「馬鈴薯が、来年あたりから導入できれば、また事情は変わってきましょう」
「玉蜀黍も土地によっては、よくなじむ場合が有るようです」
「官吏が不正に米や麦を取り込む事を厳しく管理なさいましたので、民の気持ちも前向きになりましたでしょう」
「昨年は暗行御史の『出道』が多かったですなあ。村々で童どもが暗行御史ごっこをしているそうですぞ」
暗行御史は地方行政監察制度の不備を補うものだ。王である私の権限で随時任命できるが、頻繁に必要であると言うのは、やはり一種の異常事態だ。と、言うよりは、スルギの情報網に引っ掛かるものを調べてゆくと、今まで気が付かなかった行政の不備や矛盾、民の困窮に目が行くようになったのだ。
暗行御史は任地に急ぎおもむき、変装して地域の実情を内偵する。問題解決の方向を見定めたら、地方官庁に入って公文書と倉庫を検査するのだが、その際に付き従う者が「暗行御史の出道だ」と叫ぶのが通例だ。
「あまり、あれらを『出道』させるような粗末な者を地方に着任させるな。今年はもっと慎重にやってくれ。六月には良き人材を送り出したいものだ」
特に清や倭との国境に近い地域には、武官としても高い能力を持った人材が望ましいと付け加えておく。
「戦でも、御座いましょうか?」
「戦は無いと思うが、不逞な西洋人どもがやってきて、暴れるぐらいのことは覚悟した方が良いかもしれん」
すでに昨年そうした事も起きた。炭・水・肉・小麦・野菜などを宛がい、幸い船に居た清国人の仲介で立ち去らせることが出来たのだが……
「我が国の武器では、なかなか太刀打ちするのが難しゅうございますが」
「頭の痛い問題よな。だが外国人は土地に不案内だ。誘い込んで、疲弊させてから捉える事も出来ようかな」
「紅毛南蛮の連中も、あれらなりに国も法も有ると聞きます。言葉がわかれば、交渉もできますな」
「それぞれの部署に校書館の役職を兼任している者がいるだろう? それらの者たちとよくよく相談して、より優れた人物、賢い問題の解決法を見出してほしい」
廷臣たちは賄賂を取り込みながらも、そこそこまじめに仕事はしている。その様子が手に取るようにわかるようになったのも、スルギが自分の事業の出資金の配当を内侍府に還流し、私の秘密の手元資金を拡充したおかげだ。
人一人を見張り役にして張りつけるだけでも、食費もかかれば移動の手段も必要だったりする。スルギに言われるまで、そんな簡単な事も思いが及ばなかった。
「同じ銀塊も、私が渡すより正邦様が御自身でお渡しになる方が、効果が御座います」
確かに、王という資格は、その程度には人々にありがたがってはもらえる物らしい。私への忠誠を要求すると同時に、何かにつけ小遣いをまめにやるようにしたら、情報の集まる量が格段に増えた。今ではうまい具合に後宮のそれぞれの女たちの住まいの様子がすぐに伝わってくる。
逆に言うと、これまで私の身の回りの情報は、資金を多く流した女の所にすぐに伝わっていたのだ。
だが今も昔も、余り賄賂の効果が無い場所が有る。
大王大妃様や大妃様の所ほどではないが、申貴人と朴淑儀の所はさしたる動きが伝わってこない。申貴人と朴淑儀が注意深く慎み深く暮らしている所為だろうが、身の回りに仕える者たちに、真に主として尊敬されているのだとも言える。
朴淑儀は、この国の伝統的な「婦徳」を体現したような、賢く控えめな女だ。私の所に嫁がなければ、あるいはあっぱれ功臣の母となっていたのかもしれない。不足を言っては申し訳ないが、これと言って欠けた所も無いが、激しく思いを掻きたてられた事も無い。勝手なものだ。時折済まないとも思う。
申貴人は、もう少し大きな局面で物事をとらえる事が出来る女だ。国という単位で物事を考えるだけの学識も持ち合わせている。話していて、後宮の中では一番肩が凝らない。古い知人と言った懐かしい気持ちにさせる人だ。体を損ねたのは、先の王子が殺害された時期と重なる。毒を仕込まれたのではないかと思われるが、私にその話をした事がない。私が毒を仕込んだ側の女をどう考えているのか、読めなかったからだろう。優れた人柄だと思うが、強い愛情を互いに覚えているわけではない。政略で結ばれた絆とは、どうしてもそうなりがちなのだろう。
だが、信頼できる人だ。
申貴人は冬を越したら、また田舎に戻るらしい。その前に私の口から伝えておきたい事が有った。
宮中陰謀編?はもう一話だけ書きます。つまらないみたいですみません。